二十四話
千年前の英雄、覇王と十二の刃たちの存在は一般的にほとんど知られてはいない。人類――特に人間たちにとって、裏切り者を出したという不名誉を隠したいという気持ちがあったのだろう。禁止こそしなかったが、積極的に伝えては来なかった。今では関わりのあった者の一族や村、街などで伝えられていたり、いくつかの書物にその名を残すだけとなっていた。
「調べようと思えば、意外と簡単に判明するけれど、アリアテッサに関しては少し事情が異なるわ」
ヴァルチアはノルンから目をそらさず、話を続ける。
「聖女アリアテッサは、その死者をも蘇らせるという能力によって、『教会』が存在を隠蔽し、本人もほぼ監禁状態にあるというわ。つまり母親の傷を治療すると考えたとき、咄嗟にその名が出るということが、覇王の記憶があるという証拠にもなるのではと私は考えたのだけれど、どうかしら?」
射貫くようなヴァルチアの眼差しを受けながら、ノルンに怯む様子はない。
「隠し立てをする気もないので、正直にお話します。確かに僕には、覇王、そして魔王の記憶があります」
その言葉を受け、ヴァルチアの表情がわずかに動く。だが、その奥にある感情を読み取ることは出来ない。
「誕生して自我を得た時、自分の中に二つの記憶があることに気付きました。けれどその時は、それが誰のものなのかまでは不明でした。そんな中で、アリアテッサの事は友人という認識で記憶の中にあったのです。だから、知っていました。二つの記憶が覇王と魔王のものと確信したのは、つい前まで見ていた夢です」
そう言うとノルンは、目覚める前に見ていた夢の内容を話して聞かせた。
「……決闘時の記憶」
それはヴァルチアが最も知りたかった情報だ。だが聞いた内容だけでは、結局、何があったのかはわからない。ただ、魔王の言葉がヴァルチアの心に引っかかった。
(何から助けるというの?)
魔王がよく、同じ魔族を『仲間』と表現していたのを思い出す。つまり自分たちを助けて欲しいと、魔王は覇王に頼んだということだ。それはあまりに馬鹿馬鹿しいと思える。だが一方で、一蹴する気にはなれない理由もあった。
(私の知るあなたなら、そんな馬鹿馬鹿しいことも言いそうだものね。それに……)
ヴァルチアは歯を噛みしめ、頭の中の想いを消し去った。このまま想いに身を任せてしまったら、ずっと抑えていたものが溢れてしまいそうだったからだ。
彼女は改めて、ノルンに問い掛ける。
「他に思い出せることはないのかしら?」
「……記憶は不完全で、とても断片的です。特に魔王の記憶は、ほとんど思い出せません。先程の夢のように、覇王と共有している記憶が大半です」
「そう……」
今のこの感情を分析するとしたら、落胆だろうか――ヴァルチアは客観的に自分を見つめながら、自虐的に微笑む。
(さて、これからどうすべきかしら)
今はまだ、ノルンの存在を魔人たちには隠しておきたかった。魔人は魔王の忠臣というわけではないのだ。魔王復活の鍵を握るかもしれない未熟な少年の存在が、思惑の邪魔になると判断されれば容易く消されるだろう。
強者に従う――それだけが、魔人を縛るものだ。
「まだ、動けそうにないわね」
誰にともなく呟き、ヴァルチアはノルンから少し離れた。
「ウーラ、少年が自力で動けるまでここで待つわ。自己修復で、それほど時間は掛からないと思うけど」
「畏まりました」
すぐさまウーラは、崩れたオブデンタールの屋敷に向かう。主人を立ったまま待たせるわけにはいかなかった。そんなことは気にせず、ヴァルチアは再びノルンに視線を向ける。
「待つ間、あなた自身の事について話しなさい」
「僕自身、ですか?」
「そう。あなたの生い立ちに興味があるわ」
頷くノルンはラフィーアを一瞥し、物語の始まりを告げるように口を開いた。
「僕は、魔術の儀式によってハーフエルフの母さんから産まれました――」
エルフと人間、獣人が共存する希有な街ワイアラは、森の街と呼ばれたかつての美しい姿を失い、魔族の支配下に置かれていた。
そのワイアラの北部にあるナウベリー山の中腹に、小さな集落がある。木々に覆われ外からは見えず、行き方を知らなければ辿り着くのも難しい、そんな場所であった。
その集落から唯一、外を見渡せる崖の突端に恐れる様子もなく男は立っていた。
男は三十歳ほどの外見で、茶色い髪を無造作に後ろで束ねて右目に黒の眼帯をし、白いシャツに深緑のパンツ姿で、二本の湾刀を片手に持っていた。
「友との再会といきたいところだが、所在不明だしなあ。捜しに行くといっても、どこから探せばいいか……」
昨日、唐突に頭の中で友の存在を認識した。それをどう表現すればいいのかわからなかったが、胸が熱く、そして切ない軋みの中で高揚感に包み込まれたのだ。
「まあ、この世界で生きているなら、どこかで会えるだろうさ。だがその前に、やっぱりこの気持ちにケリをつけなきゃな……」
それは二十年間、男の心の中でくすぶっていた感情だった。
「アニキー!」
男の気持ちが沈みかけた時、背後から若者の叫ぶ声と足音が聞こえた。やって来たのは、男らしい顔つきの中にまだ幼さが残る若者だった。
「おう」
よく知る顔に、男は気軽に手を上げて応える。
「こんな所にいたんですね。どうかしましたか?」
「ああ……後でちゃんとみんなの前で説明するが、山を下りようと思ってる」
男の言葉に、信じられないという顔で若者は固まった。
「そ、そんな……」
「てめえらも、もうガキじゃないんだ。俺がいなくても生きていけるだろう」
若者は何か言おうと口を開きかけるが、男がそれを止めるように若者の頭に手を乗せる。
「俺みたいな化け物を慕ってくれたお前らに、感謝してるよ」
「アニキは化け物なんかじゃない! 俺たちの恩人だ。アニキに助けられて初めて、俺は『生きていて良かった』って思えたんだよ」
「そっか。お前たちがそう思ってくれることが、何よりも嬉しいよ。でもだからこそ、俺は行く必要があるんだ。弟分のお前たちが前に進んでいるのに、兄貴の俺だけがいつまでも過去に縛られていちゃ格好悪いだろ?」
男は照れくさそうに笑って言うと、大空に視線を向けた。
彼の名はベリーウェル、かつて〈修羅〉と呼ばれ恐れられた、十二の刃の一人だった。