第124話 ジプシー
ほーりゅうと言い争いをしているときに、机の上で、普段から着信音を消している俺の携帯が震えた。
そばに京一郎がいることを思えば、このタイミングで俺の携帯にかけてくるのは夢乃くらいだろう。
睨みつけるようにほーりゅうを見据えたまま、俺は携帯を手に取る。
相手になる夢乃には申しわけないが、感情の制御がきかない俺は不機嫌さをあらわにして、かけてきた相手を確認せず携帯を耳にあてた。
「用事はなに? 手短に言ってよ」
『――休みだからといって、また危ない橋を渡っているのではないだろうな』
飛びこんできた思いがけない相手の声に、俺は動揺した。
「え? あ、――先輩?」
まずい。
生徒会長か!?
この部屋は、仕掛けられた盗聴器をはずしてはいない。
盗聴器に気がつき俺たちがはずしたとなれば、次の違う工作をされかねないと、あえてそのままにしている。
俺は、先輩という言葉に反応し驚いた顔の京一郎へうなずき返しながら、怪訝な顔のトラに向かって片手を上げ、洗面台の置かれた奥の部屋へと移動する。
通じるドアを後ろ手に閉めながら、俺は混乱してうまく働かない頭で言葉を探した。
「――なんの用ですか、先輩。ぼくはいま誰とも口をききたくないくらい、気分も機嫌も悪いんです。それに取りこみ中で、いま個人情報を電話なんかで流したくはないんですよ」
このまま話を続けて、会長がうっかり俺や会長自身の個人を特定する言葉を口にする前に、俺はきっぱり告げて電話を切ろうと思った。
『貴様のことだ。さっさと携帯の番号を変更していそうだから、まあ、確認だ』
「それだけですか」
俺はうつむいて、会長の声を聞く。
電波を通しているせいか、いつもとは雰囲気の違う、だが相変わらずの居丈高な会長の声。
だが――妙に懐かしい。
「そんなにぼくは暇人じゃないです。先輩、切りますよ」
俺の声色や内容から、現状のなにかを察したのだろうか。
会長は少し黙りこんだあと、静かに告げた。
『まぁ、なんだ。たしかに貴様のいまの悩みは、貴様自身にしかわからない。だが、貴様のことを心配している人間も周りには必ずいるということを肝に銘じておけ。ひとりで心配事を抱えこむな。前回のように貴様を助けてくれる仲間がいるんだろう? それを忘れるな。――年明けには、元気な姿を必ず私に見せろ』
俺の返事を待たず、一方的に伝えた会長からの電話が切れる。
ゆっくりと、俺は携帯を折りたたんだ。
俺のことを思ってくれている仲間がいることも、わかっている。
京一郎もトラも、ほーりゅうや夢乃も、俺を心配してくれている。
前回の一件から、会長も俺の中の不安定な危うさに気がついている。
会長に言われるまでもなく、俺の中で、すでに答えは出ていた。
けれど、それを急にうまく消化することができなかったんだ。
だが、こうして会長にはっきり言葉にしてもらうだけで、いまの俺の気持ちに、すんなりと入ってきた。
いまは過去とは違う。
十年前の、六歳のころの、なにもできなかった子どもではない。
いままで培ってきた俺自身には、闘い、そして護る力がある。
過去の感情に捕まって、踏ん切りがつかずに立ち止まっている場合じゃない。
会長の声を耳にしたせいで、俺は囚われていた過去から現在に引き戻され、きっと俺の中の張りつめていた緊張の糸が切れたせいだろう。
いままで我慢をして、無理やり抑えこんでいた感情が一気にあふれだしてきた。
洗面台の端にかけた両手の甲に、十年前になくしてしまっていた涙が、思いがけずに次々と落ちる。
止まらなくなった。
俺は眼を閉じる。
嗚咽が漏れないように片手で口をおさえながら、しゃがみこんだ。
震えるもう片方の手で、洗面台の端をきつく握りしめる。
「ジプシー?」
そのとき、ドアを開けて、ほーりゅうが入ってきた。
俺の様子を見て、驚いた表情でドアを閉めると駆け寄ってきた。
彼女のほうに顔をあげた俺は無意識に、俺へ向かって伸ばされた彼女の手首をつかんで引き寄せた。
立ちあがりざまに、掻き抱く。
温かく柔らかい彼女の存在を確かめるように、思いきり強く力をこめた。
昨日も、そしていまも。
どうしてほーりゅうは、いつも俺の感情が動くとき、俺のそばにいるんだろう?
背に、両腕が回されるのがわかった。
あやすように、俺の背を一定のリズムでポンポンと叩いてくる。
俺は彼女の肩に両眼を押しつけた。
呼吸が穏やかになり、思考回路が戻ってくる。
俺はいま、ほーりゅうを腕の中で抱きしめながら考えた。
あのとき――我龍と初めて会ったとき、奴は間違いなく口にした。
俺の母親は、俺を護ってくれていたと。
ならば今度は、俺が持つ全力で、彼女も、そして俺に係わる全てを護ってみせよう。
いまの俺は、優先させるべきことがある。
任務遂行のために自分自身を納得させて、過去に対する感情を締めだすことができる。
過去を考えるのは、あとからでも遅くない。
生きていれば時間がある。
俺は、ほーりゅうを抱きしめていた腕をとき、彼女を解放した。
洗面台へ向き直るとインカムを外して、頭から一気に冷水をかぶる。
水を止めると、ほーりゅうが黙ってタオルを手渡してくれた。
受け取りながら、ほーりゅうの顔を見る。
ジッと見つめ返してくる心配そうな表情は、変わらなかった。
タオルをかぶって頭ごと拭きながら、俺はインカムをつかんでドアに向かう。
そして振り返って、見られた照れ隠しに命令口調で、立ち尽くして俺を見つめるほーりゅうへ告げた。
「そこのコップを洗ってから水を汲んでこい。俺を殺したくなかったら丁寧にきれいに洗え」
「なによ、それ!」
ほーりゅうは、むっとして言い返してきた。
だが、すぐに、あっと気がついた表情になる。
敵は部屋に侵入して盗聴器を仕掛けるエージェントだということは、京一郎から聞いているはずだ。
さすがに天然ほーりゅうでも、警戒するに越したことはないと思い当たったのだろう。
俺はタオルを彼女に放ってから、インカムを装着しつつドアを開けた。
大丈夫だ。
ここから絶対、巻き返してやる。






