第1話 プロローグ 前編
扉を開けると、窓が閉まったままの部屋の中は真っ暗だった。
いまは夜の10時。
初めて入る部屋だったので、後ろ手に扉が閉まってしまえば、電気のスイッチの位置がわからない。
それでも、扉をふたたび開けることをせず、ボストンバッグをぶらさげたまま、これからここで独り暮らしをはじめることになったわたしは、しばらくその場に立ち尽くした。
なんといっても、夢の独り暮らし!
独り暮らしの大変さは、全然心配していない。
というか、能天気なわたしは、はじめから考えていなかっただけなんだけれど。
わたしの両親はどちらも外科医であり、このたび数年ほど海外へ行くことになった。
両親は、当然16歳である未成年のわたしもついてくるものと思っていた。
けれど、わたしは日本に残りたいと言ったのだ。
はじめは、両親はとんでもないと認めなかった。
でも、母方の叔母が保護者となってあずかると説得してくれた。
いままで通っていた高校を転校することになってしまったが、叔母のおかげで、わたしは願い通り、日本に残れることになった。
先ほどまで、マンションの五階にある叔母のところで夕食をいただきながら、今後の話を決めた。
それから、これからわたしが住む部屋がある2階へと降りてきたところだ。
叔母が住んでいるマンションは、1階が駐車場となる6階建ての、築10年ほどのデザイナーズマンションだ。
独身の叔母との同居も、ひとつの案としてあげられた。
でも、叔母の住むマンションに空きがあったことと、こちらも外科医である叔母の不規則な生活に加え、思春期に対してお互いにプライベートを持たせてくれるという叔母の計らいで別居となった。
そのうえ、別に暮らしつつも衣食住にかかる資金を、すべて持ってくれるという話のわかる叔母だ。
その代わり、独り暮らしに対する責任を自覚せざるを得ない。
引っ越しが決まったときに、極力減らしてきたけれど、部屋のなかは、おそらく運びこまれたままのダンボールの状態で、荷物が山積みにされているはず。
まずはひとりで生活する第一歩として、今夜中に生活ができる環境にしておかないとね。
暗闇に目が慣れてきたころ、部屋の状態がわかってきた。
ようやくわたしは、上り口にボストンバッグを置いて靴を脱ぐ。
あらかじめ叔母が取りつけてくれていたカーテンの隙間からもれる、わずかな外光を頼りにしながら、まっすぐ窓へ向かってそろそろと近づいた。
2階の部屋なので、夜の窓は、とくに気をつけなさいと言われたばかりだ。
けれど、とりあえず部屋にこもった空気を入れかえたいよね。
そう考えたわたしは、カーテンを片側に寄せると、静かな住宅街へ大きい音が響かないように鍵をあけた。
ベランダの大きな窓を、ゆっくりと横へ滑らせる。
新鮮な風がゆるやかに入りこんできた。
わたしの軽い毛質のロングストレートを、ふわりと揺らす。
部屋へ流れこんでくる9月の空気は、ひんやりと澄んでいて心地よかった。
ネコの額ほどの小さなベランダへ出ずに、わたしは部屋の中から窓の外を見おろす。
すると、すぐそばの電信柱につけられた街灯が、ひっそりと裏道を照らしていた。
この時間では、もう誰も通らないかな。
そう思った瞬間。
道のはずれの暗がりの部分で、白っぽいものが動いた。
とっさにわたしは、身体を退きかける。
けれど、すぐに、まだ部屋の電気をつけていないことを思いだした。
となると、逆にじっとしていたほうが、向こうの注意を引きつけないかもと考えなおして動きをとめる。
そのあいだに、先ほどの白っぽいものは音もなく移動し近づいてきて、電信柱の明かりの下で止まった。
その場に姿を現したのは、ひとりの男の子だった。






