三話
「ハァ……ハァ……」
ようやく痛みから解放されたラフィーアは、額に汗を滲ませながらゆっくりと呼吸を整えた。ぐったりと身を横たえながら、男たちが何もしてこないのを利用して、しばらく現実逃避するように呆然としていた。だが、
「男の〝宿在〟だ」
脚の間に入って産まれた赤子をタオルで包み、全身をきれいに拭いていた男が仲間にそう告げた声に、ラフィーアの意識は現実に引き戻される。
目線を足の方に向け、ラフィーアは自分が産んだものを初めて目にした。自分と同じ銀色の産毛が生えた頭に、子供を産んだのだという実感が湧いてくる。そして見た限りでは、人間の子供のようだったので安心もしたのだ。
臍帯はまだ繋がったままで、その先には肉の塊を平らに伸ばしたようなものがあった。それは胎盤なのだが、出産の経験も知識もないラフィーアは、得体の知れないものに不気味さを感じる。だがどうやら、男たちの目的は子供よりむしろその胎盤にあったようだ。丁寧に処置を行い、臍帯を切ると胎盤を大事そうに器に仕舞った。
男たちが頷き合うと赤子を抱いた男も立ち上がり、そのままラフィーアを残し連れて行こうとしたのを見て、思わず彼女は男を呼び止めていた。
「お願い……一度だけ……抱かせて……」
なぜそんなことを口にしたのか、自分自身でもわからなかった。ただ、自分の産んだ赤子を見た時、ラフィーアの心に不思議な気持ちが切なさと共に込み上げて来たのである。そして連れて行かれてもう二度と会えないのだと思った時、悲しみとも怒りとも判別できないぐしゃぐしゃな感情が、溢れ出してしまったのだ。
男たちは黙ったまま顔を見合わせ、やがて赤子を抱いた男が小さく頷くと、ラフィーアにそっと差し出してきたのである。
「んっ……」
重りが付いているような体を動かし、ラフィーアは上半身を起こす。そのわずかな動作だけで、皮膚にじっとりと汗が滲み、数キロを走ったような倦怠感に襲われる。
「ハァ……」
ラフィーアは息を吐き、少しだけ休憩して腕を伸ばすと我が子を受け取った。
(男の子か……)
年齢を問わず男の象徴を見るのが初めての彼女だったが、自分とは異なる部分に我が子が男だと言うことはわかった。
(意外と可愛い……)
内心でそんな感想を抱いたラフィーアは、少し恥ずかしそうに視線を逸らすと改めてその顔を見た。すべてのパーツが小さく、力加減を間違えれば簡単に壊れてしまいそうな、そんな気持ちにさせるほど無垢な存在だ。触れるすべてが柔らかく、女性なら誰もが憧れるような肌触りに、ラフィーアは飽きることなく我が子の頬を撫でた。
すると、産まれてから泣き声をまったく上げることなく、小さな目を閉じて口をもごもごさせていた赤子が、初めて嫌そうに「うー」と声を上げて身をよじったのである。
(ああっ!)
ラフィーアは胸をキュンキュンさせながら、表面上は冷静さを取り繕いつつ、内心であまりの可愛さに悶えた。
(私の子供……私、母親になったんだ)
自ら願って出来た子ではない。父親のいない忌むべき魔術の儀式によって産まれた、何者かも知れぬ子だ。それでも自分は確かに産まれたばかりのこの子を、愛しているのだと自覚できた。
「さあ、そろそろこちらに……」
赤子をラフィーアに渡した男が、そう言いながら手を伸ばして来る。思わずラフィーアは、我が子を守るように抱きながら身を引いた。
「抱いたことで愛情が芽生えたか……だが、それはこちらのものだ」
眉を寄せて男が強行しようと動いたその時、他の男たちが苦しげに天を掴もうと腕を伸ばしながら、息が詰まるような声を上げたのだ。
不意の出来事に驚いた男もまた、伝染するように目を剥いて声を上げた。
「あああああっーー!」
すると、黒装束に包まれた男たちの体が、空気が抜けるように細くしぼんでいったのである。
「――っ!」
ラフィーアは息を呑み、男たちの顔を見た。その顔は急激に衰えたように、いくつもの深い皺が刻まれ、精気を失っていったのだ。
「た、助け……て……」
最後の声を残し、男たちはぶかぶかになった黒装束ごと、その場にぐしゃりと崩れ落ちたのである。
いったい何が起きたのか、呆然とするラフィーアの耳に、不気味な笑い声が響いた。
「ヒッヒッヒッヒッ、さすがに五人分ともなれば、なかなか、いい感じですねぇ」
ランプの明かりで出来た濃い影の中から、ゆらりと闇が揺れ動きながら溢れ出して来る。そしてそれは人の形になり、脱皮をするように闇が剥がれると、先程まで生きていた男たちと同じ黒装束が現れたのだ。
「なるほど、ハーフエルフを母体に選んだわけですね。手駒としてしか見ていませんでしたが、なかなかの知恵者が居たようで嬉しい限りです」
フードの中は闇が満ち、その素顔を見ることは出来ない。しかしどうやら、儀式を行った彼らよりも上の地位にある男のようだった。ならば組織的に動いている証拠だが、今のラフィーアにはそこまで考える余裕はない。
ラフィーアは、知らぬ間に震えている自分に気付いた。本能が、けたたましいほどの警鐘を鳴らしている。それも、他人に関わることで感じる恐怖のレベルを軽く超えた、命の危機の来訪を告げていた。
「あ、あなたは……誰、ですか?」
勇気を振り絞ったその問いに、顔は見えないが黒装束の人物が愉快そうに笑みを浮かべたのがわかった。
「我々の存在は今はまだ、知る必要のない事ですよ。しかし何も知らぬままでは、未練が残るでしょう。ここで何が起きたのかだけ、簡単に説明をしてあげましょう」
黒装束の人物はそう言うと、男たちの黒装束を漁り、胎盤を入れた器を取り出す。
「これが、本来の目的です。これが何か、おわかりですか?」
その問いに、ラフィーアは正直に首を振る。
「これは胎盤です。母体の中で子供が育つのに、とても大切なものなのですよ。ですが出産すると役目を終え、外に出てきます。我々はこれを、自らで食したり、売ったりしているのです」
「食べる……それを?」
「ええ。教会では人肉嗜食として禁止されておりますが、我々、反教会ではむしろ推奨しています。さらには老化を止めるという噂があり、貴族のご婦人方の中には我々のお得意様も決して少なくはありません。もっとも、噂を流したのも我々なのですがね」
黒装束の人物は、「ヒッヒッヒッヒッ」と小さく声を出して笑った。
「それで我々は貴重な資金源の一つとして、こうして魔術の儀式によって子供を産ませているのです。産まれた子供は通常、魂が宿らずにすぐ死んでしまうのですが、ごく稀に魂が入り込むことがあります。それを我々は『宿在』と呼んでいるのです。そして今回、その魂を確認するために私が来たというわけですよ……」
言葉が途切れ、不意に風が吹いたような気がした。黙って聞いていたラフィーアは、すぐにでも逃げ出したい気持ちに襲われる。だが、はらりと黒装束のフードが脱げた時、露わになったその顔にラフィーアは息を呑んだ。その顔は、まさに魔族の骸骨兵士そのものだった。生命の息吹をまったく感じさせない、死者そのものである。
その顔の暗く何もない眼窩の奥で赤い光が小さく瞬くと、突然、世界が灰色に包まれた。
「オオオオオ……オオオオオオ……」
地鳴りのような声に、空気すら怯えたように震える。何かが来るという予感にラフィーアは包まれ、そしてその通り、ソレは現れた。
作中で「胎盤食」を否定的な感じに書きましたが、特定の考えを支持するつもりも否定するつもりもありません。素人の書いたマイナーな作品が影響を与えるとは思えませんが、心配性なので念のため書かせていただきました。
というか、男で独身の自分にはハードルが高すぎる話題です……。