第189話 ほーりゅう
「そなたたちに、この聖杯はみえているのか」
わたしたちをこの部屋へ導いてきた女性は、キャリスをみつめたまま、言葉を淡々と口にした。
部屋の中には、わたしたち四人のほかに、この年配の女性と、初めからこの女性に同行していた男性だけが足を踏みいれている。
側近らしき女性たちは、開いた扉の外で静かに控えていた。
彼女の意図することが、まだわからない。
下手に大きなリアクションをとらないほうがいいと、ジプシーの目が暗黙に伝えてきた。
それがわかったわたしたちは、その女性の問いに無言でただうなずく。
「ならば、そなたたちは、このキャリスに触れられるか」
女性が言葉を続けた。
――触れられるとは、どういう意味だろう?
わたしは改めて、目の前のキャリスと呼ばれた器をじっとみつめた。
直径三十センチほどの円台の上に置かれた、高さが十センチほどの手のひらに乗る小さな器。
どのような素材なのか、透き通った赤い、朝顔形の、とくに装飾も施されていない、表面がつるんとしたキャリス。
触れられるかって訊ねられたからには、いまここで手をだして持ちあげてみても、いいのだろうか?
わたしが、試しに触りたくなって、すごくうずうずしているのが、隣にいるために気配でわかったのだろう。
女性の表情から視線をそらさず、ジプシーは訊いた。
「このキャリスはなんだ。触れることで、なにが起きる?」
ジプシーの言葉を聞いた女性は、そばの男性に向かって、目で合図をだした。
促されて、男性がキャリスに近寄る。
そして、右手をあげてキャリスに触れようとした。
瞬間、パシッと音がして、男性の手がはじかれる。
その様子をみつめながら、女性は抑揚のない声でいった。
「危険はない。触れられなければ、このように痛みもなくはじかれるだけだ」
いまの様子をみる限り、嘘はない感じ。
実際にはじかれた男性も、そのあとに右手をちょっと振っただけで、本当に痛みも怪我もなさそうだ。
どうしようかと迷ったとき、京一郎が進みでた。
「みていても埒があかねぇし。呼ばれた理由がこれなら試すしかねぇだろう?」
静止する間もなく、京一郎は左手を持ちあげて、キャリスに触れようとした。
そして、先ほどの男性と同じように、音をたててはじかれる。
「うっひゃあ! ――ちょっとビビるけれど、たしかに痛くはないよな」
男性と同じように左手を振りながら、京一郎が振り返り、苦笑いを浮かべてわたしたちに告げた。
――でも、これって。
本当は、この場に呼ばれたのはわたしなんだよね。
とすると、可能性として、わたしは、触ることができるのではないのだろうか?
当然、ジプシーをはじめ、夢乃も京一郎も、そう思ったのだろう。
三人の視線がわたしへ集中した。
覚悟を決めたわたしは、ゆっくりと歩みでた。
キャリスの前に立つ。
さっき、京一郎はわざと左手をだした。
なにかあったときに、利き手を護るためだったのだろう。
とすると、わたしも習って左手をだしたほうが良いのだろうか。
そう考えたわたしは、左手の人差し指をキャリスに向け、おそるおそる突っついてみる。
そして、はじかれることもなく、わたしの指はキャリスを突き刺した。
「あれ?」
思わず声をだして、わたしは自分の指を引っこ抜く。
そして、今度はキャリスをわしづかみするように、左手を豪快に突っこんだ。
手ごたえが、まったくない。
わたしの手は、丸ごとキャリスを突き抜けた。
「これ、どういうこと?」
キャリスのある位置で手を振り続けて、スカスカと触れないままわたしは振り返り、ジプシーと女性とを交互にみる。
「ホログラム……立体映像ってことか?」
ジプシーも予想外だったらしく、やや唖然としながら、キャリスから女性のほうへ視線を走らせる。
そして、そこに相好を崩した女性をみた。
「そちらの少女が、私の招いた客人のようだ。我が国のために頼みをきいてもらえぬか」
「このキャリスは、この場にはない。実際は、この城から少し離れた、森と湖を抜けたところに建っている城の塔の中にある」
森と湖。
さっきわたしが偶然に窓からみた、塔をくっつけたお城のことだろうか。
「先ほど試させてもらったのは、キャリスを包む空間が、この世界とは異質なものであってな。この世界の者は、その空間の違いに阻まれるため、キャリスに直接触れることができぬ。ただ、この円台の上にキャリスを包んでいる同じ空間を呼びだすことができた。ゆえに、この空間を突き抜けて本物のキャリスに触れることができる者を、ずっと私は探しておった」
「それで、このキャリスになにがあるんだ? なぜあんたは手に入れたい?」
ジプシーが考える態勢に入ったのをみて、代わって京一郎が質問をした。
女性が答えようと、口を開きかけたとき。
「失礼致します。ハイ・プリーエスティス。あの……」
開いた扉の外から、側近の女性のひとりが、戸惑った様子で小さく声を発した。
「いまは客人と話をしておる。あとにしろ」
切り捨てるように、ハイ・プリーエスティスと呼ばれた女性がいった。
慌てて、側近の女性が、頭を垂れて後ずさる。
一喝したハイ・プリーエスティスは、ころっと態度を変えると、わたしに笑顔を向けて、こびるような口調になった。
「このキャリスは、手にする者の願いを叶えるといわれておる。是非とも、我が国の繁栄のために、このキャリスをあの塔の中から持ちだしていただきたい」






