第215話 ほーりゅう
道を下り切ったわたしたちは、黒々とした森の前で立ち止まった。
わたしは伸びあがるようにして、人がしばらく足を踏みいれていないような、雑草だらけの道の奥の様子をうかがう。
やだなぁ。
人里離れているせいか、最初に通った森より、もっと暗くて怪しげだ。
数歩進みでたジプシーがかがんで、片膝を地面についた。
左手に独鈷を持ち、独鈷の先で右の手のひらへ素早く梵字を描く。
そのまま地面に押しあてて真言を唱えた。
その様子を後ろで眺めながら、京一郎が思いだしたように、わたしへささやいた。
「金縛り術っていえばさ。初めてジプシーと言葉を交わしたとき、奴が勘違いして、ちょっと乱闘になったことがあったんだ。――いきなり俺に金縛り術をかけてきやがって。俺は動けなくなったところを、もろに腹を蹴りこまれて、そのまま意識が飛んだんだ」
驚いた表情のわたしに向かって、京一郎は照れたように笑った。
「今回のような本格的なものじゃなくて、瞬間にかけてきたものだったけれどね。初めてジプシーから食らった術だ。あの日から素手での喧嘩は俺の負け越しで、いままで一度も奴に勝てていない」
京一郎は懐かしげに目を細めて、ジプシーの後ろ姿へ視線を向けた。
わたしは、京一郎へ返す言葉が思いつかなかった。
なんだか、静かに語られる思い出話は意味もなくわたしを不安にさせる。
わたしの目が言葉を探すようにさまよっていると、ジプシーが振り返った。
「術を発動した。朝に防御術を張っている俺たちには効かない。いくぞ」
そして躊躇いなく、ジプシーは先頭を歩きだす。
慌てて、わたしと夢乃があとに続き、最後尾に京一郎がついた。
でも、ジプシーったら、そんなに無防備に進んでいって大丈夫なんだろうか。
そう心配するくらい、獣道と化した道をハイペースで歩き続ける。
ある程度の距離を歩いたところで、無言のジプシーが急に、わたしたちへ先に行くようにと促してきた。
そして、そのまま最後尾へつく。
なんだろうと思いつつも、わたしは言われた通りに先へ進み、邪魔にならないように黙って振り返った。
すると、今度は歩いてきた道を振り返って膝をつき、先ほどと同じように、でも違う真言をジプシーは唱える。
すぐに立ちあがったジプシーは、わたしたちを一瞥した。
「OK。進むぞ」
そう声をかけると、すぐに先頭へ戻って歩きはじめた。
「あれ? なに? どういうこと?」
なにがどうなったのかわからないわたしは、前を歩くジプシーに声をかける。
すると、わたしの後ろから京一郎が説明してくれた。
「予定通り、最初の金縛り術で、連中の動きを止めたんだ。で、俺たちが通り過ぎたあとで、金縛りが解けてもすぐには追いかけてこられないように、電撃術で軽く意識を奪ったんだろう」
そう口にした京一郎の言葉に、否定をいれないジプシー。
ってことは、きっとその通りなんだな。
なんだ。
すごく静かすぎて、とても闘っている気がしないよ?
敵が姿を現す前に相手の足止めをしちゃうなんて、なんだか拍子抜けだなあ。
まあ、誰の血も流さなくていいんだろうけれど。
でも、この調子で目的地まで、この一連の術を繰り返していくってことなんだよなぁ。
術を連続して使いっぱなしのジプシーは大変かもしれないけれど、もしかして、このまま楽勝でお城まで辿りつけるんじゃない?
わたしは、次の場所に向かってひざまずき、金縛り術をかけているジプシーの後ろ姿を眺めながら、能天気に考えてしまう。
そして、立ちあがって歩きだしたジプシーのあとに続きながら、あと何回くらい繰り返すんだろうと思った。
「――京一郎!」
突然、ジプシーが小さな声で叫んだかと思うと、ざっと草むらをわかせて駆けだした。
黙ってついて歩いていたけれど、そろそろ退屈になってきて、わたしの注意が散漫になったとたんだった。
「ほいきた!」
待ってましたとばかりに、最後尾についていた京一郎が、刀を握りなおして走りだした。
「ほーりゅう! 防御のために身体の前で杖を構えろ!」
急に状況が変わってうろたえるわたしのそばを、京一郎は通り過ぎざまに、わたしの耳もとへ言葉を掛けながら前に躍りでる。
わけがわからないまま、それでも急いで言われた通り夢乃を背後にかばうように立ったわたしは、両手で杖を握りしめた。
なにがどうなったの?
わたしと夢乃から離れるように走る、ふたりの後ろ姿を目で追っていると。
最初の森で現れた十二体の敵と同じ姿をした敵が二体、樹の上からジプシーと京一郎めがけて飛びかかるのが見えた。
――どうして?
なんで、敵が動けるの?
ここっていま、ジプシーの金縛り術が発動していたんじゃなかったっけ?






