第二章 魔物と宝石と魔祓士④
「本当に申し訳ないことをしました」
ジュリアスは何度めかの謝罪をした。
あらためて通されたフォンティネール家の応接間は、それは豪奢な部屋だった。
ミュリナは細かな織模様のあるふかふかの長椅子に座って、唇が切れそうなほど縁の薄い高級磁器に注がれるお茶の香りに魅了されていた。
すすめられてカップを手にとるが、小指にぐるぐる巻きにされた包帯が邪魔でうまく持てない。
ミュリナのしぐさがぎこちないのを気にしてか、ジュリアスの瞳が曇る。
「怪我、痛みますか?」
「いえ、だいじょうぶです」
ミュリナはあわててほほえんだ。本当に痛みはないのだが、包帯がおおげさで邪魔くさい。この程度の怪我ならほうっておいても治るのに、ジュリアスの恐縮ぶりが気の毒で、おとなしく看護師に任せたらこうなった。
レーナはレーナで、「前髪が伸びるまでつかってください」と、ベールつきのすばらしい帽子をもらっていた。「やったあ☆」と小声で言うから小突いてやった。
だいじょうぶと言ってもなお、ジュリアスはすまなそうな顔のままだった。この人のよさそうな貴公子が、こちらが度肝を抜かれるような怪力を発して、重たい扉を蹴破ったひとだとは思えなかった。
第一印象が「優美」だったそのひとは、次に「恥ずかしがり屋」に印象を変え、「真面目」を通って「怪力」という意外な印象をミュリナにもたらした。
ミュリナは紅茶を口に含み、そっとジュリアスに目をやった。
リディアーヌによく似た品のよい面差し。本当に絵に描いたような「貴公子」だ。
――この容姿で「怪力」は予想しなかった。
さすがフォンティネール家次期当主。おとなしそうに見えて、只者ではない。
「扉、こわしてしまってだいじょうぶだったのですか?」
高そうなのにと、心の中でミュリナはつけ加えた。
「だいじょうぶです。どうかお気になさらず」
わたしのかすり傷なんかより、よほど気になってしまうわ……と思いつつ、ミュリナは本題に入るため、姿勢を正した。
「ええっと、手紙にも書きましたが、お話ししたいのは魔物のことです。こちらの原石をご覧になってください」
ミュリナは鞄から小袋をとりだし、中の石をテーブルに置いた。青味を帯びた小さな石。
「分析の結果、氷属性の土壌から生まれた魔物だとわかりました。我が領地の土壌が氷気に傾いたことは、いまだかつて記録にありません。これは、エモンティエの土壌から発生した魔物ではないということです」
「フォンティネールで発生した魔物。……そうおっしゃるのですね?」
「その可能性が高いのではないかと」
「フォンティネールの魔物だとしたら、どうなさいますか?」
「我が領地に魔物が流れてこないよう、対処していただくことを要求します。その対処方法のひとつとして、エモンティエの魔祓い技術を取り入れていただくことを提案します」
「エモンティエの魔祓い技術とはつまり――伯爵が研究なさっている『魔除け茸』ですね?」
「そのとおりでございますっ!」
ミュリナは勢いこんで鞄から魔除け茸の効果をしたためた文書と、マノンが描いた魔除け茸の細密画をとりだした。レーナが気をきかせてカップをよけてくれたので、束になったそれをどばっとテーブルにのせる。
「このきのこがどんなにすばらしい効果を発揮するかは、父からお聞きになってらっしゃると思いますが。フォンティネールのご当主様にもご理解いただきたく、資料をたくさん持ってまいりました! ジュリアス様が興味を持ってくださるので、話がはやいです」
「いや……遅いのですよ」
ジュリアスの言葉にミュリナは説明書をめくる手を止め、彼の深い憂いのある顔を見た。
「どういう……ことでしょう……?」
「今我々が欲しているのは、魔物の発生を抑えるものではないのです。発生してしまった魔物を消し去るものなのです」
「魔具なら……いくらだっておありでしょう?」
最も多く魔物を屠る一族だ。死後の魔物からなる宝石は一部国に上納することになっているが、それでも多数の石が手元に残る。フォンティネール家ならば、最高の魔具がいくらでもつくれるはずだ。
「魔具ではなく――足りないのは人材です」
ジュリアスは言った。
「人材?フォンティネールの一族は大勢いらっしゃるのに」
「我が一族の魔祓士は、現在総出で戦っています。異常発生したのです――魔物が」
魔物の異常発生。ミュリナはごくりとつばを飲み込んだ。
「では……さっきの『試験』というのは、人材の発掘が目的ですか?」
魔祓いの力は、基本的に貴族にしかない。しかし貴族にだって婚姻以外の男女関係を持つ者がいるわけで、庶民の中にも貴族の血をひく者がまれにいるのだ。『試験』とは、市井の魔祓士の発掘が目的なのではないか。
「はい。しかし、魔祓いの仕事につくためではなく、貴族社会に入り込む目的で試験に応ずる者が多く、人材発掘は難渋しています。戦う覚悟のある者はほとんどいない」
「……」
ミュリナが返答に窮していると、ジュリアスがまっすぐ見つめてきた。
見つめ合ったまま数秒、ジュリアスが意を決したように口を開く。
「母が、あなたのお母様に救援を頼む気でいます」
「リディアーヌ様が?」
「エモンティエ伯爵夫人は独身時代、魔祓士として多大な期待をかけられていたとか。母は旧友の縁で、エモンティエ夫人を引っ張り出し……利用しようとしている」
「利用だなんて。そんな」
「利用です。母はエモンティエ夫人の血を引くあなたまで利用しようとするかもしれない。母の招待に応じてはいけません。別荘へは向かわず、このままエモンティエ領に引きかえしてください」
「だって、人手が足りていないのでしょう? 魔物が溢れかえったら、フォンティネールだけの問題じゃなくなるわ。母はまだあまり動けないけれど、わたしなら……」
「大丈夫。打つ手がないわけではないのです。私が、魔祓いに参加すればいいのです。問題は、父が私の戦闘への参加を許さないことです。フォンティネールの跡取りに万が一のことがあったら困るという理由で、私は本邸に押し込められている……。こうしている間にも、北部では人々が魔物に食い殺されているかもしれないのに!」
冷静さを保っていたジュリアスの表情が、くやしさに歪んだ。
無表情の仮面が壊れ、彼の本当の顔が露出したかのようだった。
「ジュリアス様……」
ミュリナはテトの言葉を思い出していた。
『おまえが死んだらエモンティエ家は誰が継ぐんだ』。
テトの言い分はよくわかったつもりだ。しかし心の底に納得できないものが残っていた。
ミュリナだって、守られるばかりではなく守りたいのだ。守る力があるのに、家系の存続のために、守られる立場でいなければならないなんて。
ミュリナには、ジュリアスのくやしさがよくわかった。
同じなのだ。彼のくやしさは、自分と同じ。
(テトごめん)
ミュリナは心の中で、幼なじみにあやまった。
「わたしを別荘へ行かせてください、ジュリアス様」
「駄目です! 行かせられるわけがない」
「わたしを利用してください。そのかわり、わたしもフォンティネール家を利用させていただくわ」
「利用? フォンティネール家を利用とは?」
「わたしが始末した魔物は、フォンティネール家ではなくすべてわたしの手柄にしてください。わたしがやっつけた魔物の石は、すべてわたしにください。それから、もしわたしが役に立ったと判断できたら、『魔除け茸』のフォンティネール領での実験許可をください。そのふたつを約束していただけるなら、わたしは利用されたってかまわないわ。むしろ願ったりよ」
「あなたという人は……」
ジュリアスは驚いたようにミュリナを見た。
「目的があるのです。わたしは、魔除け茸をこのまま埋もれさせたくないのです。エモンティエ家が代々かけて成し遂げた成果を、この国に広めたいのです。この国を魔物の湧かない国にしたい。魔物が湧かなくなったら、もう貴族なんかいらないわ。家系を存続させなければならない理由もなくなる。世継ぎのわたしが死んだって、たいした損失じゃなくなります」
「損失って」
「……そりゃ、家族やまわりの人たちは悲しんでくれるとは思うけど」
「あたりまえですよー! お嬢様死んじゃいやですよー!」
レーナが横からとりすがってくる。べつに死ににいくわけじゃないんだからとレーナをたしなめ、ジュリアスに視線を戻すと、ずっとミュリナを見ていたらしく視線がかちあった。
「……あなたのような令嬢に、はじめて会いました」
「そうですか? ……まあそうでしょうね」
ふつうの貴族の令嬢は、ティーカップを押しのけてテーブルに書類を積み上げたりせず、自分の利用条件をとうとうと述べたりもせず、花のように美しく笑っていることだろう。しかしそれでは駄目なのだ。
自分はジュリアスの愛を勝ち取りにきたのではなく、エモンティエ領の平和と魔除け茸の普及のためにここへ来たのだから。
あきれられついでに、ミュリナは白紙の紙と羽ペンとインク壺をとりだし、ジュリアスに差し向けた。
「あのう、わたしを利用するにあたって、今言った約束を守ってくださると、一筆したためていただけませんか。細かい条件はおいおい詰めていくとして」
ジュリアスはぎょっとした顔をした。
「あなたというひとは……本当に」
「いろいろと、あつかましいお願いをしているのはわかっています。だからもう、貴族の令嬢だと思っていただかなくとも結構です。魔祓士就業試験合格者兼、魔除け茸売り込み業者だとでも思ってください。そのほうが、わたしも気楽です」
「それは無理だな」
「なぜですか?」
「……」
「?」
「……舞踏会で、あんなに美しい姿を見てしまったのに」
ジュリアスはそう言うと、ばっと横を向いた。
「――お褒めに授かって光栄ですが、そのう……」
お決まりの社交辞令を言うときは、横を向いたらいけませんよと、この場にいないエメの代わりにミュリナが思わず言いそうになった。