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キスメット 【第7章まで完結】  作者: くにざゎゆぅ
【第五章】日常恋愛編 『きみがいるから』
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第166話 ほーりゅう

「あ、ちょうど呼びに行こうかと思ってたんだ。で、おまえも俺らと一緒に図書館へ行くか?」


 階段下で鉢合わせし、呑気に訊いてきた京一郎へ、わたしは勢いよく答えた。


「図書館へは行かない! もう、京一郎からも言ってやってよ、あの抱きつき魔! 考えたら、麗香さんの事件のときも旅行先でもそうだったけれど、ことあるごとに女の子に抱きつき過ぎ!」


 一気にまくしたてたわたしに、京一郎が気押されるような顔をして、それでも弁解がましく口にした。


「ジプシーは、そんなに誰にでも抱きつく奴じゃねぇよ。興味のない相手には目さえ合わさず完全無視な男だし。それだけ、おまえに近くなって、心を許してんじゃ……」


 喋っている途中で、急に京一郎が驚いたような表情になり、じっとわたしを見つめた。


 なに?

 どうしたの?


「京一郎?」


 わたしが声をかけて、ようやく京一郎は、ああと反応する。

 そして、無言でわたしを洗面所へ追いたてた。


「なに? ここになにがあるのよ」

「鏡を見てみろって」


 洗面台に備えつけられた大きな鏡を、京一郎は指さした。

 訝しく思いながらも、鏡をのぞきこんだわたし。

 でも、よくわからない。


「顔になにかついてるの?」


 あまりにも京一郎が言うものだから、真剣に鏡を見るんだけれど。

 全然見当がつかないわたしに、京一郎が短く言った。


「首」


 首?

 そしてやっと気がついた。

 首の付け根のところに、ちょっと赤くなっている部分がある。


「あれ? 本当だ。なんか赤いや。蚊に刺されたのかな? でも、全然かゆくないし。第一こんな季節に蚊なんか飛んでいないよなぁ。なんの虫だろう?」


 わたしがそう言いながら、鏡をのぞきこんでいる後ろで、がっくりと肩を落とした京一郎が、つぶやくように言った。

 なかば、自分に言い聞かせるようにも聞こえる。


「そうか、そうだよな。経験がない初めて見る奴は、それがなにか知らなくて当たり前だよな」


 意味不明な言葉を聞いて、怪訝な顔をして京一郎を見ているわたしが鏡に映る。

 そんなわたしの様子に気がついた京一郎が言った。


「悪い虫がいるもんだよなぁ。俺がその虫と会ったら怒っておいてやるよ。でも、こんな冬に虫刺されだなんてのも、ドジな話になるよなぁ。おまえ、見えないように襟もとをしっかり正しとけよ」


 しつこいくらいに京一郎が気にするので、わたしは言われた通りに襟を正して、見えないように整える。

 でも、変なの。


 そんなことをしているあいだに、外出のためのコートを腕にかけたジプシーが階段を降りてきた。

 ジプシーの顔を見て、わたしは先ほどの怒りを思いだす。

 わたしは玄関へ向かいながら、京一郎にもう一度叫んだ。


「今日は一緒に図書館へ行かない! ひとりで買い物に行ってくるもん!」


 そして、返事を待たずにさっさと靴をはき、玄関のドアを押し開けた。


「それじゃあ、またね!」


 そう言いながら振り返ったとき、それでも見送りに出てきてくれたジプシーを、肘で小突く京一郎が見えた。

 わたしはドアを閉めて歩きだす。


 さっき京一郎に文句を言ったから、少しはジプシーに注意をしてくれるだろう。

 そして、歩きながら、わたしはこれからの暇な時間に、どこへ行こうかと考える。


 やっぱり、本当に買い物へ行こうかな。

 でも、ここからなら、商店街へ行く道と図書館へ向かう道は、途中まで同じになる。

 なんとなく、あのふたりに追いつかれるのも癪なので、わたしは普段通らない道を行き、大きく迂回しながら商店街へ向かうことに決めた。

 今日は時間がたっぷりある。




 わたしは、人通りの少ない住宅街をゆっくり歩きながら、なにか心に引っかかるものを感じていた。

 なんだろう? 誰かとの会話の中の違和感かな。

 忘れている、思いださなくちゃいけないなにかかな?


 そして、――唐突に思い当たった。


 そうか。

 さっき部屋で、ジプシーが声をあげて笑ったんだ!


 気がついたわたしには、それがなにか特別で重大な出来事に思えた。

 いつも無表情で、時々ムッとする感情しか出さなかった男が、最近急に表情が豊かになってきている気がする。


 喜怒哀楽でいうと、笑うってのは楽しい感情の「楽」になるんだろうか。

 以前から何度も見たことがある「怒」と、旅行先で偶然とはいえ見てしまった「哀」の感情。

 となると、彼の喜ぶ「喜」だけが、まだ見ていないことになる。

 こうなると、ジプシーの喜ぶ顔が見たい気もするなぁ。


 ぬいぐるみのやまねちゃんをあげたときも、最初は迷惑そうな顔をした。

 あれはどう考えても、喜んでいなかったよなぁ。

 なにかジプシーの喜ぶこと、ないかなぁ。


 わたしは、ゆるゆる歩きながら、ぼんやりと遠くの街並みを眺めて考える。

 そして、わたしの足が止まった。

 いままで考えていたことが、すべて頭から消えた。


 わたしの目は、遠方のバス通りを隔てた向こう側の横断歩道を渡る人影を映す。

 見間違ったりしない。


 ――あれは、我龍だ。



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