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覇王と十二の刃  作者: 元素猫
第五章 追憶
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二十六話

 カディフは震える手でしっかりとロープを握りしめたまま、強く唇を噛んだ。異変に気付いた他の隊員たちにも、動揺が走る。彼らはまだ、何が起きたのか理解していない。そしてそれを嘲笑うように、新たな生け贄が捧げられた。


「――!」


 水中に引き込まれたのは、再び新人の戦士だった。新人は最後尾からベテランと交互に並んでいたので、暗い後ろ姿でも一目でそれとわかる。


「……水中の化け物は、それなりに知恵が回るようだな」


 背後から聞こえたダラスの声に、カディフは視線を向けた。それに気付いたダラスは、説明するように話を続ける。


「どれが狙いやすい獲物か、ちゃんとわかっている。お前も気をつけろ。怯えを見せれば、奴に伝わる」


 カディフは頷きながら、視線を前に戻した。確かにベテランの戦士たちは、最初こそ動揺したものの、今は水中を警戒しながら戦闘態勢に入っている。すでに全員が、その姿は未確認ながらも〈マグダの門番〉ギーグの存在を意識していた。


 カディフは気持ちを落ち着かせようと小さく深呼吸をするが、闇からこちらを見る二つの光が頭をよぎると、震えが奥から蘇って来る。


(奴は俺を見た。ジッと、あの無機質な目で……)


 それは、彼が知るどんな眼差しとも異なっていた。まるで死者のように、吸い込まれてしまいそうな空虚さが、不安を掻き立てるのだ。


(ダメだ! 考えるな!)


 しかし考えないようにすればするほど、二つの眼が瞬いた。そして呼応するように、ピリピリと肌を刺すような視線の気配が襲ってくる。カディフは、それを確かめたいという衝動を抑えられなかった。


 頭の中で激しく鳴る警告音を無視しながら、カディフはロープを握った手から、ゆっくりと視線を下げた。すると、わずかな光を反射して波立つ水面の底で、それは先程と同じようにカディフを見ていたのだ。


「――!」


 鳥肌が立つ全身が硬直し、息を呑む。


 瞬間、片方の足首に何かが巻き付いてカディフの体は水中に没した。水が鼻と口から流れ込み、大量の気泡が溢れ出す。混乱と恐怖が頭を巡り、わずかな間を置いてようやく自分の状況を理解した。


(今度は俺が獲物か!)


 カディフは片足に巻き付いたギーグの触手を蹴りながら、浮上しようと必死にもがく。見上げた夜空は、今まで自分がいた場所と同じなのかと疑ってしまうほど明るく見えた。それゆえに、自分が深淵に引きずり込まれていることを痛感してしまう。


(くそっ! まだ俺は死ねない!)


 水中で体を曲げ、巻き付いた触手を(ほど)こうと自分の足に手を伸ばす。イカのような、乳白色のぬるりとする触手をカディフが掴んだ直後、頭の中に本能が嫌悪する異質な何かが侵入してきた。


(な、何だ……?)


 無邪気な子供たちの笑い声が反響し、それに混じるように意味不明な言葉の羅列が、振動のような声で聞こえる。それは理解出来ない言葉だが、不快な響きを感じさせカディフの心を乱した。


(やめろ! お前は誰だ!)


 当てのないその問い掛けに、振動のような声が答えた。ハッとするカディフは、視線を掴んだ触手の先に向ける。


 光も届かぬ遥か水中の闇の中だというのに、それは淡い光を放っているのかカディフの目にははっきりと見えた。


 最初に飛び込んで来たのは、巨大な楕円の頭部だ。短い幅の方でも百七十センチあるカディフの体長と同じくらいで、触手と同じ乳白色をしている。毛髪は一切なく、ナイフで入れた切り込みのような目を開いていた。


 そして首が続くべき場所には、裸の成人女性が何人も生えている。それぞれの女性には頭部がなく、さながら巨大な頭部を数人で共有しているかのようにも見えた。


 カディフに巻き付いた触手の正体は、その女性たちの足だ。すらりと伸びた足がそのまま触手になっていたのである。


(これが……ギーグ……)


 その姿には、すぐにでも目を背けたい嫌悪感を与えながら、どうしても目を離せない力があった。


 意味不明な言葉が、不快な響きと共に再びカディフの頭に響く。そして、性別のわからない不協和音のような笑い声――。


 ゴポッと最後の空気が彼の肺から外に抜け、大量の水が満たしてゆく。


(死ぬ……のか……)


 カディフの意識は徐々に遠くなり、ギーグの姿も闇に滲む。肉体の境界線が消え、自分自身が水に溶け出したような心地よさを感じながら、カディフは意識を失っていった。





 息苦しさを感じて咳き込みながら目を開けると、そこにはダラスの顔があった。


「俺がわかるか?」


 その声に、カディフは頷く。


「俺は……助かった……?」

「ああ、魔族領側――つまり俺たちが渡河した先の、百メートルほど下流の岸に流れ着いていたんだ。運がいいでは片付けられない、奇跡だがな」


 ダラスに支えられながら、カディフは上半身を起こす。横には、濡れたリュックが置いてあった。


 胸当てを装備し、リュックを背負っていたにも関わらず、カディフは無事に浮上した。それほど重くなかったとはいえ、確かに奇跡と言えるかも知れない。


 ぼんやりとした頭でそう考えていたカディフに、ダラスが衝撃をもたらす言葉を放った。


「しかし何があったんだ? 俺には急にお前が、自らの意思で潜った(・・・・・・・・・)ように見えたんだが?」

「えっ……」


 一瞬、呆然となる。


「ギーグが――!」

「俺が見た限り、水中には何もいなかった。お前の沈み方も、他の奴らとは違っていたよ。だからすぐに、荷物を捨てて浮かんでくると思ったんだ」

「俺は……」


 カディフは何も言葉が出ず、蒼白な顔で(うつむ)く。


(俺は、どうしたんだ? あれは全部、夢なのか?)


 あの状況から、こうして助かることなど考えられない。だとすれば、すべてが夢だった方が説明がつく。けれどあの生々しさは、今もカディフの心に残っている。


 込み上げてくる吐き気を堪えながら、カディフは言いしれぬ不安を抱えながらも、今は考えないことにした。

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