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宮廷画の魔祓いレディ  作者: サカエ
セレイア王国きのこ倶楽部
8/22

第二章 魔物と宝石と魔祓士③

 リディアーヌからの私的な招待は「別荘へ」とのことだった。しかしそれはひとまず置いておいて、ミュリナはまずエモンティエ領主代理として、公的な用事を果たさなければならない。最初に向かう先は、フォンティネール家本邸だ。

 エモンティエ領主代理としての公的な用事とはなにか。

 それは「あなたのところで湧いた魔物がうちの土地に来たんですけど、おたくの管理はどうなってるの?」と意見することである……。

「ううう、胃が痛い……」

 馬車はもうフォンティネール領に入っている。窓から見える景色に石造りの建物が増えはじめ、街らしい様子になってきた。フォンティネール家本邸はもうすぐだ。

「胃痛には覗き茸ですよー」

 同行してくれたメイドのレーナが、覗き茸の有効成分を凝縮して固めた丸薬をとりだす。レーナは水筒もとりだし、丸薬とともにミュリナに差し出した。

「ありがと……。でもこの胃痛は気持ちからくるものよ、きっと」

「でしょうねー。実力的にセレイア貴族の頂点を極めるおうちに、文句つけにいくんですもんねー。ヒヨドリが鷹に挑むようなものですねー」

「はっきり言葉にするのやめてえレーナ! 心臓がバクバクするわ!」

「動悸には隠れ茸ですよー」

「だから効かないってば……」

「まあ、気休めにどうぞ。だいじょうぶですよ、お嬢様はなんだかんだ言って、いつもしっかりおやりになるじゃないですか。よそ様の深窓のご令嬢とちがって、領地じゅうほっつきまわってきのこ倶楽部のお仕事なさってるでしょ。そういう積み重ねっていうのは、えらい人の前でだって通じるもんですよ」

 ミュリナはきょとんとレーナを見た。

 ひとつ年上のメイドは、にこにこと平和に笑っている。

 ふだん軽口ばかりで令嬢を令嬢と思わないようなメイドだが、ここぞというときはしっかり勇気づけてくれるのがレーナだ。

「そ、そうかしら。ありがと……」

 ミュリナはこそばゆくなったものの、レーナの言葉がありがたかった。

 馬車は大通りの角を曲がる。街の雰囲気が王都のように洗練されたものに変わり、行き交う人々も都会風のみなりをしていた。

 やがて馬車が速度を落としてゆっくり止まった。ミュリナは窓から身を乗り出すように、目当ての館を見上げた。

 北国らしい曇天にそびえる、重々しい大邸宅がそこにあった。



 フォンティネール家本邸の門前には、人が十人ほど並んでいた。男性ばかりで、裕福そうな者もいれば貧しそうな者もいて、まとまりがない。

 なんの集団だろうと思いながらミュリナが前を通り過ぎようとすると、列の中のひとりにいきなり腕をつかまれた。

「おい、ちゃんと並べ」

「えっ……。わたし、フォンティネール伯爵家に用事があって……。ちゃんと手紙で面会の許可ももらってます」

「面会の許可くらい全員もらってる。ぬけがけするなよ。ちゃんと並べ」

「あ、はい。すみません……」

 さすが序列絵で最高の位置に描かれる実力派貴族である。面会者がこんなにいるとは恐れ入った。当主は病だから、会えるのは代理人だろうが、それでも一日の面会希望者はかなりの数にのぼるのだろう。ミュリナはおとなしく列の最後に並んだ。

 待つこと数分で、門番の手によって鉄門が開いた。てっきりひとりずつ通されるものと思っていたが、門番は最後尾のミュリナまで中に入れとうながした。

 噴水や彫像がある石畳の前庭に、マント姿の中年男性が立っている。神経質そうな表情の肉付きのうすい顔立ちは、昔どこかで見たことがあるような気がした。

 どこで見たのだろうと記憶をたどる。

(あ!)

 幼いころ会ったような気がしたが、それは思い違いのようである。マント姿の男性は、序列絵のフォンティネール伯爵に似ているのだ。伯爵ほど長身ではなく、精悍さの代わりに頭の切れそうな怜悧な雰囲気をまとっているが。

(一族の誰かかしら……。ってことは、この方がフォンティネール伯爵の代理人?)

 当主の代わりに息子のジュリアスが出てくるかもしれないと考えていたミュリナは、少々がっかりした。エモンティエ家に理解のあるジュリアスならば、話がしやすかったのに……。

 マントの中年男性は入ってきた面々を順繰りに見渡し、ミュリナとレーナに目を止めると、「女か」とつぶやいた。

 ミュリナはその言葉にムッとくるものを感じた。

 訪問者に対して「女か」はないと思う。もうここは遠慮せず、自領で湧いた魔物の始末くらいきちんと責任持ってねと、キッパリ言ってやろうと決心した。

 マントの男性は訪問者一同にあいさつするでもなく、「場所はこちらだ」とだけ言って、ついてこいと言わんばかりに歩き出した。

「なんかかんじわるいですねー」

「しーっ」

 小声で文句を言うレーナを軽くたしなめ、ミュリナもマントの男性のあとに続く。

 どうも違和感のある対応だという思いがあったが、毎日大勢の訪問者を捌かなくてはならない大貴族なら、こんなものかなという気もした。

 一行は前庭を抜け、本館と渡り廊下でつながった別館へ案内された。別館の玄関広間へ入ってから、ようやくマントの男性がふりかえった。

「最初の試験は、ひとりずつ個室に入って行う」

(は? 試験?)

「耐えられなくなった者はドアを叩け」

「あ、あの……耐えられない試験って?」

 ミュリナが思わず口を出すと、マントの男性がじろりとにらんできた。

「おそろしいと思うなら帰ればよい」

「いえ、帰るわけにはいかないんですけど……」

「だったら黙って試験を受けるのだな。死ぬほどのものではない」

「ですけど試験って……」

「黙りたまえ」

 もうひとにらみされたので、ミュリナは口をつぐんだ。心の中を「?」でいっぱいにして、レーナと目を見合わせる。試験? 領主代理に話をきいてもらうために試験がいるのだろうか? そんなバカな。

「あんた、なんにもしらずに来ちまったのかい?」

 肉体労働者風の青年が、ミュリナに声をかけてきた。しかし「そこ!」とマント男に注意され、彼はあさってのほうを見て口をつぐんだ。

(???)

 なにかおかしいと思っているうちに、玄関広間から奥に通ずる大扉が開き、ずらりと扉の並んだ長い廊下があらわれた。訪問者はひとりずつ、廊下に並ぶ個室へ入れられていく。廊下には騎士が数人立っていて、まるで牢屋番のようだ。

「次、そこの女。入れ」

「……わたしには『女』ではない、ちゃんとした名前がありますわ」

「名前は試験に通ったのち訊く」

 なにを言ってもつっけんどんなので、ミュリナは腹が立ってきた。いくら上位貴族でも、この対応はない!

 ミュリナには手前からふたつめの部屋をあてがわれた。扉を開けレーナをふりかえったら、彼女は一番端の部屋をあてがわれ、ひどく不安そうな顔をしていた。

(えっ、レーナまで?)

 レーナはちがうと口に出す前に、見張りの騎士に背中を押された。重そうな樫の扉が閉まる。ご丁寧に、カチャリと鍵のかかる音までした。

 部屋の内部は真っ暗で、なにも見えなかった。

 ミュリナの肌に、ぞわりと鳥肌が立った。暗闇だからではない。

 この感覚は――。

 ミュリナの地獄耳が、どこかの部屋から聞こえる男たちの悲鳴をとらえた。「ぎゃああああ」だったり「ひい、ひい」だったり……。それは恐怖の声だった。

(ちょっと待ってよ。なによこの部屋――)

 魔物が、いる。

 しかも一匹ではない。

 シャッと小さな風をおこし、ミュリナの頬をなにかがかすめた。反射的によけたので顔に被害はなかったが、同時に右手の小指に薄い刃物で切ったような痛みが走った。

 大きな魔物ではない。雑魔とよばれるたぐいの、虫のような魔物だろう。たしかに、いくらやられたところで死ぬほどのことはない。

 しかし虫とちがって、普通の人間にはたたき落とすことも踏みつぶすこともできない。薄い剃刀のような羽や爪で、皮膚をいたぶられ続けるしか……。

 ミュリナはようやく、マント男の言った「女か」の意味を悟った。年頃の女性が、剃刀で顔を何度も切り刻まれたら……。

 レーナ!

 ミュリナの体中の血が、瞬間的に沸騰したようだった。

 チリチリと血管がしびれるのは、魔祓いの力のためか、それとも怒りのためか。

「ふざけないでーーーーっ!!」

 大声とともに、体からなにかが放出された気がした。

 真っ暗だった視界が急速に開ける。しかしそれは光が戻ったことを意味しない。ミュリナの中の貴族の青い血が、ミュリナの意識を人の次元から魔の次元にとばしたのだ。

 視界は水底のような青に染まった。室内の家具調度は水に溶けた水彩画のようにぼんやりとにじんで見え、脚が異常発達した甲虫が数匹、部屋を飛び交うのが見える。甲虫型の雑魔の姿ははっきりしたりうすらいだりしていて、敵も魔の次元と人の次元を行き来していることをうかがわせた。

 雑魔たちははっきりと、ミュリナに敵意を持っている様子だった。方向転換してはこちらに向かってくる。何匹いるのかつかめなかったが、ミュリナにとって雑魔などたいした敵ではない。

(散って!)

 息を大きく吸ったところで呼吸を止め、ミュリナは強く念じた。

 それだけだった。

 青い視界の景色が強く輝いたかと思うと、異界の甲虫は、一瞬のうちにすべて破裂した。

 ぱらぱらと、甲虫の羽や肢が石粒に変わって床に散らばる音がする。

 雑魔のあっけない最期とともに、視界がふたたび人の次元の闇に染まる。ミュリナはふうっと息を吐き、真っ暗闇をものともせず、扉のほうへずんずん歩を進めた。

 拳をふりあげて扉を叩こうとしたら、ふいにダン!と凄まじく大きな音がして、扉が振動した。

「ひっ!」

 雑魔どころではないもっと大型の魔物が、廊下側から扉を壊そうとしているのかと思った。しかし、魔物の気配はかんじない。

「ドアの前から離れて!」

 外から男性の声がして、ミュリナは後方へ飛びすさった。

(なにこれこわい! 熊でもいるの!?)

 熊なら魔物のほうがまだマシだ。ミュリナは魔祓いの力はあるけれど、ふつうの熊と戦えるような腕力はない。魔物相手の勇敢な態度はどこへやら、ミュリナは恐怖のあまり、奥の壁際にへばりついた。扉が廊下側から押され、ミシミシメリメリと軋む音がする。

 ついに、持ちこたえられなくなった蝶番が外れた。

 バン!と扉が床に倒れ落ちる大きな音が鳴る。ミュリナはびくっと身を縮めた。扉があったはずの場所は、ぽっかりと四角い口を開けている。そこから外の明るい光が差し込んできていた。

 光の中にいるのは、熊ではなかった。

 逆光に照らされ、すらりとした優美なシルエットがたたずんでいる。

「だいじょうぶですかミュリナ様!」

 聞き覚えのある深い声だった。

「ジュ……ジュリアス様!?」

「エモンティエ家の馬車があるのに、あなたがいらっしゃらないから、まさかと思い通用門にまわったのです。そうしたら、あなたはすでにこちらへ案内されていて」

「通用門!? あんなに立派なのに正門ではなかったのですか!?」

 ミュリナが並んでいた門は、エモンティエ家の門の三倍の大きさはあった。門扉も意匠をこらした美しいものだった。てっきりあれが正門だと思っていたのに……。

「お恥ずかしい……って、それどころじゃないわ! レーナ!」

 ミュリナはジュリアスの脇を抜け、廊下へ出てレーナが通された部屋の扉に駆け寄った。動かない取っ手をがちゃがちゃやっていたら、ジュリアスに腕をつかまれた。

「おまかせください」

 次にジュリアスがとった行動に、ミュリナは唖然とするしかなかった。

「ドアの前から離れて!」とさっきとおなじことを言ったあと、彼は勢いをつけた回し蹴りで、重い扉を蹴り飛ばしたのである。一発の蹴りで、蝶番が歪んだ。その後はひと押しで扉ははずれ、大きな音を立てて床に沈んだ。通路から差し込む光に照らされて、床にへたりこむレーナの姿が見えた。

 ミュリナはレーナに走り寄って抱きしめた。前髪がひと房短くなっていたが、顔に傷はないようだ。雑魔の気配もない。

「うわああんレーナ! だいじょうぶだった? ごめんなさい、わたしが入る門をまちがえたの……!」

「ちょ、ちょっとびっくりしましたけど、腰も抜けましたけど、おっかない虫はすぐいなくなったので……。だいじょうぶですよー」

 通路がざわついてきたので、ミュリナはうしろをふりかえった。受験者の面々は部屋から出されたようで、みんなして戸のない戸口からこちらをのぞきこんでいる。ひとだかりの中に、案内人だったマントの中年男もいた。

「すべての部屋の雑魔は、君の力で消滅したようだ。大した能力だ」

 マント男はミュリナに言った。

 ほめ言葉というより、淡々と事実を述べる口調だった。

「……わたしは試験を受けにきたのではないのです」

「それは残念だ。名前をきいてもいいか?」

「ミュリナ・ジュ・エモンティエですわ」

「ああ、君が……。エモンティエ家の」

 マント男の声音が、意味ありげにひそめられる。

「ええ。あなたのお名前は?」

「ボルゼーガ・ジュ・フォンティネール。当主アーセルの弟だ」

(フォンティネール伯爵の弟……)

 ミュリナはレーナに寄りそったまま、この冷たい声のジュリアスの叔父を見上げた。

 ボルゼーガは一瞬だけ無表情にミュリナを見据えたあと、ミュリナの視線から逃れるように、ふいっと顔をそらしてしまった。


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