第150話 夢乃
窓を大きくとった造りなので、冬の柔らかな陽差しが店内を満たす。
島本さんの運転で、市外のカフェテラスがある大きな喫茶店に入った。
外は寒いので、店内の陽当たりの良い窓際の、大きな楕円形のテーブルに着く。
白い陶器のティーポットの取っ手が、光を受けてテーブルの上で輝いている。
「もう少し体調が回復したら、ドライブなど遠出もできます。こちらの大学もはじまってしまいますが、時間を作りますね」
島本さんは、申しわけなさそうに言う。
「そんなこと……」
会えるだけでも充分ですからと口にするのは、さすがに照れのために面と向かって続けられなかった。
島本さんは、旅行先で会ったときと少しも印象が変わっていない。
女性と見間違うほどではないが、線の細い端正な顔に浮かべる表情は穏やかだ。
さらりとした長い黒髪を柔らかくひとくくりにして、肩口から胸もとへ垂らしている。
ティーカップに添えられた指は長く、爪先は整っていた。
「本当はホテルを変えて、もう少しあちらにいるつもりでしたが、予定を変更せざるを得ない事情ができてね……」
「なにがあって? あ、例の……。その、工作員としての仕事の関係で?」
「いえ、私のほうじゃないのです。じつはあれから、我龍のほうに追っ手がかかりましてね」
あっさりと島本さんは否定する。
続けて肩をすくめながら、なんでもないことのように笑顔で言ってのけた。
「大みそかに、こちらへ戻ったあと、その足で我龍は姿をくらませています。一緒に住んでいるといっても、私のマンションは彼にとって、ただの拠点のひとつに過ぎないから」
そう告げると彼は、わたしの顔をふいにのぞきこんだ。
うっかり、我龍に対して浮かべた嫌悪の表情を読み取られてしまい、わたしは困惑する。
嫌な女だと思われただろうか。
そんなわたしの様子に、島本さんは突然訊いてきた。
「あなたは我龍の能力のことを、どこまで知っていますか?」
てっきり我龍の話題を避けるかと思ったのに、逆に話をふられ、戸惑いながらも答える。
「彼の能力ですか? 手で触れずに物を動かす力があると。あと、テレパシーと呼ばれる力を持っていると聞きましたけれど……」
文化祭のときは、宙に浮かす力を目撃したけれども、ほんの一瞬だった。
テレパシーのほうは、トラくんとほーりゅうから話だけを聞いている。
「そう。サイコキネシスと言われる念力。それとテレパシーと言われる精神感応。ただ、念力のほうは無制限ですが、精神感応に関して、彼にはいくつか制限があります。ここで制限に関してあなたに話したら、私が彼に怒られてしまうので教えられません。でも、その精神感応能力によって、私は十年前の聡くんの事件も、そのあとの我龍と聡くんと従兄弟の件も、その場で見ていたように知っています。無防備な我龍の近くで寝ると、たまに彼の夢が映像で流れこんでくるのですよ」
そう言って、島本さんは楽しそうに笑う。
そして、ふいに真面目な表情になった。
「聡くんの事件のときと、そのあとのことに関してですが。あのときの我龍は、私からみても彼の状態と性格上、ああせざるを得なかったと思います」
思わず言葉を発しかけたわたしを、島本さんは片手で制して続けた。
「あなたが聞き知っている我龍は、たぶん聡くんの従兄弟から聞いた、十年前の我龍でしょうね。私からいま、その当時や現状の我龍の考えや立場について話すことを、彼は望んでいないのでお話しできません。ただ、私から見た彼の印象を、別の話としてあなたに語るのは、構いませんよね。あなたには聡くんのそばにいる第三者として、我龍の人柄を知ってもらいたいのです」
「いや、でもこれを話せば、私があなたに嫌われるかな」
ふいに、そうつぶやくと、島本さんは少し困ったように笑った。
なので、わたしは慌てて両手を突きだし、目の前で振る。
「嫌うだなんて、そんなことは絶対にないです!」
島本さんは、わたしから視線をそらすと、窓の外に広がる風景へ顔を向けた。
「十年も前の話だから、わざわざ持ちだして、夢乃さんの気がかりなことを増やす必要もないのですが。もう私には吹っ切れた過去ですし……」
「大丈夫です。気にしませんから」
前置きが長くなるほど、よけいに気になってくる。
わたしの言葉に、島本さんはどの辺りから話そうかという感じで考えこみ、おもむろに口を開いた。
「――十年前、私は十六歳のころに、失恋をしました」
突然の思わぬ話の飛躍に驚いて、わたしは目を見開いた。
そんなわたしへ島本さんは、昔の話ですからと笑いながら念を押す。
「いまは彼女に対して、本当に、元気で過ごしているかなと思いだす程度です。だから、深く気にしないで話を聞いてもらいたいのですが。その相手の女性は……そうですね。年若くても高貴な方だった。すべて上から目線で居丈高、言葉も命令形でしか話さない、私より三歳年上の女性でした」
この話がどう我龍につながるのかわからなかったが、わたしは黙って耳を傾ける。
けれど、いまの言葉だけで想像したら、相手は、なんて高慢な女性なのだろうか。
「彼女は日本人ではありませんでした。十年前に彼女が自国へ戻るとき、私は彼女とともに行くかどうかの選択を迫られて、結果、ひとり日本に残りました。そして、彼女を空港で見送った帰りに、私は我龍と出会いました」
島本さんは、わたしの表情の動きを確かめるように視線を走らせる。
そして、当時を思いだしたのか、ふっと表情を曇らせた。
「初めて出会ったときの我龍は七歳。そのときの事情は、彼のアイデンティティに係わるプライベートなので、ここでは話せません。でも、いまでも、よく回復できたものだと思えるほどの怪我を負っていました。意識不明で三日間眠り続けましたが、すでに精神感応能力者だった彼の事情が私には理解できたので、病院には連れて行きませんでした。そして、意識が戻ったときに、最初に彼が考えたことを、あなたはなんだと思いますか?」
急に島本さんが、言葉の最後に質問をしてきたので、急いでわたしは思考をめぐらす。
七歳の子どもが考えること、といえば……?
自分の親や家のこと?
怪我を負った前後の事情?
でも、能力者だと考え方が違うのだろうか。
最初になにを思うのだろう?
考えこんだわたしを見つめながら、島本さんは静かな声で語った。
「眠っているあいだでも、彼は持っている能力で、その時の私側の事情を知ったようです。意識が戻ったあとの彼の言動は、国へ帰った彼女と、年齢と男女という変えられない差以外のすべてがそっくりでした」
告げられた言葉の内容に、一瞬、理解ができなかった。
それはどういう意味かと見返したわたしへ、島本さんは続ける。
「目覚めた我龍は、年若くして気品があり、すべて上から目線で居丈高、言葉も命令形の少年でした。我龍は、私が彼を助けたことで、とっさに今度は七歳の彼が自分でできることを考えたのでしょう。彼は、自分が彼女の身代わりになることで、私の失恋の傷を癒そうと考えたのです。たとえ事情がわかっても、別のことで彼女を忘れさせようと考えるのではなく、まず、自ら身代わりになろうとした。安直で浅はかな考えといわれればそれまでですが、普通、七歳の子どもが考え、起こせる行動ではないですよね」
わたしは呆気にとられる。
七歳の子どもが、本当にそこまで考えたのだろうか?
ただの島本さんの考え過ぎ、飛躍し過ぎではないのか?
ふいに、場の雰囲気を和ませるように、島本さんは笑い声をたてた。
軽い調子となって、言葉を続ける。
「最初に告げた通り十年前の話です。もうとっくに、私の失恋の痛手は消えています。でも、最初にできあがった我龍と私の人間関係の構図は、いまも変わらず十年間続いているのですよ。命令されたりこき使われたりすることは、考えて動くことより意外と楽なので、私が彼に甘えている状態ですね。――この話はほんの一部で、彼との出会いです。でも、一事が万事、彼はその調子です」
そして、島本さんは目を伏せながら、ぽつりと口にした。
「私があなたに知ってもらいたい彼の人柄とは……。彼の基本的な行動は、すべてにおいて自己犠牲から成り立っているということ。そして私の願いは、ただ、彼の幸せなのです」






