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覇王と十二の刃  作者: 元素猫
第四章 魂の覚醒
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二十話

 オブデンタールは、芋虫のような指が隙間無く並んだ手で、目の前に並べられた大量の菓子を鷲掴みにすると、大きな口の中に放り込んだ。丸い肉の塊を乗せたような頭部には体毛がまったくなく、ナイフで入れた切り込みのような口が咀嚼(そしゃく)に動く度、弛んだ頬の皮膚が上下に波打っていた。


 もはや別の生き物ではないかと疑うほどの肥満体で、座っている椅子を包む込むように肉が垂れ下がっている。もう百年近くは自力で歩いておらず、両足は退化して赤ん坊の足のような細く小さいものが生えているだけだった。


 歩かなくなってからは自室からも出ておらず、すべてのことを室内で済ませている。当然一人では無理なので、眼球を(えぐ)り取って命令通りに動くようボルバウスによって改造された、元人間の女たちに面倒を見させていた。眼球を取ったのは、オブデンタールが他者の視線を極度に恐れるためだ。


 そんな女たちにとって、絶望の中の幸いとも言えるのは、オブデンタールの排泄の世話をする必要がない事だった。彼は一度体内に取り入れたものを外に出すのを嫌がり、これもボルバウスに命じて自分の体を改造させたのである。排泄の穴はすべて塞いであるため、当然、射精も出来ない。


 だが本来は外に出すべきはずの老廃物を再利用しているため、皮膚のあちこちに黒い染みが広がっていた。


「うむ、これはなかなか美味だぎゃ。ブハハハ――!」


 菓子の食べかすをこぼしながら、オブデンタールは満足そうに笑うと、視線を外に向けた。彼が今いる場所は、二階の自室にあるバルコニーだった。中庭で行われている処刑の様子を観覧するため、女たちに椅子とテーブルを運ばせたのである。


 そして今まさに、板に(はりつけ)にされた若い男が、直径十センチもあるボウガンの矢で頭部を貫かれ、絶命した。


「ブハハハ――! 次だぎゃ! 次は女だぎゃ!」


 手を叩きながらオブデンタールが声を上げると、中庭に居た鎧騎士たちが恭しく頭を垂れた。全身を甲冑で包んだ彼らは、肉体を持たぬ死霊だった。


 通常、死霊の類いは死霊姫ササフネのように『死霊使い』の能力が無ければ、配下にすることは出来ない。だが下等な死霊の場合は、その欲求さえ満たせてあげれば仕えさせることも可能だった。視線を嫌うオブデンタールには、姿が見えない彼らは都合が良かったのだ。さらに言えば、鎧騎士たちが望む人類の拷問という欲求も、オブデンダールの趣味と一致していた。


「残っているのは、これで最後ですが……」


 そう言って鎧騎士が連れて来たのは、銀髪のハーフエルフ――ラフィーアだった。彼女は一糸まとわぬ姿で、その肢体を晒している。だが、かつての美しさはその片鱗を残して消え去っていた。


 細身でありながらも柔らかな弾力を想像させる肉付きはなく、憐れみを誘うような骨の浮き出た体には、いくつもの小さな切り傷が跡を残している。それはまだ生々しいものから、すでに消えることのない刻印と化したものまであった。そして体ほどではないにせよ、顔にもその跡は残されていた。


「期待外れが最後だぎゃか? まったく、ボルバウスは何をサボっているだぎゃ」


 オブデンタールは苛立ちを紛らわすように、菓子を掴んで口に放り込む。


「美味と聞いていたハーフエルフの血も、いまいちだったぎゃな! おまけに反応がなくて、虐めてもつまらんぎゃ。もういらんぎゃ!」


 それを聞いて鎧騎士は、男の死体を板から外すと、代わりにラフィーアを磔にする。両手足を縛られ、力なくうなだれたラフィーアは落とした視線をゆっくり上げた。その目に映るのは、今の現実ではない彼女の夢であった――。





 朝靄に包まれたような視界の中に、今もなお、あの憮然としたような表情の我が子が居るような気がした。けれどラフィーアにはわかっている。あの時失った宝物は、もうこの手の中にはない。


 どこに居るのか、何をしているのか、良い人に拾われただろうか……考え続けても見つからない答えに、ただただ、不安だけが募っていた。


 この身を刺す痛みも、我が子の行く末に比べれば無いに等しいとさえ思えた。


 この気持ちはなんだろうか。


 この愛おしく恋しい気持ちは、なぜこんなにも溢れて来るのだろう。


 空を裂く音。ボウガンの矢がラフィーアの右肩に突き刺さる。それは繰り返し、体のあちこちに穴を開けた。けれどラフィーアの心が動くことはない。


(私の赤ちゃん……)


 トクンと、子宮が波打つような感覚が広がる。離れているのに、まだ臍帯(さいたい)で繋がっているようだった。これこそが父親とは違う、母と子の絆なのかも知れない。


 だからこそ愛情は深く、時に淀んで汚泥のようにもがき苦しむ憎悪に転じるのだろう。そして本当の絆が切れた時こそ、母と子の関係は終焉を迎える。


(私はまだ、あの子の母親でいられてるのかな?)


 ――ああ、ラフィーア。私はお前のために、こんな苦しみにも耐えてあげているんだよ。


 ラフィーアは思い出す。醜い母の顔。かつて傾国の美女とまで言われたその面影は、どこにもない。


(そんな恩着せがましい事は言わないで!)


 聞きたくはない。そんなのは、愛情じゃない。誰のためでもない。


(子供の苦しむ姿を見たい母親はいない。母親の苦しむ姿を見たい子供もいない。もしもいたのなら、それはもう、母と子じゃない)


 切れてしまった自分たち。だからこそ、ラフィーアは見えない絆を守りたかった。


 母の痛みや苦しみが絆を通して伝わるのなら、自分は笑っていたい。


(あなたを産んだ喜びが、何よりも勝ることを信じているから)


 ただの娘が母になるということは、どういう現象なのか。自分の命を分け与えた存在、それがまるで永遠に命を繋ぐような気さえする。


(私はちゃんと、お母さんになれているのかな? 離れていても、お母さんなのかな?)


 その葛藤……不安を消す方法は一つしかない。


(やっぱり、会いたいな。……寂しいよ)


 朝靄に包まれたような視界の中に、今もなお、あの憮然としたような表情の我が子が居るような気がした。


 否――彼は、そこに居た。

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