第176話 京一郎
「――でも、なぜ夢乃さんの前で、この話題になるのかなぁ」
陶器のドリッパーの中へ湯を注ぎ、珈琲の粉を蒸らすあいだに、急に島本さんはテーブルに両手をついて、がっくりとうなだれた。
それでも、追求の手を緩める気がさらさらない様子のジプシーに、島本さんは仕方がなさそうに、急に俺のほうへ向いて口を開く。
「京一郎くん。悪いけれど、きみの後ろにある本棚の中から一冊、とってもらえるかな」
そう言って、本のタイトルを俺に告げる。
俺は立ちあがり、言われたタイトルの本を探した。
大学で医学を学んでいると聞いているだけあって、医療関係の本が多く並んでいる中に、A4判のその本が混ざっていた。
俺は本棚から抜き取り、ソファに戻る。
「その本の最後に、高校三年のときのクラス写真を、はさんでいます」
その言葉で、俺は大判の写真を一枚見つけ、ジプシーと夢乃にも見えるようにと、テーブルの上に置いた。
三人で頭を突き合わせて写真を眺める。
その様子を横目に、島本さんは、蒸らした珈琲の粉の中心へ小さな円を描くように湯を注いだ。
湯の分だけ膨れた粉がゆっくりと下がると、その分だけ湯を足していく。
丁寧に珈琲を淹れながら、島本さんは説明を続けた。
「ツバサのお姉さんとは、三年間同じクラスでした。その写真の中で、すぐに目をひく学生がいるのがわかりますか」
すぐに目をひく学生か。
その写真で一番に俺の視線が向いたのは、前列の中央に座っている金髪碧眼の女子生徒だった。
その美しい容姿だけではなく、なぜか写真からも伝わってくる存在感というか威圧感を感じる。
俺のそばで、夢乃の息を呑む気配も伝わってきた。
いったい何者だ?
この女。
そして、そのまま写真を眺めていた俺たちは、あることに気がついた。
声のでない俺たちへ、島本さんはサーバーからドリッパーをはずして、あきらめたような声をかけてくる。
「聡くんの文化祭の舞台を観ましたよ。私としては、非常に複雑な心境でした」
俺は、いまの島本さんと写真の中の彼を見比べた。
十年の歳月を感じさせるが、基本的に、いまとたいして変わらない容姿の島本さんが、写真の中でこちらを見ていた。
なにか感想をのべたほうが良いのだろうかと思い、俺は代表して口を開く。
「島本さん、その――この頃から綺麗なロングヘアーで、とても女子の制服がお似合いで」
「無理をしなくていいですよ」
ソーサーの上にカップを乗せ、俺たちの前に置いてくれながら、島本さんは苦笑した。
「最前列の中央に座っている彼女は、日本で高校三年間の留学をしました。高校卒業後は、彼女は王位第一継承者として自国へ戻りました。私の両親はともにエージェントで、彼女の国でいまも健在です」
王位第一継承者と言われてみれば、写真の中の彼女は、それらしく見える。
この威圧感は、付け焼刃でだせるものじゃない。
「年齢の関係で私は彼女のSPとして、彼女の警護を三年間担当するために来日しました。警護にあたって彼女が、性が違えば授業や更衣室が分かれる場合があり、護衛の意味がないと言い張ったので、私はやむを得ず女性としてその三年間を過ごしました。私は当時十三歳でしたが、身長はすでに百六十ありましたね。高校時代のクラス内では、ツバサのお姉さんが事情を知っている唯一の協力者になります。SPの立場なので、学校側には、生徒ではなく付き添いとして申請をだしていたために、その高校で学業は修めていません。日本の大学進学のための資格は、改めて別のルートで取得しました」
写真を見せてしまえば吹っ切れたのか、島本さんは、淡々と説明をする。
食いいるように写真を見つめる夢乃とジプシーに、島本さんは続けた。
「後々に誤解を生みたくないので、私について先に、もうひとつ伝えておきたいことがあります。私は四年前にこちらへ戻ってきて、いまの大学へ入りなおしました。理由のひとつは、ついて学びたい教授もいたからなのですが」
ジプシーが顔をあげ、島本さんのほうへ向くのを確認してから、彼は言葉を続けた。
「私が十八歳のときに入った大学は、場所としては、それまで聡くんや従兄弟の方が住んでいた地域になります。聡くんが四年前、こちらの夢乃さんのところへきたタイミングに合わせ、私は向こうの大学を中退し、こちらへ戻ってきたことになります。これは、あくまでも私の一存で決めたことで、我龍の意見は一切入っていません。彼はただ、私の移動についてきただけです」
俺たちはしばらく、黙ったまま珈琲を飲む。
それぞれが考えていることは多分、全員違うのだろうが。
「そう。それと、彼女の状態ですが」
急に思いだしたように、島本さんが口を開いた。
そうだ。
写真のインパクトのせいで、ほーりゅうの話が後回しになった。
「精神感応者であり念力者の我龍は、催眠状態にして相手の記憶を操作することができます。ただ、彼女を運んできた方の話では、我龍は彼女を眠らせただけであって、記憶に一切手をだしていないと、はっきり言っていました。彼女と我龍のあいだで、どのようなやり取りがあったのかは、私もわかりません」
島本さんの言葉を聞いたジプシーは、おもむろに立ちあがると、部屋を出ていった。
ほーりゅうの様子を見にいったのだろう。
奴がいなくなったことで、俺は島本さんに向きなおって口を開いた。
「島本さんの一存で、こっちに引っ越してきたって言ったけれど、結局は我龍のためなんですよね?」
「それはそうなのですが」
島本さんは微笑んだ。
「私は本国からエージェントの仕事の連絡があるとき以外、日本で束縛されるものは特になにもありませんでした。だから、我龍の事情を知って、彼が彼の人生を後悔しないように手伝いたいと思っただけ。いままで彼は傍観者でしたが、彼女という同じ能力者が現れたことで、ようやく動く気になったようですね」
たしかに、ほーりゅうが現れたことをきっかけに、俺たちの全てが動きだした感じがする。
「島本さんは気がついていると思うが、いまのジプシーは、ほーりゅうを大事に思っている。――我龍は、ほーりゅうに対して、同じ能力者として興味があるだけなのかな?」
俺の確認することじゃないかもしれないが、これ以上厄介事を増やしたくない。
安心感を得たいがために、俺は島本さんに訊いた。
慎重に考えながら、島本さんは答えてくれる。
「最初のころは彼女を見て、我龍は制御不能の力は問題外と言っていました。現在の我龍は、彼女の持っている不思議な石や能力に多少興味を持っているようですが、そのことにしか目が向いていないと思います。彼の立場が特殊だから、たぶんほかのことに目を向ける余裕はないのだと思いますね。でも、そうですね。――人の気持ちは、絶えず変化するものだから」
安心感を得たいがために訊ねたことだったのだが、島本さんの言葉を聞いて、俺は余計に不吉な予感を抱いてしまった。
そのパターン、ジプシーと同じじゃねぇ?
最近まで人間のカテゴリーを、敵か味方か一般人とだけ分けていたようなジプシーが、ほーりゅうによって、これだけ変化した。
表に現れる方法が違っても、ふたりの内面は似ているのではと島本さんは言った。
ジプシーと同じような感情の構造を、もし我龍が持っているのなら。
ふとしたきっかけで、ほーりゅう自身に対して我龍が興味を持ち、その気になる可能性があるってことにならねぇか?






