小説家になりたい
子どもの頃に抱いた夢を、覚えている人はどれほどいるのだろう。子どもの頃、小学生の卒業論文や、中学一年生の頃の将来の夢、なんてものをどれほどの人が本気に見続けているのだろう。
義務教育の範疇に含まれる、文集や卒業アルバムに、どの学校にも必ずあるであろうコメント欄。
『将来の夢は?』
何気ない問いかけに、誰もが何気なく答えたはずだ。
将来の夢は、『スポーツ選手』、と、クラスで一番かけっこの早かった将太くんは答えていた。
将来の夢は、『弁護士』、と、クラスで一番べんきょうが得意だった陽介くんは答えていた。
将来の夢は、『お医者さん』、と、クラスで一番病気がちだったけれど努力家の昇平くんは答えていた。
将来の夢は、『天気予報のお姉さん』と、クラスで一番笑顔が晴れやかな裕子ちゃんは答えていた。
将来の夢は、『お笑い芸人』、と、クラスで一番ユーモラスな顔をした大智くんは答えていた。
将来の夢は、『総理大臣』、と、クラスで一番おっぱいの大きな委員長の香奈子ちゃんは答えていた。
誰もがみんな、それぞれに。
当たり障りのない夢を描いて、それなりに努力して、それなりの人生を謳歌して、時は過ぎて。
何気なく描いた夢。
人生の、節目節目で、幾度となく、なんども、なんども繰り返し繰り返し、私は子ども頃の夢を見た。
子どもような夢を見た。
何気ない問いかけに、何気なく答えた答え。
将来の夢。未来の夢。
小学生の時のタイムカプセルの手紙に書いた夢。
中学生の時の自己紹介でひけらかした夢。
高校生の時の部活動で取り組んだ夢。
だけど、夢は所詮、夢でしかない。夢は、夢であって、現実にはならない。
そうやすやすと、手に入るものじゃない。
この、世界には、魔法のステッキも変身ベルトもチートコードも存在しない。
どんなに強く思い描いていたとしても、叶わない夢もある。
そうしてるうちに時は過ぎていく。
私は子どもな夢を見て、そして夢見る子どもであった。
スーツにYシャツ、ネクタイを締め、革靴を履き、毎朝定時に家を出て、毎晩遅くに家に着く。
そういう大人に、私はなった。
だんだんと、口に出すのが憚られてしまっていて、
だんだんと、目指すのが恥ずかしくなってしまっていて、
だんだんと、努力するのを忘れてしまっていて、
だんだんと、日々の生活から遠ざけてしまっていて、
だんだんと。心の奥に、しまっていて、奥底に、仕舞い込んでいて。もう見ることなどないと、思っていた夢。
だから、ずっと忘れていたのだ。
その日、
子どもの頃に埋めたタイムカプセルを、開封したという手紙が届いていた。
思い出した。
私が何でできていたのかを。
「僕の夢は、叶いましたか?」
僕は、あの時確かに夢を見ていたのだ。
夢を、持っていたのだ。
その夢を叶えるためにできることは何でも探した。
その夢を叶えるために捨てた可能性もたくさんあったはずだ。
無駄にした才能と時間は数えきれない。
何のためにこの日まで、僕は生きていたのだろうか、と自問する。
僕は、何になりたいのかと、自問した。
将来の夢は、『小説家になりたい』、と、クラスで一番夢見がちだった僕は、また答えた。