七話
二輪馬車の後ろで揺られながら、シャルルは足をプラプラさせながら遠ざかる景色を眺めていた。手綱を握っているのは父親のラウで、二人とも虎の耳と尻尾を持つ獣人だった。
「はぁ……」
小さく溜息を漏らしたシャルルは、暢気な父親に苛立ちを覚えた。どうして今、わざわざ出かけなければならないのか。
(ママが出て行ったばかりなのに)
しかも同じ日に、村の若者も一人姿を消したのである。偶然なのかも知れないが、二人が密通していた可能性は否定出来なかった。当初は事件に巻き込まれた疑いもあったが、二人とも着替えなどの荷物がなくなっていたことから、自分の意思で出て行ったのだろうと捜索も中止されたのだった。
父親もショックだったろうが、シャルルはそれ以上にショックで悲しかった。
(どうして、ママ……)
母にとって自分の存在はその程度だったのか、そう思うと涙が溢れそうだった。暗く沈んだ毎日を過ごす娘の様子に、心配で気遣う目的もあったのかも知れない。
「古い友人のハジムから手紙が来てな、久しぶりに会おうという事になった。向こうにも、お前と同じくらいの子供がいるらしい。少しは気晴らしになるだろう」
そうして急遽、出かける事になったのである。出発してしばらくは、父親の昔話が延々と続いていた。
「俺とハジムは同じ村で育ったんだ。俺が二十歳の時に故郷を出てから、会うのは母さんとの結婚以来かな。あいつも今は村を出て、他の場所で暮らしているらしい。幸いここから近くて、今日中には到着するはずだ」
そんな話を聞きながら、どうして平気な顔で母の話を出来るのかシャルルは不思議でならなかった。同時に怒りが湧き、ほとんどの話を聞き流した。
そうして会話がなくなると、シャルルは父から離れて後ろに移動したのである。
「はぁ……」
何度目かわからない溜息を吐きながら、シャルルは父の話を思い出す。
(私と同じくらいって言うことは、八歳くらいよね。あーあ、今はそんな気分じゃないのに)
村にも同年代の男の子はいるが、彼女からすればみんな子供っぽくて一緒にいても楽しくなかった。子守をするために行くような気分で、シャルルはいつまでも憂鬱な気分で揺られていた。
ハジムとエリザに呼ばれて外に出ると、見知らぬ獣人が二人立っていた。ハジムがラウとシャルルの親子だと紹介し、エリザはノルンを紹介した。
「家の近くなら安全だから、二人で遊んでくるといい」
ハジムがそう言うと、
「ノルン、男の子が女の子を守ってあげるのよ。ね?」
エリザはノルンと目線を合わせてそう続けた。ノルンは頷き、シャルルに視線を向けると、何やら険しい表情でこちらを見ていた少女はプイッと顔を背けて歩き出した。その後ろを、ノルンが追いかける。
二人とも黙ったまま歩き続け、森にやって来た。小さな川が西から東へ流れており、深さは三十センチほどある。澄んだ水で、川底がよく見えた。
不意に、ピタリとシャルルが足を止める。そしてそのままの状態で、背後のノルンに声を掛けて来た。
「ねえ、いつまで付いて来るつもり?」
「いつまで? シャルルが戻るなら戻りますが」
「ちょっと、馴れ馴れしくシャルルって呼ばないでよ」
「けれど、そう紹介されたので。違うのですか?」
ノルンの問い掛けに、くるりと振り返ったシャルルは腰に手を当てた。
「その話し方は何なの? 大人にでもなったつもり?」
「変ですか? 母上に注意されたので、直したのですが……」
「変よ! 全然、子供っぽくない! 本当に私と同じ、八歳なの?」
ノルンはどう説明すべきか迷って、口を閉じて彼女の質問には答えなかった。実のところ、産まれてからまだ二ヶ月しか経っていない。外見は確かにそれくらいの年齢に見えるが、それは急成長したためだ。そしてその事は、シャルルたち親子には話さないようにとエリザから言われている。
「ふんっ!」
黙ったままのノルンを睨み付け、シャルルは川の側に行きしゃがみ込んだ。ノルンは少し躊躇いながら、シャルルの横にしゃがむ。川の中に小さな魚が泳いでいた。しばらくそれを目で追っていると、シャルルが口を開いた。
「ねえ、パパとママのこと好き?」
「好き、何でしょうか……感謝はしています」
「……何それ?」
「私は彼らに拾われただけなので、本当の両親ではありません。なので、親子としての愛情があるのかどうか――」
ノルンがまだ言い終わる前に、それ以上、聞きたくないとでも言うように彼の頬が大きく鳴った。シャルルの小さな手が彼の頬を打ち、立ち上がったその顔は目を見開き、唇を強く噛んでいる。
「愛情があったから、育ててくれたんでしょ! 一緒に過ごした毎日が、楽しくなかったの? 嫌いなら、優しくなんてして欲しくなかったよ! 捨てるなら……勉強がんばったねって、褒めないで欲しかった……」
涙が溢れた。それに気付いたシャルルは、目をごしごし擦って再びしゃがみ込む。無表情ながらも、内心で困惑していたノルンがどうしようか考えていると、シャルルが顔を伏せたまま呟く。
「ごめん……これじゃ、八つ当たりだ」
「……何か、あったのですか?」
ノルンが問い掛けると、わずかな間の後にシャルルが顔を上げた。
「ママがね、出て行ったの。他の男の人と一緒に。さよならも、ごめんねもなかったんだ……ひどいよね」
「……」
何も言えずにノルンが黙っていると、シャルルが拗ねたように口を尖らせながら、横目で見てきた。
「……普通、何か慰めの言葉とかあるんじゃない? 女の子が落ち込んでいるのに」
「そういう、ものでしょうか?」
「もう!」
勢いよく立ち上がったシャルルは、川の中に身を躍らせる。大人には浅い川でも、八歳の子供には十分な深さがあった。
「えいっ!」
足を蹴り上げ、跳ねた水がノルンに掛かった。楽しそうに笑いながら、彼女は何度もそうして水を掛けてくる。それをぼんやり見ながら、ノルンは思う。
(コロコロと感情が切り替わって、それに合わせるように変化する表情も、とても豊かですね。これが女の子なのでしょうか?)
記憶の中にある何人かの女の子を思い浮かべるが、シャルルほど極端な子はいない。けれどそれが、ちょっと気の強そうな彼女の外見に合っているようにも思えた。
その時だ。
「あっ……」
はしゃいでいたシャルルが、足を滑らせて背中から倒れそうになる。この辺には大きな石も多いので、とても危険だった。気付いたノルンは素早く体を動かし、水面に栗色の短い髪が触れる直前で、シャルルの体を無事に受け止めた。
「危ないですよ」
ノルンがそう言うと、ぎこちなく頭を動かして視線を向けたシャルルが、小さく頷く。ノルンに支えられながら体勢を立て直したシャルルは、先程までの元気を失い、手を引かれて川から出た。
「帰りましょうか」
「……うん」
彼女の返事を受けて歩き出すノルンは、握っていた手を離そうとするが、シャルルはそれを拒むように手に力を込めた。仕方なくノルンはそのまま、手を握ってシャルルと共に家路についたのである。