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覇王と十二の刃  作者: 元素猫
第六章 絶望の橋
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三十五話

 レスティ・キャベラ・エリトアにとって、奴隷生活というものはいつもの日常だった。産まれてすぐに国が滅びたので、王族としての生活を知らない。質素な今が自分の知るすべてなのだ。だから「姫様が我慢をしているのなら」などと言われても、ピンと来なかった。


 二十歳になると、自分も前線に立って出来ることをしようと思ったが、周囲の皆に反対されてしまう。レスティは過保護にされることを不満に思いながらも、歳の近い娘たちと過ごす日々に充実感を覚えていた。


 だがそれも、すぐに悪夢に変わった。キャンプが戦える男たちの留守を狙ったように、魔族の襲撃を受けたのである。残された者たちは抗うことも出来ずに、あっけなく捕らえられてしまったのだ。


「姫様、大丈夫ですか?」


 そう(いたわ)るように声を掛けて来たのは、レスティと腕を鎖で繋がれたミーネという少女だった。自分とは対照的な少女だと、レスティは思う。


 レスティはわずかに茶色がかった黒髪を長く伸ばし、前髪を眉のわずかに上で真っ直ぐ切り揃えている。毛先にゆくほど緩やかなウェーブが掛かっていて、綺麗なストレートに憧れていた。


 一方のミーネは襟足は短く、左右は耳が半分ほど隠れる長さで、前髪は垂らしているが特に切り揃えてはいない。レスティよりも明るい茶色で、ふんわりととても柔らかそうな髪質だった。


 服装もスカート中心のレスティに対し、ミーネはほとんどショートパンツである。


「大丈夫よ、ミーネ」


 四歳年下のミーネは、まるで自分の保護者のように振る舞うことがある。それをレスティは微笑ましく思いながら、彼女の思うままにさせていた。背伸びをしたがる妹のような、そんな気持ちにさせるのだ。


「手を、離さないでください」

「ええ」


 レスティが頷くと、わずかに鎖が擦れ合う音がする。けれどそれもすぐ、周囲の喧噪に包まれた。


 最初、何が起きたのかわからなかった。檻車(かんしゃ)に乗せられ運ばれる途中、『絶望の橋』に差し掛かった時に騒動が起きたのだ。すぐにどこかの襲撃を受けたとわかったが、まさか助けが来たとは思わなかった。


 一台の檻車に十人が乗せられていたが、その中の一人が襲撃者たちの中に見知った顔を見つけ、助けが来たことに気付いたのである。


 ガルオークたちはすぐに檻車を移動させ橋を渡ろうとしたが、対岸からも救出の兵士たちがやって来て橋上は混乱に包まれた。


 檻車は全部で五台あり、それをガルオーク兵が取り囲んでいる。戦闘の気配は近くまで迫っていたが、まだ辿り着く者はない。


 レスティは込み上げる恐怖と吐き気に、叫び出したい気持ちでいっぱいだった。けれど何とかそれに堪えていられるのは、繋いだ手からミーネの震えが伝わって来たからだ。


(私がしっかりしなくては)


 そう自分に言い聞かせることで、なんとか心の均衡を保っていられた。


 そんな時だ。檻車を守っていたガルオークたちが、二匹だけを残しどこかに走って行く。視線を向けるが、残ったガルオークの背で遮られて何も見えない。


 状況がわからないことが、不安をより一層募らせた。レスティが握った手に少し力を込めると、応えるようにミーネも握り返して来る。そんな些細なやりとりが、緩衝材のように押し潰されそうなレスティの心を守ってくれる。彼女はわずかに頬を緩め、繋いだ両手に視線を落とした。


「姫様!」


 不意に掛けられた声に、レスティはハッとして顔を上げる。そこには檻車を守るガルオークと対峙する、男たちの姿があった。息を切らせて剣を構える彼らの姿が、これまでの激戦を物語っている。


 二匹のガルオークを、六人の男たちが取り囲んだ。一匹に対して三人が相手をすることになるが、それでも万全ではない。


 ガルオークの皮膚はもともと硬く攻撃を受け難いが、鍛え抜かれた肉体はまさに鋼のようだった。その上、二メートルを優に越える巨体から繰り出された攻撃には、防具すらも無意味に思えるほどの威力があるのだ。


 男たちは三方向から攻めたて、一人が腰に下げていた鍵を剣で落として手にいれる。すぐさま鍵を手にした男が、檻車に駆け寄った。


「助けに参りました!」


 男は必死の形相の中にも喜びを滲ませ、手に入れた鍵で檻車の扉を開けた。そしてレスティに手を差し出し、彼女を檻車から降ろそうとする。だが――。


「後ろです!」


 いち早く気付いたレスティの声に、男は素早く振り返って間一髪、ガルオークの振り下ろす一撃を剣で受け止めることが出来た。先程までこのガルオークを抑えていた仲間の二人は、倒れたままピクリとも動かない。


 男は懸命に抗うが、受け止めているだけで精一杯で、押し戻すことも出来なかった。すると何かを悟ったのだろう、ミーネを一瞥し叫んだ。


「姫様を、姫様だけでも助けるんだ! 早く行け!」


 青くなりながらも頷いたミーネは、レスティの腕を掴むと先に檻車から降りる。


「姫様、行きましょう!」


 だが、レスティは拒絶するように首を振っった。


「私は、行きません!」


 エリトアという国は、すでに存在しない。それでもなお、自分を姫と周囲の者が呼ぶのだとすれば、彼らは国の宝であり守るべき民なのだ。


「私は、多くの仲間を残して行けません」


 毅然とレスティが言うと、突然背中が押された。


「バカなこと言ってないで、逃げるんだよ!」


 そう言ったのは、同じ檻車に乗せられていた女性たちだった。彼女たちはレスティを押し出すと、自分たちも続いて檻車を降りた。


「でも私は! 王族です。誰よりも先に逃げることなど――!」

「それはとても立派な心がけだと思うよ。でもだったら、私たちにも言い分はある。今、逃げられる者たちの中で一番若いのはミーネで、その次が姫様だ。若い芽を導き守るのが、私らオトナの役目さ」


 並ぶ女性たちは皆、笑顔だった。恐怖を隠し、気丈に振る舞う彼女たちの姿に、レスティは吐き出しそうな言葉を呑み込み、ただ黙って頭を下げた。


「ミーネ!」


 レスティは隣の少女の名を呼び、握った手に力を込める。こぼれそうなほど涙を溜めたミーネは頷き、二人は走り出した。


「行かせないよ! あの子らはエリトアの未来……希望なんだ!」


 背に受けた声は重く、レスティは唇を噛み締めた。今、涙を零すわけにはいかなかった。


「姫様! こっちです!」

「姫様! ご無事で!」


 逃げる二人の少女を見つけると、剣を振るう男たちがガルオークの行く手を遮り、安全な場所に向かえるよう道を示す。レスティは何度も感謝の言葉を繰り返し、やがて喧噪から遠ざかって行った。

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