五十四話
重苦しい空気の中、レスティ・キャベラ・エリトアはいかに自分が場違いなところにいるのかを痛感していた。しかしだからと言って、退席が許されないのも、わかりすぎるほどわかっている。自分の生まれ持った立場が、選択の自由を許しはしないのだ。
王家の人間として生まれたことが幸福だったのか、不幸だったのかはまだ判断が出来ない。ただ、蜘蛛の糸のように全身に纏わり付く人々の期待や自己の責任が、時に彼女を苛立たせ、憂鬱な気分にさせた。
「――では、速やかにワイアラへの移動を開始する。ウォルドーは先発隊を率いて明朝、すぐに出発して欲しい。他のキャンプへは封蝋をした手紙を、ボナンの部隊で届けるのだ。よろしいですか、姫様?」
「はい。委細、ラムザの判断にお任せいたします」
二人の戦士に指示を出し、確認のために訊ねたラムザの言葉に、レスティは自分がこの場にいる意味を確かめるように常套句を口にした。そして居心地の悪さから逃げるように、会議の終了を告げてその場を後にした。
「はあ……」
テントを出てから少し離れ、レスティは緊張から解き放たれたように息を吐いた。疲労感だけが、虚しく体を蝕んでゆく。
――あなたが唯一の希望なのです。
物心ついたころから言われてきた言葉。最初は誰かに必要とされる喜びがあったが、それも特別扱いをされる日々の中で失われ、後はただ責任の重さだけが残った。
それでも逃げ出さずにいられたのは、やはりエリトアの仲間たちが大好きだったし、大切な家族のように思っていたからだろう。
だから自分も、何かをしたかった。必要としてくれるみんなのために、王族らしい事をしたいと思うものの、満足のいく結果は出なかった。
(会議の時だって、本当は私も意見を言えるようにならないといけないのに、知識も経験もない私の言葉では、無駄に時間を浪費するだけ……)
きっとそんな事は望まれてはいないのだが、変化する状況が彼女の心に焦燥感を生んでいた。
レスティは一度自分のテントに戻ったが、色々な想いが頭の中をグルグルと駆け巡り、どうにも眠れそうになかったので少し夜風に当たることにした。
ぼんやりと泡のように浮かんでは消えていく、様々な出来事や感情をとりとめもなく頭の中で思い浮かべながら、静まりかえったキャンプの中をあてもなく歩く。すでに真夜中を過ぎ、歩哨に立つ兵士を驚かせながら進んだ先で、レスティはベリーウェルを見つけた。
彼は一人で立ち尽くし、無数の星が光る夜空を見上げている。彼女の方からでは眼帯で目元が隠れているので、その表情を正しく読み取ることは出来ない。
「まだ、起きていたのか?」
とっくに気づいていたのだろう、空を見上げたままベリーウェルが声を掛けて来た。
「は、はい。少し前に会議が終わったのですが、何だか寝付けないので散歩をしていました」
慌てて答えたレスティは、何となく恥ずかしさを覚え、顔を赤くしながらわずかに距離を詰めた。
ベリーウェルが何か話すかと待ったが、彼は相変わらず動かないままだ。躊躇いながらもレスティは、心の中のわだかまりを吐き出すように口を開く。
「あの……ずっと、謝らなければと思っていました」
「俺にか?」
不思議そうに言いながら、ベリーウェルはようやく彼女に視線を向けた。その視線に怯みながらも、レスティは首を縦に振ると話し始める。
「えっと……森の中で助けて頂いた時に、王家の人間だということを黙っていて、申し訳ありませんでした」
「それは当然の判断だ。むしろあの時、わずかでも信用してもらえただけ、ありがたいと思っているよ。何だ、そんな事をずっと気にしていたのか?」
ベリーウェルは、口元に優しげな笑みを浮かべて言う。だがそれが余計に、レスティの胸を締め付けた。
「あと、それと――」
勢いで続けたが、その後の言葉が出てこない。何と言えばいいのか、考えるほどに頭の中が真っ白になっていく。だがその様子で察したのだろう、ベリーウェルはひどく優しい声で彼女に告げた。
「異質なものを恐れるのは、人として普通の反応だと思う。だから気に病む必要はないさ。気にしてないって言ったら嘘になるが、いつまでも覚えているような事じゃない」
彼女の胸が、ちくりと痛んだ。嫌な記憶とともに、自分の存在までもが忘れられていくような寂しさが、去来したのだ。重ねて、彼の優しすぎる声色が、すべてを拒絶しているようにも思えたのである。
「もう寝た方がいいぜ」と言ってこの場を去ろうとする彼に、レスティは咄嗟に声を掛けた。
「いつか! いつか、エリトアの再興が叶った時、会いに来てください!」
縋るような気持ちだった。自分の心の奥にある、小さな蕾がどんな花を咲かせるのか、まだわからない。単なる罪悪感なのか、これから育まれる淡い恋なのか。初めての感情の正体を、レスティは知りたいと思った。
ここでベリーウェルと別れたら、もう会えないような気がしたのだ。だから、自分の手で色の定まらない糸を繋ぎ止めようとしたのである。
きょとんとした表情でそんなレスティを見たベリーウェルは、やがて心底楽しそうに破顔した。それは彼女が初めて見る、子供のように無邪気な笑顔だった。
「喜んで、お姫様」
彼はそう言うと手を胸に当て、少しキザっぽく頭を下げた。彼女は満足そうに頷く。今はこれで十分だった。
未来へと繋がる別れの夜が、やがてどんな意味を持つことになるのか、この時はまだ誰もわからない。レスティはこれから始まる戦いに不安とわずかな希望を抱きつつ、去りゆくベリーウェルの背中を見送っていた。