第200話 京一郎
俺は、聞いてはいけない会話を、立ち聞きしているのだろうか?
部屋へ入ることも、また立ち去ることもできずに、俺は扉の前で呆然と身を固くした。
「逃げ回っているのは、おまえも同じだろ!」
「残念だな。貴様と違って俺には兄上がいる。兄を差し置いて王位に就く意思などないことを、父上にも兄上にも申告済みだ! 逃げ回ってなどいない!」
「よく言う。おまえの国は武力国家じゃないか! 血縁者で力さえあれば、誰でも王位を継げるんだろ? 兄が第一継承者とは限らないはずだ。なによりもまず、王家の紋章を背中に刻んで王族特有の長髪で、一族の反勢力の追手がいつまでもかかっているのは、おまえ自身が王位継承にこだわっているからじゃないのか!」
「背の紋章は勝手に父上にいれられたんだ。それに長髪は俺の趣味! 追手も、兄上の母親が――現国王の第一王妃が実子を王位に据えたいがために、ただ俺をつぶしたがっているだけだ! 第一いま、俺の国事情は貴様には関係のない話だろう?」
――だいたいの、ふたりの事情が読めてきた。
いまの会話が正しければ。
ちょっと家柄がいいどころじゃない。
このふたりの身分の高さ、国レベルってことじゃねぇか!
ただ、出身国がお互いに違うのだろう。
ジプシーのところでは、おそらく亡くなった母親が国の第一王位継承者だったために、ジプシー自身に継ぐ気のない王位継承権が移ってきているんだ。
一方で我龍のほうは、第一王位継承者の、おそらく血が半分つながった兄がいるが、下克上ありの国の第二王子。
本人がその気になれば、王位が継げるのだろう。
――おいおい。
お互いの国のトップシークレットを、他人さまの家で、外まで聞こえるでかい声で怒鳴り合ってんじゃねぇよ。
「肝心な話になると逃げるのか? それだったら、初めから手を引けと言っているんだ!」
我龍の発せられた言葉と同時に、俺の目の前の扉が勢いよく押し開けられた。
そして、部屋を飛びだそうとしたジプシーと、俺は目が合う。
一瞬、驚いた顔をしたジプシーだが、すぐにこわばった表情になり、無感情な声で俺に告げた。
「頭を冷やしてくるだけだ。すぐに戻る」
そして、俺の返事を聞かずに廊下を駆けていった。
俺は流れとして、開かれた扉の中へと足を踏み入れる。
すると今度は、俺と目が合った我龍が、照れたような笑みを浮かべた。
「悪いね、京一郎。奴と言い争いをする気はなかったけれど。――この世界の雰囲気に呑まれた」
俺は、頭の中で状況を整理する。
異世界にいると思われる現状、それに俺はジプシーから、はっきりとした出身地を聞いていない。
それを踏まえて、我龍は、この世界の情報に詳しい。
その我龍が、ここの雰囲気に呑まれた――ということは。
まさかと思うが、我龍とジプシーは、俺たちがいた現実世界の国ではなく、こちらの異世界にある国の出身ということになるのだろうか……。
俺は、さすがに尋常ではない状況と話内容で詳細を聞きたかったが、ぐっと思いとどまる。
「気にするな。安心しろよ。外まで聞こえていたが、俺は、おまえやジプシーの事情に首を突っ込む気はないし、他言もしない」
そう簡単に話したがらないであろう我龍の事情を察して、言ったつもりだったが。
我龍は、なんともいえない表情を浮かべて。
――そして、俺を見つめてつぶやいた。
「そうだよな」
俺は、予想をしていなかった我龍の表情を、唖然として見返す。
「そりゃ、まだ付き合いの浅い京一郎に、察してもらいたいと思うことが、甘いよな」
いままでからは考えられない、消え入りそうな我龍の声だった。
泣きだすのではないかと思わせる光を宿した瞳を伏せるように、そのまま我龍は、視線を床へ落とした。
――我龍は、そうだ、いままでひとりで闘ってきた奴だ。
勝手に俺は、我龍は自ら孤高を持しているのかと思っていたが。
本当は、ひとりで闘わざるを得なかったからなのか?
俺は、いまの我龍に、俺たちと同じ十六歳の表情と、ジプシー以上の孤独の影を見た気がした。
「我龍」
俺が思わず名前を呼んだとき、顔をあげた奴の表情には、先ほどまでの陰りはなかった。
いつもの陽気な表情で、強い光を湛えた眼を俺に向ける。
「おっと! 京一郎、ここからは真面目な、これからの話だ。頭に血がのぼっている奴とは、まともに話ができそうにないからな。もっとも、奴がキレているのは俺のせいなんだけどさ。だから、京一郎とふたりだけのいま、打ち合わせたい」
そう口にしながら屈託なく笑った。
俺は話を逸らされ、それ以上の言葉がでなかった。
そんな俺の表情に気がついているだろうが、我龍は構わず話を続ける。
「夢乃とふたりになったときに、なぜ俺がここへきたのかと聞かれた。そのあと、俺なりに理由を考えたんだ。京一郎は、カディアが意思を持っているということを、奴や紫織から聞いているかな? 俺のカディアは、全てにおいて俺に従順だ。だが、紫織のカディアは、彼女を主と認めてはいるようだが、紫織の意識がないときは、どうやら単独で行動している気配がする。そのような様子が、いままでになかったか?」
俺は頭を切り替えて考えた。
石が考えを持つなどと信じられないが、願いが叶うキャリスの存在など現在の状況を考えると、嘘だと笑い飛ばせることではない。
真剣に考えた俺は、ほーりゅうの言葉を、ふと思いだした。
「――たしか出会ったころ、ほーりゅうの能力を初めて聞いたときに、夢遊病のように無意識に力がでるって言葉は聞いたことがある気がする。しかし、意思を持つとは」
俺の返事を聞いた我龍は、苦笑して言葉を続けた。
「紫織のカディアは、俺を嫌っているようだが、俺の力はあてにしているらしい。察するに、俺を巻きこんでここへ呼びつけたのは、紫織のカディアだ。石のくせに、いい根性をしているよね」
その言葉が本当なら、カディアという石は、すごいパワーを秘めていることになるんじゃないだろうか?
「――俺とのいさかいで、いまの奴は戦力にならない。それに、なんだかんだ言っても、奴は結局甘ちゃんだ。どんなに状況が変わっても、おそらく人や敵を殺すなんてことはできない。俺は、命令されるのは基本的に嫌いだが、今回は紫織のカディアに利用されてやる。安心しろ。皆の手が汚れないように、俺が先陣を切っての斬り込み隊になってやるよ」
そう言って、なんでもないことのように笑う我龍を見つめたが。
俺は我龍に対して、頼もしさと同時に、やはり先ほど感じた孤独の影を見た。
俺は、飛びだしたジプシーを追いかけたい衝動に駆られる反面、そんな我龍の目の前で、奴を追いかけていくことを憚った。
すると、俺へ向かって、我龍が思いだしたように口を開く。
「あ。あと、皆がずっと話題にしていたことについてになるけれど。この状況は、紫織の夢の中ではないかという話ね」
「ああ、そうだ。俺らは明らかに眠ってここにやってきたからな」
我龍はうなずいて、言葉を続ける。
「考えとしては、二通りある。これは全部が本当に紫織の夢で、なにが起こっても最後には無事に全員が現実の世界で目を覚ます。これがひとつ。もうひとつは、この夢自体が肉体も伴った現実であって、もしここで殺られたら最期。――そして、俺の知識と感覚では……本当のことを言えば九十九パーセント、後者だ。なぜなら、肌で感じる空気からもわかるのと同時に、俺はこの国を、現実に存在する国として知っているからだ」
突然の話の内容に、俺は言葉がでない。
そして、この我龍の言葉は、先ほど俺が考えた、彼とジプシーの出身地を裏づけるものとして響いた。
黙りこんだ俺へ、さすがに笑いを消した我龍が、静かな声で告げる。
「夢乃や紫織には、とても言えない。だからできるだけ俺が全員を護り切って、無傷でキャリスのところまでたどり着きたい。――京一郎、絶対に死ぬなよ」






