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覇王と十二の刃  作者: 元素猫
第三章 冒涜の遊戯
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十八話

 アリシアは落ちたタオルを拾い、もぞもぞと自分の体に巻き付けてゆく。これで裸体を見られることはないが、羞恥心を抑えることは出来ない。タオル一枚をまとっただけの姿も、十分に恥ずかしい格好なのだ。


 ある年齢になってからは、普段着で露出されていない部分の素肌を、身内にも見せたことはなかった。例外があるとすれば、体を拭く際に背中を任せる侍女だけだろう。その時も、乳房や下腹部は隠していた。


(ああ、夫でもない男性に、見られてしまった……)


 それもノルンだけではない。徐々に蘇る記憶は、ボルバウスの前に引き出された時の事も鮮明だった。


(ああっ!)


 いっそのこと、すべてを忘れてしまいたい。アリシアは一人、悶えていた。そして感情の向ける先を求めるように、怒りを含んだ眼差しでそっとノルンを見上げた。


 彼はそんなアリシアの視線には気付かず、ウーラと何か話しているようだった。アリシアに二人の会話を聞くつもりはなかったが、自然と耳に飛び込んで来る。


「……城の北側に、鉄格子で封鎖された洞窟がございます。確認は致しておりませんので、断言は出来かねますが、恐らくそれがこの地下と繋がっているのではないでしょうか」

「北というと……」

「落下時の位置関係で考えますと……こちらになるでしょうか」


 ウーラはくるりと百八十度向きを変え、その先を指し示した。


「では、そちらに向かいましょう」

「ボルバウス様の実験体は、ここに放置のままでよろしいのですか?」


 何気なく発せられたウーラの言葉に、アリシアはびくりと身を震わせた。


(実験体……)


 それがまるで、自分のことを指しているように感じられ、アリシアは胸の奥に突き刺さる不快感と恐怖、絶望に唇を噛む。外見こそ以前と変わらないが、中身は切り刻まれても再生する人外の存在だった。


「彼らはもう、こちらに向かってくる気がなさそうなので、放っておいてもいいと思います」


 ノルンが答えると、ウーラの目にわずかな疑問が揺れる。


「ではなぜ、牢に居た“彼女たち”を殺したのでしょうか? その姿を厭忌(えんき)したからではないのですか? 人というのは、群れの持つ型枠から漏れた存在を異質と感じ、嫌悪感を抱くものだと思っておりましたが……」

「僕のことを、随分前から気付いていたのですね」

「はい。メイドは来客をいち早く察知する必要がございますので、周辺の気配は常に監視しております。ただ、この度のお役目外でしたので、ボルバウス様にはお知らせ致しておりませんでした」


 「そうですか」と頷いたノルンは、一度言葉を切ってから改めて口を開いた。


「彼女――レイミーの姿に対し、驚きはあったものの特別な感情は生まれませんでした。異質というのならば、僕も同じ立場です。レイミーを殺したのは、それを本人が望まれたからです。そうでなければ、僕は何もしませんでした」

「……少し、意外に思います」

「そうですか?」

「はい。ノルン様のような力を持つ人にとって、彼らのような異形の存在は、慈悲もなく滅ぼされる敵なのだと思っておりました」

「僕は出来れば、誰の命も奪いたくはありません。けれど必要ならば、躊躇わず力を振るおうと思います。彼らが敵意を持って向かってくるのであれば、受けて立つつもりです。ですが今のところ彼らを殺す理由が、僕にはありません。それに――」


 そこで一度言葉を切ったノルンは、口元をわずかに緩めた。


「実は今、力の使いすぎで立っているだけで精一杯なんです」

「そうでしたか。それでは、いつまでもここに留まる理由はございませんね。そろそろ、参りましょうか」


 笑みを浮かべたウーラはノルンにそう言うと、視線をアリシアに向けた。突然目が合ったアリシアは、慌てた様子で視線を外すと、誤魔化すように体に巻いたタオルを指で弄ぶ。


「アリシア様、外に出るために出発したいと思うのですが、よろしいでしょうか?」

「は、はい! 大丈夫です!」


 タオルが落ちないようにしっかり掴みながら、アリシアは慌てて立ち上がった。そして自分に向けられるノルンの視線に体が熱くなるのを感じながら、ランプを片手に歩き出す彼の後に続いた。最後尾はウーラである。


 アリシアは裸足だったが、地面の少し湿った柔らかい土のお陰で、特に困ることはなかった。


 ただ黙々と、ランプが照らす先の見えない闇の中を歩きながら、アリシアは踏み出す度に重くなる自分の足を見た。少し汚れてはいるが、今までと姿が変わることはない。にも関わらず、彼女は自分の体を今までと同じに見ることは出来なかった。


(そうだ、私はもう……人間じゃない)


 大好きで夢中になった英雄の冒険譚、その主人公や仲間たちに憧れて家を出たはずが、倒されるべき化け物になってしまった。


 化け物の役目は一つ、英雄に倒されること。ただそれだけの存在――アリシアはずっとそれを疑うことがなかった。でも実際に自分がその立場になった時、当たり前と思っていたことを理不尽と感じたのである。


 人を襲う化け物もいたが、大概が彼らのテリトリーに侵入した英雄たちを追い出そうと姿を見せたに過ぎない。化け物たちにとっては、当然とも言える行動だった。けれど読者にとって人ならざる者は、明確な理由などなくとも悪なのだ。


 アリシアは外に出たら殺されるかもしれないという恐怖で、とうとう前に進むことが出来なくなった。


「どうなさいましたか?」


 ウーラが声を掛け、ノルンも足を止めて振り返る。アリシアは下を向き、唇を噛む。


「私、ここに残った方がいいのかも知れない」

「残りたいのですか?」


 不思議そうにノルンが訊ねる。


「そんなわけありません! でも、私はもう普通の人間じゃないから……お父様やお母様に合わせる顔がないもの」

「あなたが外に出たいと思うなら、そうすればいいだけです。誰の迷惑になるわけでもありませんから」

「でも……」

「不安だというのであれば、アリシアが安全な場所に着くまで僕が一緒にいます。ただ、しばらくこちらの予定に付き合ってもらわないといけませんが。どうしますか?」


 ノルンの言葉に、アリシアは顔を上げた。先程とは別の理由で、顔が熱かった。


(お父様以外の男性に、初めてアリシアと呼ばれました)


 そんなことを頭の片隅で思いながら、アリシアは小さく頷いた。ノルンはそれを自分の提案に対する肯定と受け取り、わずかに微笑むと再び歩き始めた。


 アリシアはその後を、どこか夢見心地で追ったのである。





 二人のやりとりを見ながら、ウーラは驚きと共に興味を抱いた。


(わたくしがお会いしてからの短時間で、随分と変化したように思います。他者に関心がなさそうに見えましたが、アリシア様にあのような提案をなさったのには、本当に驚きですね)


 他にも気になることはいくつかあり、それらを含めてウーラはノルンという人物のことを、主に報告すべきだと考えた。幸い、ノルンがボルバウスを死滅させたことで、ウーラのここでの役目は終了することとなる。


(外に出ましたら、一度、主様の下に帰りましょう。懐かしき、我が城へ!)


 心が躍る。知らないうちに笑みを浮かべ、ウーラの心はすでにここにはなかった。

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