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キスメット 【第7章まで完結】  作者: くにざゎゆぅ
【第六章】異世界編 『ダブル・キャリス』
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第211話 ほーりゅう

 とっさに動けないわたしや夢乃や京一郎をかばうように、ジプシーが素早く印契を結び、真言を唱えた。

 応戦のために、我龍も身体ごと湖へ向く。

 湖の水が目の前のふたりを呑みこむかのように、頭から襲いかかった。


 でも、ふたりへ届く前に、水は左右へ切り分けられ、到達先をあらぬ方向へと変更を余儀なくされる。

 きっと、我龍の力とジプシーの防御結界が効いているのだろう。

 それを証明するかのように、獲物に触れられなかったことを忌々しいと感じさせる叫びをあげて、たちまち湖の水は退いていった。


 つい先ほどの状況が、夢かと勘違いするような静寂が戻る。

 けれど、これは、お互いに相手の出方を待つ静けさなんだ。

 ジプシーも我龍も、湖から視線をそらさない。





 ――わたしが不用意に、さっき湖の水に足を浸してしまったからなんだろうか?

 わたしが湖を触発させちゃったのかな。


 防御ができる杖を持っていても、なんの役にも立てないまま抱きしめて、わたしはただ呆然と目の前の出来事を眺めていた。


 ふいに、湖を凝視していた我龍が思いついたようにつぶやいた。


「この水を割って、一気に正面突破するなんて、どう? モーセがしたようにさ。敵にとって不意打ち感もあるし、一番の近道だと思わない?」


 もーせ?


「水を割るって、どういうこと?」


 考える前に、思わず疑問が口から飛びでる。

 そばで一緒に成り行きを見ていた京一郎が、視線を前に向けながらも、わたしの疑問に反応してくれた。


「モーセは、古代イスラエルの民族指導者だ。たしか聖書の中で神の加護を受け、海を左右に分けて、その現れた海底となる乾いた地面を歩いて渡ったという話がある」


 海や湖の水を分けて道を作るだなんて。

 そんなことが、でも、我龍の能力をもってすればできるんだ?


 我龍の提案に対して、ジプシーが意見を口にする前に状況が変化した。

 ふたたび湖の中央で、小さな波紋が起こった。

 緊張感が全員を包む。


 ところが、湖は先ほどとは違って荒々しさを感じさせない。

 なのに見ているだけで、なぜかじわじわと恐怖心が沸き起こり、わたしは鳥肌がたってきた。

 見つめているあいだに、波紋は小刻みに大きくなる。

 立てる波のために、次第に澄んでいる水の浅い底が見えなくなった。


 突如、波紋の中心が小さく盛りあがった。


 我龍は、モーセの海の現象を実際に起こすためか、湖の水が足をぬらすところまでゆっくり進む。

 ジプシーが我龍の動きに反応して補助に入るように、その場で印契を結んだ体勢を立てなおした。


 でも。

 ゆっくりと波紋の中心に姿を見せたのは、ひとりの人間の姿だった。


 水面にうつ伏せていたのか、両手を水底について、ゆるりと上半身を起こす。

 とても長く明るいブラウン色の絹のような髪が陽射しを受けて輝きながら、肩や細い腕を覆っている。

 滑らかな動作で、両膝をついた状態から足を立て、ゆったりと立ちあがった。

 そして、うつむいていた顔をあげ、わたしたちのほうへと向けた。


 この国の、ハイ・プリーエスティスが着ていたような、丈が長く白いワンピースのような衣装。

 濡れているために肌に張りついた衣服のせいで、身体の綺麗な曲線が浮きでる。

 言葉なく見つめて立ち尽くすわたしたちへ、うっすらと微笑みかける女性――彼女は、とても美しかった。


 同性のわたしでも、心を奪われて見とれる美しさだ。

 神話に描かれる美と愛の女神とは、きっと彼女のことに違いないとさえ感じた。

 歳は二十歳になっているのだろうか。

 あまりの美しさに、彼女の声を聞いてみたいと思い、笑うさまが見たいと思い、その滑らかな肌や髪に触れてみたいと思い、そして、彼女の瞳に見つめられたいと思った。


 この場にいる皆が同じ気持ちだったのだろう。

 誰もが息を呑み、魅入られたように言葉を失くしていた。





 ところが。

 その見つめ合う静寂を、我龍が歩を進めることによって起こった水音が破った。

 ゆっくりと彼女へ向かって距離を縮めると、我龍は立ち止まる。


「――ずいぶんと悪趣味なこと、やってくれるよね」


 それは、いままで聞いたことがないくらいに低い、ぞっとするような冷たい声色だった。

 普段から表情豊かな我龍なのに、声に一切の感情がなくなっていた。


 ――本気で怒っている。


 わたしは、いつのまにか震えだしていた自分の身体を両手で抱きしめた。

 嫌なことが起こる前兆だとわかる。

 けれど誰も――さすがにジプシーも動けない。


 我龍の言葉を聞いた女性から、かすかに浮かんでいた笑顔が消えた。

 代わりに苦悶の表情へと変わる。

 その表情さえ惹きつけられると、わたしはぼんやり考えた。


 成り行きを黙って見守るわたしたちの前で、我龍はそれまで押さえこんでいた殺気を一気に放った。

 攻撃を仕掛ける気なのが、はっきりわかる。

 そして同時に、小さいながらもはっきりとした声で、女性がささやいた。


「また、あなたは私に死ねというの?」


 悲痛な色を帯びた声。

 あり得ないことに、その言葉で、我龍が怯んだ様子を見せて……。


 そして、彼の足もとの水が、一気に我龍を湖の中へと引きずりこんだ。



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