十五話
膝を付くほどの強いめまいに襲われたのは初めてだったが、その理由はすぐに判明した。前世の記憶の中にある〈セフィラーの門〉についての知識が、教えてくれたのだ。
めまいの原因は、『ケティルの門』にある。この門が解放する力は原初の魂……つまり、〈偉大なる父〉ヤハルが直接生み出した、最初の生命だけが持つ魂の力だ。この原初の魂も通常の魂と同じように転生を繰り返すため、稀に『ケティルの門』を開ける人物が産まれていた。その時の経験や考察などが蓄積され、後生のために知識として残されたのだ。
それによれば、ノルンに現れためまいの症状は、力の使いすぎを警告するもののようだった。原初の魂の力は、魔力の消費はもちろんだが魂への負荷も大きい。即ちそれは、精神と肉体を破壊され、死に至る危険もあるということだった。
(ガルオーク五匹、そしてボルバウス……万が一を考えたら、むやみに使うのは危険でしょうか)
ノルンは牢でレイミーの命を奪った時、ガルオークを殺した時以上に、胸の痛みを感じた。しかしその痛みをどこか受け入れている、自分も居たのだ。それは、ガルオークの時とは違い、殺すという行為をはっきりと意識して行ったからだろうと、ノルンは感じていた。決して罪悪感が消えたわけではないが、そのお陰で気持ちの落としどころは見つけられたように思う。
手を汚すことで、何かに蝕まれてゆくような恐怖があった。だが、誰かの命を奪って胸が痛むうちは、まだ自分にエリザの息子を名乗る資格があるように思え、それが救いにもなっていた。
(自分への忠誠……)
エリザの言葉を思い出す。彼女は確かに、『敵を素早く殺すことが合理的だ』と考えていたノルンを諫めるような事を口にはしたが、そのすべてを否定はしていない。あの時は深く考えずに聞いていたノルンだが、『自分への忠誠』とは信念を持ち自分の行動を誇れることだ。
ここへ来るまでに出会ったガルオークたちを殺さなかったのも、答えを見つけられず精神的に一番楽な選択をしたに過ぎない。消極的で明確な意思を感じられず、決して誇れる行動とは思えなかった。それでも今のノルンは、他の選択肢を選ぶことが出来ない。
「……今は集中しよう」
小さな声で呟いたノルンは、正面にいる素手のガルオーク、その両側を固める大鎌を持った四匹のガルオークたちと、改めて対峙した。そして補助系統の魔法を解放する『イェスードの門』を開き、〈祝福〉を発動させた。これは強化魔法の最上位で、全ての身体能力を大幅に向上させる効果があった。
ノルンの全身が淡い光に包まれ、彼の中で気力が漲ってくる。そんな彼の様子に、警戒心を露わにした素手のガルオークが攻撃を仕掛けて来た。
丸太のような腕が空気を唸らせ、重い一撃を放つ。それをノルンは遥かに細い腕で受け流しながら、相手の懐に飛び込むべく一歩を踏み出す。そして下から掬い上げるような拳を、ガルオークの腹に叩き込んだ。
「ゴハッ――!」
ガルオークは白目を剥き、体を二つに折りながら弧を描き吹き飛ばされ、床に叩きつけられ意識を失った。頑丈なガルオークでも骨折は免れないだろうが、生命力の強さで死ぬことはないだろう。
「まずは一匹……」
誰にともなく言いながら、間髪を入れずノルンは大鎌を持った四匹のガルオークに向かった。すぐさま四匹はノルンを取り囲み、大鎌を振り回す。四つの刃を縫うように躱しながら、ノルンは手近な一匹との間合いを縮めた。そして再びガラ空きの腹に標的を定めたその時、首の後ろがチリチリと痺れる。
「――!」
咄嗟に膝を折り身を屈めると、その頭上ギリギリを大鎌の鈍い光が走り抜け、まさにノルンが標的としていた前方のガルオークを、胴体から真っ二つに斬り裂いたのだ。
傾く上半身から内臓がこぼれ落ち、血飛沫が視界を赤く染める中、ノルンは下半身だけになったガルオークの股下をくぐり抜け、床を転がる。すると屈んだノルンを追撃する二匹目の大鎌が、下半身だけになったガルオークを下から斜めに斬り上げた。
ずるりと滑り落ちた下半身のさらに半分をノルンは掴み、三匹目が頭上から振り下ろす大鎌の先端を受け止める。そしてそのまま押し返しながら立ち上がり、後ろに跳んで距離を取った。
味方の犠牲も厭わない攻撃に、ノルンはわずかに眉を寄せた。自分が直接手を下したわけではないが、あまりいい気分はしない。
「何をやってる! 仲間を殺してどうするのだ! 殺すのは小僧だぞ! わかっているのか!」
ボルバウスは、自分を守る大切な手駒が一つ減った事に憤慨して叫んだ。するとガルオークたちは、反射的にビクッと肩を震わせると、目の色を変えて一斉に襲い掛かって来た。
「ガアアアア!」
獣のような声を発し、三匹はまるで追い詰められているかのような気迫で、大鎌を振り回す。ノルンは彼らが動き出すと同時に、『ホッドの門』を開き〈硬化〉を自らの腕に掛けた。土の上級魔法で、対象を硬化させて物理防御を上げる魔法だ。
今まで以上に鋭い軌跡を描く大鎌を、ノルンは硬化させた腕で受け止めながら、次々と拳で破壊していった。ガルオークたちは一瞬呆然としながらも、柄だけになった大鎌を放り出し、それでも引かずに素手で挑みかかった。硬化したことで重い一撃を受け止めることも容易く、そのまま腕を掴んでは何倍もの巨体を持ち上げて投げ飛ばす。そうして攻撃のタイミングをずらしながら、一匹ずつ確実に急所を攻め、ガルオークたちの動きを封じた。
「な、何をしてる! 早く起き上がれ! 起き上がって吾輩を守るのだ!」
ボルバウスが叫ぶ中、ノルンは強化魔法が解けて全身にまとわりつくような疲労に、荒く呼吸を繰り返した。立っているだけでも辛そうな様子だが、それでも何とか残った体力でボルバウスに歩み寄って行く。
「や、やめろ! 来るな!」
肘から先を無くした腕で、ボルバウスは体を持ち上げながら這いずるように後退する。だがその時、視界の端に動くガルオークたちの姿を捉え、慌てて彼らの方に近付こうと向きを変えた。
「よ、よし! 早く起きろ!」
咳き込みながらガルオークたちは体を動かすが、まだすぐには立ち上がることが出来ない。ノルンは少し歩く速度を上げ、『ケティルの門』を開いた。そしてボルバウスの目前まで迫り、彼を見下ろすようにして足を止めた。ボルバウスは恐怖と悔しさを滲ませ、ギリッと歯を噛みしめる。
「く、くそ! だ、誰かいないのか! 誰か――そうだ、ウーラ! ウーラ!」
切迫した彼は喜色満面で、脳裏に浮かんだ救世主のごとき人物の名を叫んだ。
呼び出しに応えスカートをひらめかせながら宙を舞い現れたのは、三十歳前後と思われる獣人のメイドだった。