第184話 ほーりゅう
「なんで? 我龍はわたしに触れていないのに、どうしてなにかあったってわかるのよ!」
この状態の気持ちのまま接触精神感応者の我龍に触れられては大変と、わたしは話題をそらすように叫んだ。
我龍は、しばらくわたしの様子を楽しそうに眺めていたけれど。
やがて、わたしをからかうことをやめたように両手をおろした。
そして、寄りかかるように長机に身体をもたれさせ、片肘をつきながら我龍は口を開く。
「紫織は、サイコメトリーって知っている?」
サイコメトリー?
いままで聞いたことがない言葉だ。
「知らない。なに、それ」
「サイコメトリーは、物に触れたりすることで、それにまつわる残留思念を読み取る能力のこと。俺はサイコメトリストではないけれど、接触テレパシストだ。意思を持ってサイコメトリーはできないが、そこにこもった想いが大きいと、意識せずに読み取れることがある」
それって……。
わたしがいくら自分自身の意識を抑えていても、そのものにあらかじめ感情が入っていたら、結局は気持ちを読まれちゃうってこと?
それじゃあ、バレンタインデーのチョコレートを、さんざん義理っぽくお礼だのなんだの言って渡したのに。
わたしの気持ちがバレバレじゃん!
恥ずかしさで、よろよろと向かいの長椅子に座りこんだわたしの様子を眺めながら、我龍は言葉を続けた。
「まあ、奴が、紫織を通して俺まで伝わると思ったのか、わざわざそれを狙ったのかわからないけれど。そう。そこまで考えていたとしたら、前回のことといい、奴は俺を挑発しているのかな。それとも牽制しているつもりかな? ――当の本人は全く気がついていない様子だし。奴も苦労するよなぁ」
そして、我龍は楽しそうに肩をゆすって笑った。
いまの我龍の言葉を聞いて、わたしは首をかしげた。
読み取られたのは、わたしの気持ちじゃないの?
奴ってジプシーのことだよね。
なんでジプシーの感情が、チョコを通して我龍に伝わったのだろう?
それに、ジプシーの我龍に対する感情って、憎悪でしょ?
なんで我龍は、それを笑って受け流せるんだろう?
ジプシーからの挑発ってのは、わからないでもないけれど、牽制って、なにを牽制するの?
考えてもわからなかったわたしは、話題を変える。
いつまでもこの件を引っ張っていたら、なにか墓穴を掘っちゃいそうな気がするから。
「ねえ。我龍とジプシーって、どこがどうとはいえないけれど、なんだか似ているよね。お母さん同士が親友だったんでしょ? 島本さんからみても、我龍とジプシーは似ているっていっていたらしいし。ふたりとも、いまの誤解を解いて溝を埋めたら、絶対に仲良くなれるんじゃないの?」
わたしは、思いっきり期待をこめて口にしたけれど。
肩をすくめて、我龍はあっさりと返してきた。
「たしかに、以前にも奴を知っている人物から、俺と奴とはどこか似ていると思われたことがある。けれど、奴とのあいだの溝を埋めるのは無理な話だな。俺がわざわざ作った溝だし、埋める気が、俺のほうにない」
――わざわざ作った溝で、埋める気がないの?
――どうして?
そんなわたしの不思議そうな顔を眺めていた我龍は、ふと視線をそらせた。
そして、床の上に広がる、月明かりで映しだされた色鮮やかなステンドグラスの像に目を向けた。
「――紫織。奴はきみがここにくることを、心配しているようだね」
急に物静かな口調で、我龍は話題を変えて話しだした。
まあ、ジプシーは、前に我龍がわたしに酷いことをしたと思っているし、本当に心配しているかもしれない。
でも、なんで急に突然、そんなことをいうんだろう。
つられるようにわたしは、我龍が見つめている床に映しだされたステンドグラスの像へ、同じように視線を向ける。
そして、あることに気がついた。
床に映しだされたマリアさまのステンドグラスの像。
その周りを切りとっているアーチ型の窓枠の下方にあたる部分に、ちょうど羽根をたたみながら舞い降りる鳥の影が、薄っすらと映った。
わたしは振り仰ぎ、月明かりで逆光となった高い位置の窓を見上げて確認する。
でも、そこに鳥の姿はない。
どこにも鳥がいないのに、映る鳥のような影。
――なんで?
首をかしげたわたしの様子に気づいたのか、我龍は面白そうに笑った。
「そうか、紫織には本体が視えていないんだ。たぶん、家をでたころから、ずっときみについてきていたと思うよ」
それって、鳥の影だけがついてきているってこと?
なんだか変なの。
「護るべきものができて、それで強くなれるか。反対に足を引っ張られるか……。それは奴のこれからだな」
ますます怪訝な顔になったであろうわたしに向かってなのか。
それとも、誰に向かっていった言葉でもない独り言なのか。
床に映っている鳥の影を見つめたまま、そっと我龍はつぶやいた。
「紫織。いまからひとりでここをでて帰るんだ。俺は、送らない」
鳥の影から我龍の顔へ視線を移したわたしに、同じように視線をあげて見つめ返してきた彼は、笑顔を浮かべて告げた。
「俺はいま、奴と鉢合わせて一戦交える気がないんだ。だから、きみを送っていかない」






