一話
〈偉大なる父〉ヤハルは、己の中に小さな染みを見つける。それは静謐な水面に落ちた一つの滴のように、霊体を蝕む波紋を広げた。
湾曲に歪んだ視界の中で、ヤハルは桃の花のように色付いた、可憐な唇に心を奪われる。それは〈運命の神〉ノルンの妻、〈時の女神〉ウルドの思わず指先で触れたくなるような、厚みのある唇だった。呼びかける途中で止まったような、切なげに薄く開いた形で、どこか誘うように濡れ光っている。
ヤハルは、ふつふつと沸き立つマグマのような衝動を、苦い顔で抑えつけた。と同時に、ある疑問が泡沫となって浮き上がる。
(何故、我が身に疵が付くのか……)
完全であると信じていた自分が、なぜ穢れて変質するのか。それはまるで、何かの前触れを暗示するようにも思えた。
「父ヤハル、私に何かご用ですか?」
首を僅かに傾げて、ヤハルに気付いたウルドが問い掛ける。揺れる髪から匂い立つ甘い香りに、ヤハルの心は決壊した。腕を伸ばし、ヤハルはウルドの細くしなやかな腕を掴んで引き寄せた。
「おやめください!」
拒絶の言葉を紡ぐ口を、柔らかく実る乳房を、黒く陰った秘部を、包み隠さず露わにするようにヤハルは男の体で蹂躙する。そのすべてを自らの縄張りとするように、ヤハルは夢中でヒルのような舌を震える白い柔肌に這わせた。
〈太陽の神〉アポニウスと〈月の女神〉シャーリーが輪舞曲を踊る間、ヤハルは我を忘れたように肉欲に溺れたのである。そしてはたと気付いた時には、すでに事を成し終えていたのだった。
ウルドはユニコーンの祝福を受ける資格を失い、恥辱に塗れたその身で夫であるノルンに会うことは出来ないと、決して辿り着けない『最果て』に身を隠したのである。
父との決別を果たした場において、ウルドが一粒の涙を零した。それは父が創りだした世界にあるカナンの地に落ち、永遠に封じられていたその地にて〈時〉が流れ始めたのである。