第202話 京一郎
ほーりゅうには、冗談めかして言ってみたが。
本当のところは、昨夜のジプシーはかなりブチ切れ寸前、ギリギリの精神状態だった。
だが、朝食前に、ほーりゅうがジプシーとなにかしら話をした直後から、奴の瞳が落ち着いた色に変わった。
俺から見て、起こす行動と思考回路が、普段の奴に戻りつつある。
俺は我龍の様子をうかがった。
すると、言葉には出さないが、彼の口もとに薄っすらと笑みが浮かんでいる。
その表情から、ジプシーの変化は、我龍にも見て取れたらしい。
こうなると昨夜、ジプシーがいないあいだに、俺と我龍で話をした内容を奴にも伝え、力を合わせる方向で作戦を練るほうがいいかもしれない。
俺は我龍へ、意味ありげに視線を送った。
どうやら勘の良い我龍は、俺の言いたいことがわかったらしい。
「お好きに。戦力になるなら、俺はかまわない」
そう告げた我龍へ俺はうなずき、ジプシーを外へとうながした。
絶対に、ほーりゅうと夢乃には聞かせられない内容だ。
ふたりだけで扉の外に出る。
ほーりゅうの持つロザリオの中の石が、我龍を呼んだという部分は、これからの作戦に関係がないと考え、俺はジプシーに話さなかった。
我龍が先陣を切っての斬り込みを買ってでたというところと、この状態が夢ではなく、現実である可能性が高いというところを、小声で話す。
ジプシーは腕を組んだまま目を閉じて、じっと俺の説明に耳をかたむける。
話が終わっても、しばらく動かない。
俺は逆に安心した。
この考えこんでいる「間」は、いつもの彼だ。
黙ってそばで待つ。
しばらく経ってから、ジプシーは目をあけると無言で俺にうなずき、部屋の中へと戻った。
部屋へ入ると、ジプシーはテーブルに近づき、立ったまま水の入ったグラスをひとつ、手に取る。
グラスの中の水を、窓から射しこむ朝日にかざして色を見ながら、ジプシーは口を開いた。
「おまえが自分で斬り込みを買ってでたのなら、俺が口をだすことじゃない。遠慮なく、俺は防衛に回らせてもらう」
「ふぅん。ようやくやる気になったか」
我龍の、憎まれ口ともとれる言葉を無視し、ジプシーはグラスに向かって、静かに真言を唱えだす。
皆が固唾を呑んで見守る中、長い真言を唱え終わったジプシーは、俺に目配せをした。
ジプシーの行動の意味を察した俺は、ジプシーへ近づく。
椅子に座らせた俺のうなじにかかる髪をかきあげると、ジプシーはグラスの中の水を指につけ、素早く術発動の陣を描いていった。
「おまえは必要ないな」
目も合わせず、ジプシーは我龍に短く告げる。
「俺は攻守一体型なものでね」
俺の横で、ジプシーの手もとを面白そうに見つめながら、我龍はすぐに返した。
俺に陣を描き終わると、続けて夢乃の首筋にも、ジプシーは陣を描いていく。
そして最後にジプシーは、椅子に腰をかけていたほーりゅうの後ろへ回った。
「こそばゆくない? 変なこともしない?」
そう聞きながら無防備に両手で髪をかきあげたほーりゅう。
その彼女の耳もとへ、ジプシーは後ろからおもむろに唇を寄せると、ふっと息を吹きかけた。
「うっひゃあ! なにすんのよ!」
飛びあがって立ちあがり、距離をとってジプシーへ指を突きつけたほーりゅうに、いつもの無表情でジプシーは言った。
「言葉に出すってことは、期待していたからだろ? ほら、真面目に防御の陣を描くから、おとなしく座れ」
赤くなったまま警戒しつつ、もう一度座りなおしたほーりゅうのうなじに、ジプシーは皆と同じように陣を描く。
冗談ができるほど、奴の中に余裕が生まれていると見て良いのだろうか。
そんな風に考えた俺は、意見をうかがうように我龍へ視線を移すと。
そのふたりの様子を、いつの間にか表情から笑みが消えていた我龍が、じっと見つめていた。
だが、俺の視線に気づいた我龍は、すっと俺に笑顔を向ける。
「この国の食べ物、俺たちのいたところと見た目は大差ない感じだな。問題は味だよね」
「朝ごはんだ、朝ごはん」
そう言って嬉しそうに一番にテーブルについたほーりゅうの右隣へ、さりげなく我龍がついた。
丸いテーブルなので、俺は我龍の横へ座り、続いて夢乃が席につく。
だが、ジプシーはグラスを片手に持ったまま、広い床にひざまずいた。
そして、素早く梵字の含まれた陣を描いていく。
「ジプシー、食事は」
「あとでいい」
俺の言葉を最後まで聞かずに、ジプシーは即答する。
このまま最後まで食べない可能性もある奴だ。
しっかり監視しないといけない。
テーブルの上を見渡すと、この国で食べられているらしい乳製品をメインに、陶器の大皿へ料理が並べられていた。
どうやらこの国は酪農が盛んのようだ。
チーズやヨーグルト、ミルクに、ハムがある。
俺たちの世界にいる牛や豚と同じような生き物がいるのだろうか。
さっそくテーブルの中央にあった、主食と思しきパンのようなこぶし大の焼きたての食べ物に、ほーりゅうが手を伸ばす。
ひとつを自分の皿に置くと、そのそばに、作りたてにみえるバターをたっぷりと乗せた。
そして、世話係のラ・ビアがよそったスープをスプーンでぐるぐるかき混ぜて、すくいながら彼女は言った。
「ねえねえ、このスープの中身って、ジャガイモにみえるよね。わたしたちのいた世界と、同じ種類の芋かなあ。どんな味だろう? 香りは美味しそうだね」
そのまま口をあけ、まさにパクつこうとしたほーりゅうの動作を、目の前だった俺は、なんとなく眺めていたが。
急に彼女の隣の我龍が、人差し指でほーりゅうのスプーンの柄を押し、くるっと方向を変えた。
そして、スプーンに乗っていたスープの具を、素早く我龍が口に含む。
一瞬のことで唖然としているほーりゅうへ、にこやかに我龍は告げた。
「見知らぬ土地で、初めて食べる最初の一口は警戒しなきゃ。俺は大丈夫だよ。たいていの薬物の耐性はつけているし。たとえ即効性の毒でも、俺なら吐きだせるしね」
そして、いまの我龍の行動に対してなのか、術のためなのか、無言で瞳を伏せたジプシーへ振り返り、笑顔で我龍は続けた。
「美味しいよ。皆の口に合うんじゃない? 召喚が終わったのなら、しっかり食べておいたほうがいい。おっと、これは挑発でもなんでもない、ただの話だって」
我龍は、初めて目にするであろうジプシーの陣を、式神召喚の陣と気がついていたようだ。
相変わらずの彼の情報収集能力に驚きつつも、我龍のその言葉を、とくに深い意味の感じられないものと受け取って、俺もスプーンを手にした。
ジプシーを含めた全員の食事が終わるころ、扉が開き、ハイ・プリーエスティスが姿を見せた。
昨日と変わらない装飾をまとった服装と、側近の女性たちを従えた彼女は、俺たちの様子を確認したあと、厳かに切りだす。
「話は聞いた。あとで世話の者に地図などを持たせるので、その者から詳細を聞くが良い。そして武器を所望だとか。お眼鏡にかなうかどうかわからぬが、ひとつ面白いものがある。この城の裏に位置する岩山の上に、いつの頃からか、武器と思われるものがひとつ存在する。人工的に造られた物のようだが、我々がいままで見たことがない形状の物だ。どのように扱うかもわからぬ。だが、異世界からきたそなたたちなら、使いこなせる物ではないだろうか」






