WWⅡ 決戦、マリアナ沖海戦
WWⅡ 決戦、マリアナ沖海戦
日本海軍は中部太平洋への侵攻に先立って、セオリーどおりに航空撃滅戦から手をつけた。
硫黄島の航空基地は限界まで拡張され、空軍機が展開してサイパン、グアム島への空爆が始まる。
1942年7月末になると満州戦線もケリがつき、本国周辺から航空戦力の転出が始まり、地下格納庫に収まりきらないほど、硫黄島には大量の航空機で溢れかえることになる。
対して、アメリカ軍はマゼラン経由の長大な補給路を日独海軍の潜水艦に締め上げられており、消耗に補充が全く追いつかなかった。
39式重爆が大編隊でサイパン、グアムの米軍基地を絨毯爆撃し、迎撃にあがってくるP-40やP-38を39式双発戦闘機が撃墜した。
夜間においては対艦掃射型の40式陸攻がレーダーの探知を避ける超低空飛行で航空基地に侵入し、低空銃爆撃で駐機中の航空機を破壊していった。
空爆は、航空基地以外にも行われており、爆装を減らす代わりに大量の燃料を搭載した39式重爆はマリアナ諸島を哨戒爆撃に出動し、接近するあらゆるアメリカ軍艦船を爆撃して回った。
重爆の水平爆撃は命中率が低いものだったが、動きの鈍い輸送船には脅威だった。
夜になれば運動性の高い対艦掃射機や魚雷装備の陸攻が対水上レーダーを駆使して、アメリカの船舶を狩っていった。
マリアナ封鎖には20隻のロ号、伊号潜水艦も投入されており、十分な護衛がなければ海上輸送はもはや不可能になっていた。
ロ号潜や伊号潜にも、熱田島沖海戦で威力を発揮したAST魚雷が搭載されており、輸送船団攻撃に威力を発揮した。
ただし、潜水艦艦隊はAST魚雷の威力は認めつつも、酸素魚雷のメンテナンス性の悪さに手を焼いており、電池式魚雷のAST化が熱望されることになる。
なお、ドイツ海軍のFat魚雷は、最初から電池魚雷だった。
空爆と潜水艦によってマリアナ諸島の孤立化は急速に進み、アメリカ軍の航空部隊は壊滅状態に陥ると日本艦隊の出撃が迫った。
この時、アメリカ海軍太平洋艦隊にあった兵力は以下のとおりである。
戦艦 ミシシッピ、ルイジアナ、テネシー、ケンタッキー、メリーランド
ウェストバージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、
コンステレーション、レンジャー、コンスティチューション、
ユナイテッド・ステーツ
空母 エンタープライズ
重巡洋艦 8隻
軽巡洋艦、駆逐艦 多数
日本海軍は、同時期5隻しか戦艦をもっておらず、しかも全て28サンチ砲搭載の事実上の大型巡洋艦であったから、戦艦の砲火力は3倍以上の戦力差があったといえる。
だが、空母はエンタープライズ1隻しかなかった。
アメリカ本国の東海岸では、39年計画艦である改ヨークタウン級のコロンバス、アルフレッドが就役していたが、太平洋の回航は見送られた。
マゼラン経由の回航は日独の潜水艦戦力を考えるとリスクが大きすぎたからだ。
実際、日本海軍の伊号潜水艦によって、1942年7月に回航中の空母ワスプが撃沈されてしまっていた。
ワスプは航空機輸送のために艦載機の発着艦が不可能になっており、そこを狙われたのだった。
ワスプ喪失によって大西洋からの主力艦回航は当分の間、禁止となった。また、太平洋からの回航も同じ理由で禁じられた。潜水艦対策が確立するまではマゼラン経由で主力艦を回航するのは危険すぎた。
さらにアメリカ軍は燃料不足にも苦しんでいた。
開戦時には1年分のストックがあったトラック基地の重油タンクは1942年8月に入ると大半が空となりつつあった。
アラスカにあった燃料のストックは日本軍が来る前に運べるだけ運び、運びきれない分は焼却処分されていた。
それで一時的にトラック基地のストックは増えたが、マゼラン経由で運ばれてくる燃料を継ぎ足しても、あと1回全力出撃したら以後、主力艦は行動不能になる見込みだった。
燃料を運んでもストックが増えないのは、あまりにも輸送距離が長く、輸送システムそのものに莫大な燃料を喰われているからだった。輸送中の沈められるタンカーは多く、星条旗を掲げるタンカーは日独海軍の最優先攻撃目標だった。
潜水艦の魚雷攻撃は大型軍艦でなければ全門斉射が禁じられていたが、タンカー攻撃の際には、確実に撃沈するために魚雷の全門斉射が許可されていた。
米太平洋艦隊では真剣にマリアナ放棄、さらに踏み込んで太平洋からの全面撤退さえ、論じられる状況であった。
なお、マリアナ放棄はトラック放棄と同義語だった。
日本軍のマリアナ侵攻を許せば、トラック基地は日本空軍の重爆撃機の射程圏内に入り、猛爆に遭うのは目に見えていた。
太平洋破棄など、政治的に絶対不可能である。
せめてオーストラリアまで後退できないか検討されたが、オーストラリアに撤退しても燃料不足とオーストラリアに艦艇整備能力がないため、短期間に自滅することが分かり、沙汰止みになった。
太平洋でアメリカ海軍が地歩を維持しようと思ったら、トラック基地を死守するしかなかった。
トラック海軍基地は1919年以来、一貫してアメリカ太平洋艦隊最大の根拠地だった。
嘗て太平洋の大泊地といえば、ハワイ王国にある日本海軍の真珠湾基地だったが、ワシントン講和条約でハワイ王国が非武装の永世中立国となったため、アメリカ海軍が太平洋に大規模な基地を置こうとしたらここしかなかった。
トラック基地には6つのドックがあり、サンゴ礁を埋め立てて作られた戦艦を修理可能な3つの陸のドックに加えて、日本が第二次世界大戦に参戦すると修理能力強化のために3万t級浮きドックが3つも追加されていた。
新造すら可能な能力をもつ造機工場群に、航空機修理施設、魚雷整備工場が建設され、アメリカ海軍の所属する全ての船のあらゆる故障、破損を癒やす能力があった。
船を動かす水兵、士官の慰安施設も充実に極みにあり、あらゆる種類の娯楽施設や保養所がトラックにはあった。
サービスを提供する従業員が暮らす住宅街さえあり、その街に電力を供給するために火力発電所があった。補助的な電源には半永久的に使用可能な波力発電所まであった。
中部太平洋に築かれたアメリカ海軍の楽園がトラック基地だった。
トラック失陥
それは即ちアメリカ太平洋艦隊の壊滅を意味していた。
例え艦隊が無傷であっても、泊地がなければ意味がないのだ。
もちろん、日本海軍もそのことには気がついているし、気がつかないはずもない。
故に、何としてでも、楽園から彼らを追い出すために万難を排してトラック基地の前哨であるマリアナ諸島に攻め入るのだ。
作戦開始時点で、日本海軍の戦力は以下のとおりである。
真田艦隊(横須賀)
旗艦 金剛
戦艦 金剛、榛名
空母 祥龍、剣龍、蟠龍、大鳳、神鳳、翔鳳(艦載機495機)
重巡 8隻
駆逐艦 24隻(駆逐艦は全て秋月型)
明石艦隊(佐世保)
旗艦 穂高
戦艦 穂高、敷島、三笠
空母 隼鷹、飛鷹、鈴谷、三隈(艦載機182機)
重巡 6隻
駆逐艦 18隻
長宗我部艦隊(呂宋)
空母 大鷹、神鷹、海鷹、沖鷹、雲鷹、翔鷹(艦載機120機)
重巡 8隻
駆逐艦 48隻
上陸船団(3個師団分)
母艦航空戦力は米太平洋艦隊を完全に圧倒していた。
大鳳型空母1番艦から3番艦まで就役し、年末までにさらに1隻が艦隊に加わる見込みだった。
大鳳型は1939年計画で4隻の建造が認められた装甲空母で、基準排水量は35,000tもあり、第二次世界大戦中に就役した空母の中では最大の排水量を誇った。満載時には40,000tを超える。
大鳳の特徴は堅固に守られた装甲飛行甲板で、全面に渡って25mmと75mmのDS鋼が貼られていた。ただし、格納庫のない艦首と艦尾部分、エレベーターは重量軽減のために25mmしか装甲がなかった。
大鳳はこの装甲防御を実現するため、飛龍型から13,000tも重量が増え、船体も大型化していた。トップヘビーを避けるため格納庫を単層式にせざるえないが、船体を拡大することで搭載機数の減少を最小限に抑える設計である。また、小型高出力の高温高圧缶で艦内容積を圧縮しており、格納庫は艦尾から艦首に至る広大なものを備えていた。
艦載機数は計画値では70機だったが、殆ど場合10機程度を露天係止で過積載しており、実際の艦載機数は80機前後であった。
最高速力は33ノットで、飛龍型よりも2ノット遅いが実用上は必要にして十分だった。
飛行甲板には前部エレベーターからカタパルトに接続する軌条が設けられていた。カタパルト発進には軌条の上を走る台車を用い、発艦に使った台車は自動的に回収され、スロープで格納庫へ送られるシステムになっていた。
この軌条と台車を使った発艦促進システムによりデッキオペレーションを大幅に高速化、自動化しており、大鳳は迅速な戦闘機の緊急発進が可能となっていた。ただし、カタパルトの圧縮空気は20機分しか保たないので、全機がカタパルト発進できるわけではなかった。
着艦制動装置は艦載機の大型化に備え5tまで対応する余裕があるものである。
大鳳は日本海軍が1930年代に40年代の戦争を予想して、それに必要と考えられる全ての要素をぶち込んだ空母であり、日本海軍はこれを39年計画で4隻、40年計画で12隻建造(後に16隻)する予定だった。
見た目にもこれまでの日本型空母よりも明らかに洗練されたフォルムであり、英国のアークロイヤルようなエンクローズドバウや煙突と一体化した島型艦橋など備え、アメリカ海軍からはハンサム・クラスと呼ばれた。
大鳳以外にも、日本海軍は隼鷹のような商船改造空母や、巡洋艦改装空母を戦列に加えている。
スラバヤ沖海戦で大破した重巡鈴谷は船体を流用した空母化改装を受けて艦隊に復帰していた。
軽空母鈴谷は元巡洋艦らしく快速33ノットを誇り、31機の艦載機を運用可能で、実用性の高い軽空母となっていた。
軽空母三隈は建造中の最上型巡洋艦の1隻を空母化改装する際に、先のスラバヤ沖海戦で沈んだ巡洋艦三隈の名前を復活させたものである。
これには情報を撹乱してアメリカ軍を混乱させるという意図があり、後々のことだがアメリカ海軍は無線通信解析の際に、三隈1隻に対して軽空母1隻、重巡洋艦1隻がいるとダブルカウントするミスを犯している。
上陸船団を護衛する長宗我部艦隊には鷹型空母6隻が揃い、アメリカ海軍との水上戦闘に備えて4個水雷戦隊と砲戦用重巡洋艦妙高型8隻が揃っていた。
なお、艦隊司令長官の長宗我部森親提督は、呂宋五大老と呼ばれる豊臣秀頼に付き従って呂宋に渡った5人の重臣の一人、長宗我部盛親の直系の子孫にあたる人物である。
長宗我部提督は呂宋有数の大貴族の御曹司であり、その貴公子然とした態度に海軍奉行の山本五十六が思わず先に敬礼してしまったという逸話がある。
なお、真田提督は呂宋五大老の一人真田信繁の血縁であるが直系の子孫ではなく傍系である。先に戦死した後藤基次提督は呂宋五大老の一人、後藤又兵衛の血縁という噂があるが、真偽は定かではない。明石提督に至っては全く血縁関係なく、偶然同じ苗字なだけである。
ちなみに呂宋五大老のうち、真田は大名家の次男坊で、他は他家の陪臣等で、大名といえるのは長宗我部一人だけである。
話が逸れたが、艦載機800機に達する洋上機動航空基地に加え、硫黄島からの空軍機300機が1942年8月3日、マリアナ諸島へ押し寄せることになる。
硫黄島からの爆撃は1週間前から昼夜兼行で行われており、膨大な写真偵察に基いてアメリカ軍の砲台や防御施設は片っ端から爆砕された。
なお、日本軍は熱田島沖海戦の結果から情報漏れを疑って、作戦開始前に暗号を全て変更しており、アメリカ軍は日本軍の作戦情報を掴むことができていなかった。
だが、これまでは明らかに密度が異なる大規模空襲を受けたアメリカ軍のサイパン島守備隊は、控えてきた対空砲を全力射撃し、多数の日本軍機を撃墜している。
その代償に位置を暴露したアメリカ軍の対空砲部隊は空爆によって、ほぼ全滅することになる。航空戦力が枯渇したサイパン守備隊にとって対空砲は唯一の空の護りであり、これを早期に失ったことは後の地上戦において重大な意味をもつことになる。
アメリカ軍のサイパン島守備隊は増援を受け取っていたが1個師団半程度であり、総兵力はおよそ30,000名だった。
日本軍の準備砲爆撃は熾烈を極め、一人のアメリカ兵も生き残っていないと思われた。
ただし、この事前砲爆撃は日本側が期待していたほどの効果はなく、分散配置されていた戦車や重砲がかなりの数が生き残っており、後に準備砲爆撃は不十分だったという判定を受けることになる。
日本軍の上陸は8月7日となったが、サイパン島には上陸に適した海岸線が1箇所しかないことから、アメリカ軍の熾烈な水際迎撃により日本軍海兵第1師団は大損害を受けた。
隠蔽されていた1個戦車大隊のM4中戦車が橋頭堡に乱入してくるなど血みどろの激戦である。
日本軍が投入した浮航戦車や水陸両用装甲車は本格的な戦車には全く歯が立たず、座礁の危険を犯した海軍の駆逐艦が主砲の水平射撃で漸く米軍戦車を撃破したほどだった。
遮蔽物のない海岸線に上陸した日本兵は機関銃陣地から滅多打ちに遭い、僅か30分で3,000名の兵士が死傷した。
だが、この日に限っては頼りになる航空支援はなく、上陸した歩兵達は自らの命を的にしてアメリカ軍の攻撃に立ち向かうしかなかった。
トラック基地を出撃した米太平洋艦隊の接近を受けて、日本海軍の3個艦隊は上陸支援どころではなくなっていたのである。
アメリカ軍の反撃は航空攻撃から始まった。
トラック基地には4つの航空基地があり、大小350機の航空戦力が残っていた。
マリアナ諸島の基地に送っても爆撃で潰されるだけなので、日本軍が上陸した際に長距離攻撃を行う腹づもりだったのである。
長距離攻撃を担うのは魚雷装備のB-26と水平爆撃のB-17で、護衛はP-38が努め、80機規模の攻撃隊を2群送り出している。
攻撃隊には飛行艇のPBYカタリナも含まれていた。魚雷装備可能な機種ではあったものの、通常は哨戒や救難に使用される機材であり、アメリカ海軍のなりふり構わない対応とその窮状を見て取ることができる。
P-40のような単発戦闘機も増槽を搭載して、PBYカタリナの誘導で洋上進出して艦隊防空を行う予定だった。
さらに水上には全力出撃したアメリカ海軍太平洋艦隊の姿があった。
太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル提督が直卒する低速戦艦6隻(旗艦メリーランド)とレイモンド・スプルーアンス提督率いる高速戦艦6隻と空母エンタープライズが全力出撃し、サイパン島を目指して北上を続けていた。
アメリカ海軍の迎撃作戦はシンプルだった。基地航空部隊の攻撃で日本軍の空母を叩き、その間に戦艦が上陸船団へ突入し、これを撃破するのである。
トラック基地からはP-40戦闘機が苦労して上空直掩を行っており、空母エンタープライズも艦載機の半数をF4Fで固めていた。
アメリカ海軍の各戦艦は、可能な限り対空砲を増設しており、大量のボフォース40mm対空機関砲やエリコン20mm機関砲によって対空要塞と化していた。特に新世代戦艦のノース・カロライナとサウス・カロライナの対空火力は凄まじいものだった。
アメリカ海軍は次世代対空砲を大量装備した戦艦の対空戦闘能力にかなりの自信を持っており、防空輪形陣をとって突撃する戦艦群を空爆で阻止することはできないと考えていた。
マリアナ沖海戦は12隻の戦艦を擁する戦艦主体のアメリカ海軍と16隻の空母を擁する日本海軍が正面から衝突した戦いであり、空母と戦艦のどちらが真の海の王者であるかを決定した戦いとなった。
その先手をとったのはアメリカ軍の基地航空隊であり、その挑戦を受けたのは最も南に陣取っていた真田艦隊だった。
戦死した後藤基次元帥(戦死後二階級特進)を除けば、最も実戦経験に富み、特に守りを固めた手堅い戦い方をする真田提督は殆ど損害なしにこの攻撃を切り抜けてしまう。
日本軍の持ち込んだ艦載機の半数は戦闘機であり、アメリカ軍の空爆を予期していた真田艦隊は大量の戦闘機を在空哨戒させていた。
さらに駆逐艦8隻を艦隊から200kmも離れた南側に配置して哨戒線を構築していた。
この2個駆逐隊は全て3,000t級の秋月型駆逐艦であった。
秋月型は日本海軍の誇る次世代型駆逐艦であり、長10サンチ高角砲8門と8サンチ自動砲2門、23mm高射機銃12丁でハリネズミのように全身を固め、対空対水上射撃管制レーダー、対水上レーダー、対空早期警戒レーダーを備えていた。
艦内にはレーダー情報や目視監視情報を集約して効果的に戦闘を管制する戦闘情報管制室(CIC)を備え、無線通信で防空戦闘隊を誘導することができた。
日本艦海軍は開戦から1年半に経て、戦前からの研究蓄積と開戦後の戦訓を反映した装備が揃っており、空には鉄壁の布陣が築かれていた。
その多くに真田提督のアイデアや意見具申に基づき整備されたものが含まれており、何時しか日本軍のシステマティックな空の守りは古の城塞建築になぞらえ、真田丸と呼ばれることになる。
日本軍戦闘機部隊の迎撃は、ピケットライン付近から始まり、アメリカ軍攻撃隊の大半が空母を見ることなく壊滅した。
真田丸を突破して艦隊上空にたどり着いたのは頑丈なB-17のみで、魚雷装備のB-26やPBY飛行艇は撃墜されるか、魚雷を捨てて逃げるしかなかった。
水平爆撃を行ったB-17も秋月型駆逐艦や最上型巡洋艦が放つ濃密な対空砲火を浴びて損害続出だった。
もちろん命中弾はなかった。
その後も、アメリカ軍は多数の大型正規空母を持つ(つまり派手で目立つ)真田艦隊を集中攻撃し、無為に戦力を失うことになる。
改装空母ばかりの明石艦隊に攻撃が行われていたら、2~3隻は空母を沈められたかもしれないが、アメリカ軍が攻撃したのは最も守りが堅い真田艦隊だったのが不運であった。
真田艦隊がアメリカ軍の激しい空襲に遭う間に、索敵に成功した明石艦隊、長宗我部艦隊からは前衛のスプルーアンス艦隊に向けて攻撃隊が発進していた。
さらに後方の硫黄島基地からも戦闘機の護衛なしだが、40式陸上攻撃機と39式重爆が発進しつつあった。
明石艦隊の攻撃隊は二波に分けて124機、長宗我部艦隊は67機だった。
前衛兼索敵艦隊であるスプルーアンス艦隊の陣容は以下のとおりである。
旗艦 ノース・カロライナ
戦艦 ノースカロライナ、サウスカロライナ、コンステレーション、
レンジャー、コンスティチューション、ユナイテッド・ステーツ
空母 エンタープライズ
重巡洋艦 4隻
軽巡洋艦 1隻
駆逐艦 15隻
トラック基地から飛ぶP-40は後方の低速戦艦部隊を守っており、スプルーアンス艦隊があてにできる防空戦闘機はF4Fしかなかった。
そのF4Fは40機程度であり、この数で攻撃隊を全て押しとどめることはできなかった。
また、F4Fと海燕Ⅱの戦いは性能面で概ね海燕Ⅱが勝っており、特に速度性能差が大きく格闘戦以外でF4Fは対抗不能だった。
戦闘機の迎撃を突破した日本軍攻撃隊は空母エンタープライズに集中した。
エンタープライズは輪形陣中央に位置して厳重に守られていたが、100機以上の攻撃機に狙われて無傷でいるのは不可能だった。
250kg爆弾5発が命中し、魚雷3本を受けたエンタープライズは大火災をまきおこして道半ばにして沈んでしまう。
攻撃隊の犠牲も大きなものだったが、これでスプルーアンス艦隊は対空砲火以外に空爆から身を守る術を失ってしまう。
さらにスプルーアンス艦隊には真田艦隊の攻撃隊が迫っており、二波に分けて285機が殺到した。
真田艦隊の攻撃隊が艦隊上空に到着したときには、防空のF4Fは燃料切れと弾薬の欠乏で不時着水しており全く戦闘機の妨害はなかった。
これを予期していた真田艦隊の戦闘隊は半数が爆装して出撃していた。爆装していない機も低空におりて対空砲火制圧のため機銃掃射するように命令を受けていた。
非装甲の駆逐艦は戦闘機の機銃掃射には弱く、運悪く魚雷や爆雷に直撃され誘爆して沈む船も出た。
戦艦には効果が低い250kg爆弾を抱えた39式艦爆や爆装戦闘機は巡洋艦や駆逐艦を狙ったので、スプルーアンス艦隊の駆逐艦は半数が撃沈され、輪形陣は崩壊に追い込まれた。
もはや秩序だった対空戦闘は不可能であり、スプルーアンス艦隊の各艦は個艦の対空砲火と回避運動以外に頼るものがなくなる。
この戦いでは39式艦爆の後継機である42式艦上爆撃機「鰹鳥」が初陣を飾っている。
時速100kmまで加速して水中にダイブして魚を捕らえる鰹鳥は新型ダイブボマーとしてふさわしい名称と言えた。
42式艦爆の開発設計は三菱重工である。
鰹鳥の原型は川崎との競争試作に敗れた試作戦闘機だった。
社内名称は定かではないが、1940年に制式化される予定だったことから、下一桁をとってゼロないし、レイセンと呼ばれた。
ゼロは三菱の堀越技師が設計した36式戦闘機の正統後継機となるはずだった機体だが、自社製の瑞星12気筒V型液冷エンジンは川崎のハ40に比べて100馬力近く出力が劣り、発展性の低さが指摘されていた。
低馬力のエンジンを機体の軽量化で補った設計のため、ゼロは採用試験の急降下試験時に空中分解するなど散々な結果に終った。また、生産に要するリベットの数が川崎案の3倍という生産性の低さも加わって、40式戦闘機は川崎案が採用された。
だが、三菱には経営上の救済措置として、新型艦上爆撃機の開発が打診されており、試作機の設計データは新型艦爆の設計に流用されることになる。
なお、鰹鳥はとある兵器の運用を前提としており、当初から双発であることを求められていた。
そこで鰹鳥は不採用になった試作40式戦闘機(三菱案)を双発化することから始まり、偵察員兼航法士を乗せるために複座となった。また、急降下爆撃や着艦に備えて機首前方に操縦席を移動させた。そのため対地対艦攻撃において死活的な前方下方視界は第二次世界大戦における攻撃機のうちで最良という評価を得ている。
エンジンは瑞星より強力な金星12気筒V型液冷エンジン、離昇1,500馬力である。
それぞれ主翼にエンジンナセルを配置して装備した。なお、直進性維持のために左右のエンジンはそれぞれ逆回転する特別仕様となっている。
急降下爆撃のために機体強度を上げつつ、生産性を向上させるために機体外板の増厚してパーツを一体成型し、スポット溶接を多用することでリベットの数を川崎の40式戦闘機よりも減らすことに成功した。
最初からそうしていればよかったのだが、非力なエンジンを補うために無理な軽量化を行ったこととエンジン選択のミスがゼロの悲劇といえた。
武装は機首下面に23mm機関砲を2門備え、戦闘機並の運動性と相まって、敵が爆撃機なら十分迎撃戦闘に参加できるほどになった。
爆装していなければ速力は、高度5,000mで時速614kmに達するので一撃離脱に徹すれば戦闘機とも戦えないこともなかった。相手がF4FやP-40なら戦闘機の護衛なしでも爆撃可能だった。
防御はコクピットと胴体下面に18mm防弾鋼板を追加し、燃料タンクも防弾化している。
急降下爆撃機であることからダイブブレーキは当然備えていたが、速度計と連動した降着装置がその役割を果たし、一定速度以上になると主脚がエンジンナセルから下りて速度を制御するという分かったような分からないシステムになっていた。
なお、主脚を下ろして急降下してくる鰹鳥は独特の風切音がすることから、米軍は鰹鳥をハーピィーと呼んで忌み嫌うことになる。
三菱社内ではこの急降下爆撃機を一種の戦闘爆撃機と認識しており、双発戦闘爆撃機として非公式に「双戦」と呼んでいる。
自重3.8tの鰹鳥は新型着艦制動装置のある大鳳しか運用できず、スプルーアンス艦隊攻撃に参加したのは50機足らずだった。
高度5,000mから緩急降下で加速した鰹鳥の中隊は高度4,000m付近で反転し、急降下爆撃行程に入った。投弾高度は高度3,000m付近だったとされる。
これは異常なほどの高高度からの急降下爆撃だった。
急降下爆撃は高度1,500~2,000mで行うものであり、投弾高度は500m以下なのが普通である。
だが、このような低空攻撃は対空砲火によって犠牲が増える一方だった。
在来の急降下爆撃機は日米が多用する20mmクラスの高射機関砲の有効射程内に入ってしまうため、多大な損害を被っていた。
さらに投弾高度が低いので爆弾を十分加速することができず、戦艦のヴァイタル・パートを貫通して船の重要区画に打撃を与えることは困難だった。
急降下爆撃で撃破できるのは空母や巡洋艦までで、戦艦が水平爆撃か雷撃以外致命傷は与えられないと考えれていた。
そこで日本海軍は対空砲火を回避しつつ、急降下爆撃の着弾速度を高速化するため、新兵器の開発を行っていた。
それが40式ロケット加速砲弾発射器だった。
鰹鳥は、まさにその新兵器を運用するためだけに双発機として開発されたと言っても過言ではなかった。
新兵器といっても、元々は急降下爆撃用に開発されたものではなく、戦間期に大口径火砲の代用品として開発を進め、そして失敗に終った無反動砲を流用したものだった。
42式艦爆の胴体には魚雷のような筒状の発射チューブが接続されており、中には戦艦長門用の38サンチ徹甲弾が封入されていた。発射用の装薬を挟んで反対側にはエタノールと生石灰を混ぜた塩水が封入されており、これが発射時にカウンターウェイトになって砲口の反対から吹き出して反動を相殺する仕組みだった。
発射チューブ全体の重量は1tあった。
エタノールは不凍液で、塩水は比重が重いため無反動砲のカウンターウェイトには最適だった。生石灰は水分と反応して高温を発するため、高高度の冷気で塩水が凍るのを防ぐためのものである。
42式艦爆には自動爆撃システムが搭載されており、投弾高度をセットすると無反動砲から38サンチ砲弾が自動的に発射され、機首が引き起こされた。
自動爆撃システムはパイロット保護のGスーツとも連動しており、高圧空気で下半身を締め付けて血流の逆流を阻止し、ブラックアウトを防ぐ仕組みになっていた。
発射チューブは投弾後すぐに自動投棄される。発射チューブはブリキ製の使い捨てで、回収して複数射撃することは不可能だった。
高度3,000m発射された38サンチ砲弾は砲口初速195m/sで落下し、0.3秒後に弾頭後部の旋動式ロケットブースターに点火。さらに加速する同時に弾頭に回転を与え、ジャイロ効果で弾道を安定させた。
ロケットブースターの燃焼時間は3秒で、燃焼終了と同時に爆発ボルトで基部が吹き飛び、不要になったブースターを回転する砲弾の遠心力で飛散させる仕組みになっていた。
高度3,000mで投弾した場合、着弾までおよそ7秒だった。
戦艦ノースカロライナに命中した38サンチ砲弾は、撃速450m/sで落下60度だった。この場合、理論上は400mmの装甲を貫通する見込みだった。
戦艦の装甲でも特に分厚い主砲塔天蓋に命中した38サンチ砲弾は呆気なくそれを貫通し、砲塔内部の奥深くで炸薬を起爆させた。
大将旗を掲げたノースカロライナが16インチ三連装砲塔を空高く舞い上げ、砲弾の誘爆できのこ雲を下に消えたのは、42式艦爆の投弾から27秒後のことである。
これが40式ロケット加速砲弾発射器の初戦果だった。
ノースカロライナは爆沈し、艦隊司令長官のレイモンド・スプルーアンス提督は即死だった。すぐに次席指揮官に指揮は引き継がれたが、米艦隊の悲劇は続いた。
ノースカロライナに続き、サウスカロライナにも鰹鳥が殺到。バイタルパートを貫通したロケット加速砲弾が機関部で爆発し、さらに航空魚雷1本が命中した。
コンステレーションはロケット加速爆弾2発が命中して、機関が破壊され20ノットまで速力が低下していた。コンスティテューションは魚雷2本が命中、艦内で火災が発生していた。
レンジャーはロケット加速砲弾3発命中して大破し、ユナイテッド・ステーツも機関を破壊され、足が止まったところで魚雷1本が命中している。
コンステレーションにいた次席指揮官のトーマス・C・キンケイド少将は、このままでは艦隊が全滅することを後方にいたキンメル提督に伝え、航空支援を要請している。
さらに駄目押しに硫黄島から飛来した40式陸攻40機と39式重爆12機の空襲が始まった。戦闘機の迎撃がなければ、脆い陸攻でも対艦攻撃には全く問題なかった。
狙われたのは火災を起こして煙を上げていたレンジャーで、上空からでも目立つことから集中攻撃を浴び魚雷5本が命中して総員退艦となる。
短時間で2隻の戦艦が失われたことは、米太平洋艦隊の士気を大きく挫いた。
雷撃や水平爆撃以外では抜けないはずの戦艦の装甲が破られたことも大きな衝撃で、日本軍が未知の新兵器を使用したことは明らかだった。
このまま前進しても未知の新兵器で艦隊が壊滅することは目に見えており、上陸船団への攻撃は不可能としてキンメル提督は作戦中止を決意する。
サイパン島では上陸した日本軍への総攻撃が始まっており、間接的に撤退するアメリカ艦隊を支援する形となった。
陸軍から矢のような航空支援の催促を受けた長宗我部艦隊と明石艦隊は撤退するアメリカ艦隊を追撃することができなくなっていた。
サイパン島守備隊の血みどろの奮戦は、太平洋艦隊の救援という前提に立ち、その進撃を支援するためのものだったが、皮肉なことに彼らの奮戦は逆に撤退を支援するものになった。
もちろん、サイパン島守備のアメリカ陸軍はそのことを全く知らされていなかった。
この戦い以後、海軍に裏切られ、サイパン島守備隊を犬死させられたアメリカ陸軍は海軍の作戦へ非協力的になり、アメリカ軍内部に大きな亀裂を生み出すことになる。
追撃戦に移った真田艦隊からは第3次攻撃隊122機が発進して、反転したキンケイド艦隊を攻撃した。
キンケイド艦隊上空にはトラック基地から飛来したP-38戦闘機22機がいたため、海燕Ⅱとの空中戦が発生している。
ただし、艦隊を守りきるには数が少なすぎた。
アメリカ戦闘機の妨害を跳ね除けた真田艦隊の攻撃機は艦隊から落伍していたユナイテッド・ステーツに集中して、ロケット加速砲弾を5発以上命中させてこれを撃沈した。
日暮れまでに第5次攻撃隊までが編成され、スプルーアンス(キンケイド)艦隊は司令長官と戦艦4隻、空母1隻、重巡2隻、駆逐艦12隻を失って壊滅した。
スプルーアンス艦隊で生き残った戦艦はコンステレーションとコンスティテューションの2隻のみだった。
この2隻もあと日没が1時間遅かったら、確実に撃沈されていただろうと言われている。
対する日本海軍の艦艇損失は0だった。
戦艦4隻を損失艦なしで沈めるという偉業を成し遂げた日本艦隊だったが、艦載機800機で始まった戦いが、1日の航空戦で稼働400機を割り込む大損害を受けている。
母艦に対する損害はないのだが、出撃のたびに激しい対空砲火によって損傷機が増えており、修理がおいついていなかった。
日没後も夜を徹して修復が続けられることになっていたが、稼働機がどこまで増えるかは整備員の努力次第となっていた。
鈴谷や三隈のような軽空母は整備能力が低く、改装空母の継戦能力の低さを露呈することになっている。
後方を走るほぼ無傷のキンメル艦隊は無事にトラック基地に撤退したが、貴重な高速戦艦4隻と太平洋最後の空母を失った上に、燃料の枯渇でほぼ再起不能の状態に陥った。
アメリカ軍太平洋艦隊は、事実上、壊滅したのである。
戦艦と空母の戦いは、空母の勝利に終った。




