第177話 ほーりゅう
目を開くと、どこからか視線を感じた。
なので、寝たままで何気なく横を向く。
すると、なんとベッドの脇で屈んでいたジプシーが、じっとわたしの顔を見つめていた。
「ちょっと! なに、人の寝顔を見てんのよ!」
なにやってんの?
この男!
わたしは慌てて、身体を起こそうとした。
ところが、その動作を、ジプシーに肩をつかまれ止められる。
怪訝な表情になって見返したわたしに、ジプシーが言った。
「急に動くな。――頭や身体で、どこか痛いところはないか?」
痛いところ?
あれ、そういえばわたしって、いまはどういう状態なんだろう?
それでも、とりあえず訊かれたことには答えようと、手や足を動かしてみる。
「別に痛いところはないよ。ねえ、わたし、どうしてここで寝ているのかなぁ? それより、ここどこ?」
わたしの質問に答えず、さらにジプシーは訊いてくる。
「記憶が抜けているという感じはないか? 例えば、最後に自分がどうして倒れたのか、覚えているか? ――俺が誰だか、わかる?」
倒れた理由?
わたしは、ようやく身体を起こしてから考えこんだ。
たしかわたしって、我龍と三時のお茶会をしたんだ。
我龍自身のことと我龍とジプシーの関係を、そのときに聞いた。
そして、最後に我龍がそばに寄ってきたときに、わたしの意識がなくなったんだ。
そう思いだせるってことは、わたしの記憶は残っているよなぁ。
「誰って、ジプシーはジプシーだよね。記憶は普通にあるよ? とくに抜けている感じはしないけれど。なんで?」
わたしの答えを聞いたジプシーは、やっぱりわたしの質問には答えてくれず。
そして――なぜかそのまま、両腕でわたしをゆっくり抱きしめた。
いったい何ごとだ、この抱きつき魔! って言おうと思ったけれど。
わたしはジプシーの肩越しで、部屋の入り口に立っている夢乃と京一郎となぜか一緒にいる島本さんが、ほっとしたような表情を浮かべていることに気がついた。
わたしはようやく、多分だけれど、なんとなく状況が飲みこめる。
我龍についていったことによって、わたしは皆に、心配をかけちゃったんだ。
「ごめんなさい」
素直に言葉が口からこぼれた。
島本さんのマンションから出て、わたしは通りを見渡した。
すっかり日が暮れていたけれど、周囲の家の窓から漏れる明りと街灯で、意外とこの辺りの住宅街は明るかった。
隣の通りに面しているのか、少し離れたところの屋根が重なっている先で、わたしが我龍と出会った教会の屋根と十字架が、かすかに見えた。
そうか。
島本さんのマンションから教会は、そんなに離れた場所じゃなかったんだ。
わたしの家まで、ジプシーが送ってくれることになった。
ひとりで帰られると言ったけれど、京一郎が送ってもらえと言って譲らなかった。
とくに会話もなく、わたしは自分のマンションに着く。
黙ったままわたしの前を歩くジプシーは、もういつもの彼だった。
本当は、我龍に聞いた話を話題にしたいところだけれど、普段から我龍の名前を聞くのも嫌そうなジプシーに、やっぱり話せないよなぁ。
そして今日のジプシーは、マンション前ではなく、玄関の前まで送ってくれた。
「戸締りをしっかりしろ」
ドアの鍵を開けて中へ入ったわたしに、後ろから声をかけてくる。
「うん、わかってるって」
そう返したわたしは、とたんに、はたっと思いだした。
わたしってたしか、今日の午前中は洗濯をして窓の外へ干しっぱなしにしてから、外出したんだったよなぁ。
そんなことが脳裏に浮かんだ。
その一瞬の間に、ジプシーが気づく。
「なに?」
「あ、いやあの、洗濯物を外に出しっぱなしだなぁって」
わたしの言葉を聞いたジプシーが、仕方がなさそうにドアの内側に入ってきた。
「洗濯物を取りこんで窓に鍵をかけるまで、ここにいるから」
それを聞いたわたしは、慌てて靴を脱いで窓へと向かう。
なんだか不思議。
わたしもジプシーも、普通の人間の感覚で行動している。
――能力者の我龍には家の鍵なんて、なんの意味も持たないことを知っているのに。
わたしは窓を開けて、完全に乾いていた洗濯物を、ごっそりと手に取った。
――そうだ。
そういえば、この窓って。
「どうした。なにか見えるのか?」
動きの止まったわたしに、ジプシーが声をかけてから、家の中へあがってくる気配がする。
そして、わたしの後ろから外の景色をのぞいた。
「わたしね、ここから初めてジプシーを見たんだよ」
眼下の暗い道と、その先に見える街灯の明りへ目を向けながら、わたしは言った。
「転入する前日の夜。あそこの電信柱の明りの下で、ジプシーの首にかけていたロザリオが光って見えたんだ」
わたしの指をさした辺りを確認して、ジプシーが思いだしたように答える。
「――ああ、おまえが転校してくる前の日か。仕事の下準備にいったときだ。たしかにここを通ったな。普段は、ほとんど使わない道だが」
それを聞いたわたしは冗談まじりで、何気なく言葉にした。
「変だよね。あのときに初めて偶然見たジプシーが、いま、ここにいるんだもの。これってさ、誰かに仕組まれた出会いだったりして」
「誰にだよ、それ」
呆れたようなジプシーの声を聞きつつも、わたしは自分の言葉にドキリとした。
その考えを笑い飛ばしたいけれど、まさかと思ってしまった。
わたしが日本に残ったのは……?
そして、思ったことが、勝手に口からこぼれでていた。
「そのさ、ジプシー。わたしの持っている石って、不思議な力もあるし、なんていうか、意思も持っているんだって。――今日、我龍に聞いたんだけれど」
わたしの声はささやくように小さかったけれど、きっとジプシーには聞こえたと思う。
けれど、それに対してジプシーはなにも答えずに。
わたしの代わりに静かに窓を閉めると、しっかりと鍵をかけた。






