第20話 ジプシー
頭のなかには、この広い屋敷の見取り図や監視カメラの位置、出入りしている連中の数などがすべて入っている。
その情報を元に、もっとも危険の少ない廊下を通り、安全な部屋の前を横切って、俺は、できるだけ脱出のための最短の道を選んで進んだ。
そして、どんな場合でも無益な殺生を望まない。
唯一のポリシーを守るために、俺は出会う敵をぎりぎりまで接近戦に持ちこみ、素手で倒していった。
俺は、自分が小柄だと自覚している。
だから本当は素手の格闘には向かないのだろうが、相手の体重や反動を利用し、持っている技を全力で駆使していった。
しかし、次から次へと出てくる相手に、さすがに俺は、うっかりため息とともにポツリとつぶやいてしまった。
「なんだか質より量って感じ。多すぎ」
すると、いままで必死に俺の後ろをついてきていた少女が、心配そうに顔をのぞきこんできた。
「あの……、あなたの身体は大丈夫ですか? それに、その――いまの方、あんなに思いきり殴っちゃってよかったのですか?」
「確実に一撃で倒していかないと、こっちが殺られるだろ」
つい切り口上で返事をしてしまい、たちまち彼女は委縮するように黙りこんだ。
いまの言い方、少々きつかったか。
直後に、そう思いなおした俺は、すぐさま言葉を足した。
「大丈夫です。あなたは心配しなくていいので」
そして、彼女へ向かって、余裕に満ちた笑みを向ける。
なんだ。
まだ俺、笑う余裕があるじゃないかって気になってきた。
やがて襲ってくる連中が途切れ、壁一枚で屋敷の庭に出られるという段階になったとき、俺は近くの部屋へと滑りこんだ。
高価な調度品が置かれているが、普段は使われていないような空気の流れがない部屋で、俺は、電気をつけずに内側から鍵をかける。
「いまから庭を抜け、闇に乗じて正面の門からでようと思います」
「え? 庭って……? でも、外灯があるみたいだし、窓から家の明かりももれているし。闇に乗じてって……」
窓の外の明かりへ目を向けながら不安そうに口ごもる彼女に、まあ見てなという感じにうなずいた俺は、リボルバーをホルスターへ戻す。
そして、両手のひらを合わせて指を絡ませると印契を結んだ。
口の中で小さく一連の真言を唱えると、部屋に敷き詰められた毛長のカーペットへと、両手のひらを押しつける。
昨夜のうちに時間をかけて、屋敷を取り囲む壁の四方へ外から仕掛けておいた梵字円が、この俺の行動に連動しているはずだ。
改めてそう考えたとき、四角く区切られた空間が、ぐらりと地下深く沈むような感覚を生みだした。
これで一時的ではあるが、この敷地内での生物は、俺とそばにいる彼女、また偶然にも特殊な条件を満たした者以外は、金縛り状態となっているはずだ。
「あっ」
屋敷の内外で、一斉に明かりが落ちた瞬間、彼女が小さな驚きの声をあげた。
「大丈夫、こちら側が仕掛けたことです。だから、俺たちが脱出するまで暗闇の状態となります」
顔をあげた俺は、詳しいことを説明してもわからないだろうと思って、彼女にそれだけを告げる。
そして部屋の窓へと近づき静かに押し開けると、確認するように庭を見渡した。
先に俺が窓枠を乗り越えて外へ出る。
庭に放たれているはずの5匹のドーベルマンの気配は近くにない。
うまく術にかかって金縛り状態になったのだろう。
術の発動時間内に、この暗闇のなか、気配と殺気だけで術にかかりきっていない残る連中をかわして表門を突破する自信が、俺にはある。
「いまなら表門までこのまま突破できそうです」
そう伝えながら、俺は彼女に手を貸して、窓を乗り越えさせる。
「広い庭だから離れないように。大丈夫。こんなことは俺にとっては日常茶飯事なんだから、それを信じて」
「ふぅん」
それは、目の前の可憐な少女から発せられた声じゃなかった。
言い訳ではない。
だが、たぶん彼女と同じくらい、この女にも殺気がなかったからだ。
まさかと思いながら振り向いた俺は、幻ではないほーりゅうの姿を認め、比喩ではなく本当に頭を抱えて、がっくりと脱力した。






