十四話
取り繕うように姿勢を正したボルバウスは、改めて少年に目を向け問い掛けた。
「吾輩の配下どもに何をした、小僧」
「……」
しかし少年は答えず、落ち着いた足取りで歩を進める。
「答えぬか!」
それでも少年はボルバウスを無視するように歩き続け、大声に反応してゆるゆると起き上がろうとするアリシアの横まで来た。するとついにボルバウスは腹に据えかねて、太い眉と共に目尻を釣り上げ、勢いよく立ち上がると怒声を張り上げた。
「答えろと言っておるだろうが――!!」
配下のガルオークたちがビクリと身を震わせ、何事かとアリシアが声の方に視線を向ける。そしてようやく足を止めた少年が、初めてボルバウスと目を合わせた。
「……改めて問う。吾輩の配下に何をした?」
一呼吸し怒りを抑えながら、ボルバウスは同じ質問を繰り返した。
「動けないように拘束をしました」
「だから、どうやってだ?」
苛ついた声の質問に、少年は不思議そうな表情で返す。
「拘束されているのは見ればわかる。だが、あんな拘束具などなかっただろう? 小僧が持ち込んだのか?」
「いえ、造りました」
「造った?」
訝しむボルバウスに、少年は当然と言わんばかりに頷いた。
「壁や床から枷を造りました。それで彼らを拘束したのです」
「――!」
少年の言葉でボルバウスは、その答えに辿り着いた。信じがたいことだったが、他に解はない。様々な実験を繰り返し、いままで存在しなかったものをいくつも生み出して来た彼だからこそ、ありえないという言葉の脆さを理解している。
「『ケティルの門』か……小僧は、それを認識し、開く事ができるというのだな」
「……」
ボルバウスは少年の無言を、肯定と捉えた。驚愕の表情は興味を示す薄い笑みに変わり、ゆっくりと腰を下ろすと脚を組み、肘掛けに肘を付いて寄りかかった。
「小僧、名は?」
「ノルンです。あなたがここの主、ボルバウスですか?」
「いかにもそうだ。だが吾輩の名を知っているということは、迷い込んだというわけではなさそうだな」
少年――ノルンは頷く。
「僕は母を助けに来ました」
「そうか……だが残念ながら、無事に助けられる人間の女はもう一人もいない。姿が以前とは比べようもないほど変わっていても、構わないというなら別だがな」
そう口にするボルバウスは、どこか嘲るような笑みを浮かべた。
「僕の母は人間ではありません。四ヶ月ほど前に連れて来られた、ハーフエルフです」
「ああ、確かにその頃、ハーフエルフがここに来た。処女ではなかったが、男臭くなくかなり美味だったぞ。肌に小さな傷を付け、そこから垂れる血を毎日舐めては楽しんでいた。我ら魔人にとって、ハーフエルフの血は珍重される『食材』だからな。小柄であったが、上手く餌を与えれば数年は楽しめたかも知れない」
「……」
「だが残念なことに、どこから聞きつけたのかオブデンタールのブタ野郎様が、よこせよこせの催促でね。仕方なく手放したのだよ。つまり、もうここにはいないということだ。無駄足を踏ませたようで、悪かったな」
「そう……ですか……」
ノルンはうなだれるように、視線を下に向ける。そこへ身を乗り出したボルバウスが、ある提案を口にした。
「どうだ、母親捜しは諦めて、吾輩の実験を手伝う気はないか? かねてから吾輩は、〈セフィラーの門〉についての探究心が抑え切れないでいたのだ。だが普通の奴では、全容を知る手助けにもならん。だが小僧なら、『ケティルの門』を開けるほどの逸材。吾輩の名誉ある実験体として、まさに相応しい存在なのだ。なに、実験といっても死ぬようなことにはならない。なぜなら今し方、超再生の薬が完成したばかりなのだ!」
話しながら興奮して来たようで、ボルバウスは立ち上がるとノルンの前まで近づいて来た。
「彼女、アリシアがその最初の被験者だ。たとえ肉体を細切れにしても、元の姿にちゃんと戻る。ただ一つ問題は、再生されるのは肉体のみで、流れ出た血液を戻すことは出来なかった。だがそれも、別件で作成した造血剤で解決する。つまり二つの薬を併用すれば、何も心配することはない。たとえ吾輩が、その溢れ出る探究心で小僧の肉体をいじくり回したとしても、繰り返し実験が可能となる。どうだ、すばらしいと思わないか?」
ボルバウスは身を屈めて、ノルンの顔を覗き込む。視線を上げたノルンの顔は、感情の色が失われた仮面のようだった。それに何を感じたのか、ボルバウスはにやりと口元を歪めた。
「信じてないな? よろしい、目の前で見せてやろう。吾輩の偉大なる発明をな!」
そう言うとボルバウスは近くのガルオークから大鎌を奪い、両手で持つと高々と振り上げた。その瞬間、短い呼気に似た鋭い音の後、ボルバウスの両腕が肘から斬り落とされたのだ。床に転がる大鎌を持った自分の手を見て、一瞬、ボルバウスは何が起きたのか判らなかった。しかしすぐに痛みが追いつき、彼は悲鳴を上げて床を転がりながら状況を理解したのである。
「ぎゃあああーー! な、何故だ!? 何故、吾輩の腕が斬り落とされているのだ!」
ボルバウスは激痛と憤怒の入り交じった形相で、ノルンに射貫くような視線を向けた。
「何故だ! 何故だ、何故だ、何故だあああーー! 不死だぞ? 限りなく不死の体を手に入れられるのだぞ! 甘美なるリリスの口づけを抗うのは、人の性だろう! 小僧のような異端なら、それを誰よりも強く望むのではないのか?」
「……僕には、必要ありません」
ノルンは一歩を踏み出す。
「ぎゃあああーー! く、来るな! お、おいお前ら! ボーッと突っ立っていないで、こいつを殺せ!」
ボルバウスの声に、それまで命令を待ち傍観していたガルオーク五匹が、大鎌を持って動き出す。ノルンはすぐさま後ろに飛び退き、距離を取った。だが次の瞬間、不意にめまいに襲われ、ノルンは片膝を折り片手で額を押さえた。意識が遠くなりかけたが、寸でのところで呼び戻すことが出来た。大きく呼吸を繰り返しながら、ノルンが手を離し顔を上げた時、すでに一匹のガルオークが目前まで迫っていた。
主人に大鎌を奪われ素手で向かってきたガルオークの太い腕が、鋼のような筋肉をバネにして握った拳を突き出してきた。ノルンは避ける間もなく、顔面にそれを喰らって背後の壁に叩きつけられた。しかしリュックを背負っていたお陰で、背中からのダメージは少なく済み、その場に崩れ落ちることはなかった。それでもボルバウスは自分たちが優位に立ったと感じ、喜びを顔に表しながら立ち上がった。
「い、いける! いけるぞ! ハハハハッ! 殺ろせ! さっさと殺してしまえ!」
肘から先のない両腕を振り回しながら、ボルバウスは嬉々として叫んだ。その声に応えるようにガルオークたちが包囲を狭める中、ノルンは軽く頭を振って自分の顔に触れた。曲がった鼻を戻し、鼻血を手の甲で拭う。吐き出した唾には、血が混じっていた。
「……」
口の中で小さく何かを呟いたノルンは、正面にいる素手のガルオーク、その両側を固める大鎌を持った四匹のガルオークたちと、改めて対峙した。