第105話 トラ
いまから十年ほど前。
六歳だった聡がひとり生き残り、奴の両親と妹が他殺されるという事件が起きた。
当時、聡の父親が一族から追放をされていた関係で、事件のあと、奴の身元引受人に名乗りをあげる者が、なかなか現れなかった。
だから、奴の父親の弟にあたる俺の親父が引き取ると決まったときに、俺は初めて聡と会ったんだ。
出会ったときから無口な奴だった。
あんな事件のあとだったから、当たり前だろうな。
俺の家族と聡は、出会ったころからいまに至るまで、仲が悪いわけじゃない。
当時の当主の命令で行き来がなかっただけだ。
奴がもとから無愛想なだけで、付き合いはうまくいっているほうだと思う。
聡は、俺と同じ小学校へ転入してきたが、初日以降は、ほとんど学校へは行かなかった。
朝、奴は家をでたあと、すぐに通学路から外れて夕方まで姿をくらます。
俺の親父は事件のあとだから仕方がないと言い、でもさすがにひとりでうろつかせるのも危険だという理由から、俺に聡の番をしろと命令した。
普段から、俺へ陰陽道の技を伝えることに重点を置いていた親父は、あまり学校の勉強にうるさくは言わなかった。
そして、当時の俺はまだまだ遊びたい子どもで、一生懸命な親に対してまったく陰陽道の技を覚える気も勉強も興味がなかった。
すでに小学校の授業をサボれることが嬉しくて、道から外れて歩く聡のあとを、俺は親公認で堂々とついていった。
たいてい聡は、人がいない近くの山の中か、使われていないグラウンドや広場へ行って、日が暮れるまで、なにをするでもなく地面や空を眺めて過ごした。
最初は、サボれるからとついてきていた俺は、すぐに飽きた。
じっと風景を眺めている奴を眺めていることは退屈だった。
そんな日が、ほぼ半年。
事件から半年ほど経ったときに、そいつに会った。
俺も聡も誕生日が過ぎていたから、七歳になっていた。
いつものように、誰もいないグラウンドにきて、端に置かれたベンチに気だるげに座り、聡はぼんやりと地面を眺めていた。
俺は、今日の場所がグラウンドと予測して、野球ボールとグローブを持ってきていた。
ベンチに座っている聡を目の横で捉えながら、俺はひとりで壁にボールを投げて転がるボールを追いかけていると、ふいに声がしたんだ。
「いつまで、そうやっている気?」
初めは、俺のことかと思って辺りを見回した。
だが、グラウンドには俺たちふたりしか見当たらない。
すると、きょろきょろとしている俺へ、また声が降ってきた。
「半年も経っているんだ。いい加減に認めたら?」
頭上からの声だと気がついて、俺は振り仰ぐ。
聡のベンチの後ろにある、グラウンドを取り囲む三メートル以上の高さのフェンスの上で、同年代の少年が器用に安定よく立っていた。
そして、そいつは俺ではなく、ベンチに座っている聡へ向かって言っていたんだ。
半年という言葉に反応したのか、聡がゆっくり振り返る。
すると、そいつが続けて口を開いた。
「貴様の家族はもういないんだろう? 生き残っているのは貴様だけだ。これからどういう風に生きるか、自分で決める時間は半年もあったんだ。充分だろう?」
「半年もってことはないだろ? 関係のない奴は口をだすなよ!」
なにも言わない聡に代わって、俺がそいつへバットを向けながら言い返してやった。
同じくらいの歳のくせに、上から見下ろすような話し方といい、態度といい、気に食わない奴だ。
だが、そのとき、ふと俺は疑問に思った。
俺は聡の従兄弟にあたるから、親父からはなんとなく事件の顛末を聞き知っている。
そのなかで、どういう理由かわからないが、聡が生き残っていることはマスコミや部外者には口外されていないと聞いていた。
――なぜ、こいつは聡のことを知っているんだろう?
「なんでおまえ、事件のことを知っているんだ? おまえは誰なんだよ?」
睨みつけながら叫んだ俺の問いに、そいつは笑いながら答えたんだ。
「会うのはふたりとも初めてだよね。俺は我龍。それに、なぜ知っているかって? そりゃあ俺が、あのときその場で見ていたからさ」
唖然と聞いている俺と聡に、そいつはゆっくりと説明するように告げた。
「とは言っても、俺が見ていたのは、家の外から窓越しになるんだけれどさ。襲った連中は、銃と刃物の両方を持ってきていた。用意周到に弛緩弾を最初に家の中へ撃ちこんでいたな。見ているあいだに、たちまち家の中が血の海になったね。最初はそいつの父親が殺られて、すぐにそいつの妹。次に別の部屋でそいつに銃が向いたとき、部屋へ飛びこんできた母親ともみ合いになって、母親が相手を倒した。かと思ったら、別の奴に母親が殺られた。そこにいるそいつは、途中から意識がなくなったのか動かなかったから、先に殺られていたんだと思われたんだろうな。確認をしないで連中は撤退したから、そいつはひとりだけ助かった。物盗りじゃなく殺ることが目的なら、ちゃんと生死の確認をしないといけないのにね」
俺は、どこかほかの国の言葉を聞いているかのように、黙ったまま動けなかった。
けれど、そのとき聡が立ちあがり、フェンスの上にいる奴に向かって叫んだんだ。
「なんで! なんで見ていたそのときに助けてくれなかったの? そうしたらぼくの家族は死なずに済んだかもしれないじゃないか!」
それを聞いた奴は、笑顔のまま聡に告げた。
「なんで? たしかに俺には、助けられる力を持っているけれどさ。だからって、なんで俺が貴様の家族を助けなきゃいけないんだ?」






