第188話 ほーりゅう
「誰が寝られないって?」
耳もとでそうささやく声に、わたしはゆるゆると起こされた。
掛け布団を探す手が空をつかみ、ようやく、はっと目が覚める。
慌ててわたしは上半身を起こし、周りを見渡した。
そして――絶句する。
目が覚めた場所は、わたしの家の居間ではなく、なにも物が置かれていない、だだっ広い場所だった。
わたしが寝ていた床は、つるつるに磨き抜かれたような石でできている。
周囲の壁は、重厚な石が隙間なく積まれて造られている様子。
ひとつだけある、ぴったりと閉められた大きな両開きの石の扉も、豪華で精巧な細工が施されていた。
そして、ドーム型に石が積まれた天井は高く、上位置に数カ所あるガラスもなにもはまっていない窓から、気持ちの良い涼しく緩やかな風とともに、明るい月の光がこの部屋を満たしていた。
「なに? ここ! どこ?」
「俺も聞きたい」
ようやくわたしは、たまたまそばにしゃがんでいた京一郎の胸ぐらをつかんで叫んだけれど。
あっさりと言葉を返された。
順番に夢乃とジプシーの顔へ、わたしは視線を移したけれど。
ジプシーがわたしに向かって両手をあげ、一番言って欲しくないことを無感情に告げた。
「お手上げ状態。たぶん、おまえが毎晩見ていたという夢の中だと思うとしかいえない。俺は眠っていなかったが目をつぶっていた。だが、空気が変わった気配で目を開けたら、もうこの場所だった」
「まずは、状況把握だよな。なんだか空気が日本って気がしねぇし」
静かな建物の中で声が反響するため、小声で京一郎がささやく。
ジプシーは、部屋の状況を一通り眺めたあと、唯一の扉に視線を固定していった。
「夢の中だと想定すると、常識は通用しない。ただ、触れるものはすべて、いまのところは間違いない質感がある。京一郎、俺たち全員、たぶん着のみ着のままできているよな」
いまは靴さえはいていない状態だから、床から石の冷たさが伝わってくる。
「それ以外では、ロザリオと俺の独鈷くらいか。銃を身につけていなかったのが痛いな」
そうつぶやいたとき、ジプシーが目を眇めた。
その変化に気づいた京一郎が、わたしと夢乃を背にかばうように扉へと向き直る。
皆が見つめている中で、ゆっくりと両方の扉が部屋の外側へと開かれた。
姿を現したのは、袖のたもとがゆったりとした丈が長く白いワンピースのような衣装の、年配の豊満な女性だった。
額や胸もと、腕などを飾った、黄金の細かい装飾のアクセサリーが、身分の高さを強調している感じがする。
そのあとに続いて、やはり年齢の高そうな男性がひとり入ってきた。
こちらも似たような姿だけれど、衣服の丈が若干短く、下にズボンのすそが見えた。
やわらかそうな生地の靴。
そして、簡素な服装の数人の歳若い女性が存在感なく、扉の外に並んでいるのがみえた。
「そなたたちが、私が所望した客人か」
その女性は、張りのある声で問うてきた。
隙のない眼光が怖い。
「呼ばれたのはたしかなようだが、こちらも状況が把握できていない。そちらが望みの客とは、どういう者のことだ」
臆することなく、ジプシーがすぐに聞き返す。
真正面からジプシーの視線を受けた女性は、しばらく無言でジプシーをみつめたあと、踵を返しながらいった。
「ついて参れ」
一瞬、顔を見合わせたわたしたちだけれど。
その女性を先頭に、さっさと移動する集団のあとに続いた。
ここに留まっていても仕方がないし。
この女性は驚いた様子もみせなかった。
この流れから考えると、なにかしら事情を知っているのだろうから、説明をしてくれるだろう。
部屋からでると、同じような石で作られた広い廊下が続いた。
ところどころ、建物を強化するためのような一抱えはある大きな柱が、廊下の途中に立っている。
先ほどまでいた部屋とは違って、廊下に設置されているガラスのはめこまれていない窓は高さが低いので、わたしは歩きながら外の様子をのぞいた。
この場所って、高さとしては、建物の三階くらいの位置になるんだな。
そして――ここは京一郎の感じたとおり、やっぱり日本じゃない。
みたことのない風景が、月の光の下で広がっていた。
外国の写真でみるようなお城が、いくつか遠くに白く浮かんでみえた。
周りは山や森の影らしき黒い部分。
その森を越えた、たぶんここから一番近いお城には、妙に高い塔がくっついていた。
また、左手には空間の一部を切り取ったように視界が開け、海なのか湖なのかがみえる。
ありえないほどの大きな上空の黄色い月が、小さな波に壊されることなく綺麗な円で、その水面に映っていた。
この風景からすると、わたしがいまいるここも例にもれず、きっとお城なんだろうな。
「あまり、きょろきょろするな」
わたしの隣を歩いていたジプシーがささやいてきた。
「でも、気になるもん」
「状況を考えたら、今回ここに呼ばれたのはおまえだ。俺たちはおまけの可能性が高い。絶対に俺のそばから離れるなよ」
そうか。
夜な夜な夢にみていたのは、わたしだものね。
そして――もし、わたしがひとりで寝ているときに、この状況になっていたらと考えると、ぞっとした。
身震いしたわたしは思わず、そばを歩くジプシーの服のすそをつかむ。
しばらくして、ある扉の前にくると、ようやく女性の足が止まった。
控えていた者が進みでて、両側の扉をゆっくりと開く。
躊躇なく部屋に足を踏みいれた女性と、あとに続く男性の次に、促されたわたしたちは部屋の中へと入る。
やはり石造りの部屋。
今度は窓のない、大きさとしては六畳ほどの広さだ。
その中央に、腰までの高さがある直径三十センチほどの円台があり、その上に置かれた、口が朝顔形に開いた透明度のある赤い小さな器がひとつ、わたしの目に映った。
そのとき、女性が口を開いた。
「そなたたちに、この聖杯はみえているのか」






