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覇王と十二の刃  作者: 元素猫
第五章 追憶
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二十八話

 流れる雲で見え隠れする月の光が、地上の月を淡く照らす。ルサディエットの肩に掛かる柔らかな髪が、光の粉をまぶしたように輝き、彼女が細くしなやかな身を動かす度に揺れた。


 既製の外套で覆っていてもなお、肢体の瑞々しさと全身の起伏を隠し切れることはなく、どこか淫靡(いんび)な香りを漂わせつつも清廉さを失わずにあった。


 ベリーウェルは彼女を「話がある」と街の外まで誘い出し、崩れた城壁を背にして今に至る。


「話とは何だ? 昔話に付き合う気はないぞ」


 口火を切ったのは、ルサディエットだった。無造作な立ち姿でありながらも、周囲の異変を逃さないよう気を張り巡らせているのがわかった。ベリーウェルは彼女が歩んできた千年を思いながら、用件を伝える。


「俺は、エリトアの生き残りを探している」


 ルサディエットが切れ長の目をわずかに細めた。


「二十年も前に滅んだ国の生き残りを探し出して、どうするつもりだ?」


 質問を返す彼女の態度に、ベリーウェルは『らしくない』と感じた。いつもなら知っている情報を教えるか、何も知らないと素っ気なく言い放つだけである。


 昔から目の前の高貴なハイエルフは、自分に関わりがない事柄には、口を出すような事はしない。つまり裏を返せば、ベリーウェルの目的がルサディエットに関係する可能性があるということだ。


(本人は自分の態度に気付いていないようだがな……)


 昔の仲間とはいえ、それを教えてやるつもりはない。ある人物の言葉を借りれば、『思考の蟻地獄』というものらしい。


 表情にこそ出ないが、内心ではかなり冷静さを失っているのだそうだ。慎重さと真面目さが(あだ)となり、火の粉を払うあらゆる可能性を考慮しすぎて、逆に抜け出せなくなっているのだという。


 それはともかく、ベリーウェルはエリトアの生き残りにルサディエットがどう関係しているのか、その事が気になった。しかしいずれにせよ、仲間に嘘をつく気はない。まだ話せないこともあるが、話せることは正直に話すつもりだった。


「……どうするのかは何も考えていない。ただ、彼らのために何かしたかったんだ」


 ベリーウェルの心に(おり)のように残る罪悪感が、考えるよりも先に彼を突き動かしたのだ。


「あの日、近付く魔人の気配に気付き、向かった先がエリトアの王都だった。俺が到着した時には、すでに殺戮(さつりく)が始まっていた。奴の放つ電撃が住人を貫き、焼き殺していく様子を、俺は気配を消したまま、ただ見ているだけだった。助けようと思ったんだ。だが動けなかった。住人たちの前で本当の姿を晒すと思ったら、怖くなったんだよ――」


 彼は意識して感情を押し殺し、淡々と事実を紡ぐ。皮肉めいた笑みの仮面を被ったベリーウェルを、ルサディエットは黙って見ていた。彼女が何を考えているのか、ベリーウェルにはわからない。だが少なくとも、優しい言葉を掛けてくることはない。その確かさが、今の彼には救いだった。


 優しい言葉などいらない。


 ――化け物め!

 ――お前のせいで娘が死んだんだ!


 ほんのわずかな時間で、世界は変化する。大切なものは砂粒となって、指の隙間からこぼれ落ちていった。その時の記憶が、今もなおベリーウェルを縛り付けている。


「……話はわかった」


 ベリーウェルが胸の痛みに黙っていると、ルサディエットが口を開いた。彼女の中で気持ちがどんな変遷(へんせん)を辿ったのかは不明だが、落としどころを見つけたのだろう。


「私が知る情報は三つ。内、二つは調べれば誰にでもわかることだ」

「……」

「まず一つはエリトア奴隷解放軍だ」

「奴隷だと?」


 驚きの声を上げたベリーウェルは、思わず詰め寄るように一歩を踏み出した。


「何だ、知らなかったのか?」

「……必要以上に、関わらないようしていたからな」

「ロシュ王国は難民を奴隷として、戦場に立たせている。それを救い出しているのが解放軍だ。軍とは言っても、実働隊の数はさほど多くはないらしい」

「……もう一つは?」


 ベリーウェルは悔しさを滲ませながら、訊ねた。


「奴隷となる前に逃げ出した者たちの中で、過激な思想を持つ連中が、都市部で散発的な破壊活動をしているという話を、旅の商人から聞いた。こちらはまあ、ロシュ内に元々あった他の組織と混ざり、すでにエリトア人という(くく)りでは捉えられていないようだ」


 ルサディエットの話が終わると、彼は腕を組み、聞いた話を消化するようにしばらく黙ったまま俯いていた。


 祖国を失った人々は、未だに苦難の中にいる。そしてそれを知らずにいた自分に、ベリーウェルは腹立たしさを覚えた。だがその憤りを、今ここで撒き散らしても意味はない。


「最後の一つは、教える気があるのか?」


 ここまでの二つは、彼女の言うとおり大きな街にでも行き調べれば、労せず判明するような内容だ。しかしそれでも、彼にとっては十分有益な情報だった。だからもしも話す気がないというのであれば、無理矢理聞き出すつもりはない。


「なぜ思わせぶりなことを口にしたのか、正直、私自身も戸惑っている。ベリーウェルの率直さが、口を滑らせたのかも知れない。だから今はまだ、教えることが出来ない。すまなかった」


 ルサディエットが謝罪と共に頭を下げる。金色の髪がさらさらとこぼれ落ち、美しい顔が影に隠れた。


「それなら聞かないし、詮索もしないでおくよ。まあ、俺も……久しぶりの懐かしい顔に、つい余計な事までしゃべっちまったみたいだからな」

「千年だ。お互い、何もない方がおかしい」

「そうだな……他の連中も、どこで何してるのか」

「アリアテッサになら、一年ほど前に会った」

「本当か?」

「嘘など言うものか。彼女は、相変わらずだった」

「ああ……」


 何かを察したように、ベリーウェルは諦めの表情で笑う。しかしその声に、嬉しさもわずかに滲んでいた。


「では、私は帰る」

「ああ、助かったよ」


 外套で再び顔を隠し、街に戻って行くルサディエットの背中を見送ったベリーウェルは、これからの事に考えを巡らせた。


(エリトア奴隷解放軍か――)


 戦場ならば、ここからも近い。むしろ、ワイアラの街は前線の拠点とも言える。ただエリトアが滅んだことで、北部戦線だけが東に突出していた。南下すれば、前線はレーテ川の近辺になる。


(レーテ沿いに南下してみるか)


 そう方針を決めると、ベリーウェルは街を一瞥し、離れるように走り出した。

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