第127話 夢乃
「そろそろ出ましょうか。いまから佐伯さんは、どちらへ行かれるんですか?」
ホテルの一階の喫茶室で、島本さんは席を立ちながら訊いてきた。
いまからの行動は考えていなかった。
でも、このホテルの前でまいた桜井さんが、わたしを探し回っているかもしれないと思うと、一度自分の泊まっているホテルへ戻ったほうが良いだろう。
「いったんホテルへ戻ります。連絡なしでこちらにきていたので」
わたしはそう口にして、名残惜しげに立ちあがる。
「それなら、一緒について行きましょう。まだあなたの昨日の捻挫も気になりますし」
島本さんは、にこやかにそう告げてわたしの前をゆっくりと歩きだすので、慌てて後を追った。
親切過ぎる島本さん。
本当にわたしの捻挫を心配しているのか、それとも別の目的があるのか。
もし、わたしたちが探している「保護をする人物」であれば、ホテルから離れた道中で、うちあけてもらえるのかもしれない。
そう都合よく考えたわたしは断る理由もなく、送ってもらうことを承諾した。
このホテルは海と山に囲まれている。
裏に小高い山を背負い、目の前には広がる海。
ロケーションは最高だけれど、やはり、それ以外の建物が建設中とあって、周囲に活気があるわけではない。
おそらく、次の夏を迎えるころに、海水浴を楽しむ観光客が増えるのではないだろうか。
わたしは遠回りになるけれど、ホテル間の道は桜井さんとともに、小高い裏山の斜面に作られた、舗装されている湾曲した一本の自動車道を使って行き来していた。
目的が観光ではないために、海のほうの砂浜には、まだ一度もおりていない。
たぶん今回は、砂浜におりて楽しむ余裕はないだろうな。
風景が素晴らしく良いから、気分に余裕があるときに改めて、本当の観光旅行として来たいと思えるところだ。
そう考えながら、迷いなく舗装されている道路へ向かって歩きだそうとするわたしに、島本さんは、舗装されている道路と砂浜のあいだに位置する雑木林を指さした。
「ここの林を一直線に抜けると、最短であなたの泊まっているホテルへ着けますよ。山の斜面や砂浜は、いまの貴女の足には良くないと思いますので、ゆっくり森林浴をしながら通り抜けましょうか」
そして、彼はわたしの返事を待たずに歩きだした。
本当に、散歩を楽しむ感じで、ゆっくり歩き続ける島本さん。
時々、木々のあいだから見える海の風景を眺めながら。裏山の風景を見上げながら。
その様子を見て、わたしは不思議な気分で後ろをついていった。
わたしに話があるわけでもないのだろうか。
一体なにが目的なのだろう。
本当に散歩だけ?
そして、ふと立ちどまった島本さんは、周囲を見渡し、一部の雑木が切り払われ、海を望む崖のような場所へと行き先を変えた。
「島本さん、そちらは危ないと思いますよ」
わたしは慌てて、そう声をかけながらもついていく。
それでも歩を進め、そんなに崖ぎりぎりでもない場所で立ち止まった島本さんは、海を眺めながらわたしに言った。
「ここに着いた日に散策して見つけたのです。佐伯さん、ここからの眺望は見事ですよ」
近くまで寄ったわたしへ向かって、続けて彼は告げた。
「この綺麗な風景を眺めていると、俗世のしがらみなんか全部忘れてしまいそうですね」
本当に素敵な風景。
わたしも、自分の目的も忘れて彼のやや後ろ斜めに立つと、島本さんと水平線を眺める。
「――最後に、このような風景を、あなたと眺めることができて嬉しいです」
急に予想もしないことをつぶやいた彼に、驚いたわたしは彼を見上げた。
どういう意味だろう?
わたしが質問をしようとしたとき、彼は、わたしの背後にある雑木林へ視線を移した。
その動作につられて、わたしも振り向く。
雑木林の中を、何名かの集団が、わたしの泊まっているホテルの方向へ全速力で駆けていく姿が見えた。
――あれは!
「佐伯さん。そしてあなたのお連れの警察の方々に、伝えたいことや言わなければならないことがあります」
人影を目で追っていたわたしへ、静かな声で島本さんは、そう告げた。






