第二章 魔物と宝石と魔祓士①
王都もいいけどやっぱり故郷だわー。
社交界デビューを無事終え、王都みやげをどっさり買い込んだミュリナは、ほっとした気分で馬車にゆられていた。
馬車の窓から見える風景は紅葉の森である。
エモンティエ領はその面積のほぼすべてを森林でおおわれ、主な産業は林業、特産物はきのこだ。秋も深まるこの時期は、宮廷料理に欠かせないテャールという高級きのこの収穫期である。白くて丸いテャールは「森の真珠」と呼ばれ、貴族や富豪の間で珍重されている。
「あああ、やっときのこの採集に行ける」
エモンティエ伯は子供のように馬車の窓枠にしがみつき、王都では死んだ魚のごとくだった琥珀の瞳をきらきらさせて、自領の森を見ていた。彼にとっては華やかな王都など居心地が悪いだけで、きのこだらけの森のほうが何倍も刺激に満ちているのだ。きのこ研究者の面目躍如である。
「はいはい。おつかれさまでした、お父様。大変だったでしょ」
「思ったより大変だったなあ。でも、ミュリナが楽しそうだったからよかったよ。叔母さんとも気が合ったみたいだし、君は王都でもやっていけそうだな」
馬車は雑木林を走り、こんもりとした森を従えた屋敷の前で止まった。別荘のような小さな屋敷だが、エモンティエ家の本邸である。当主と奥方と令嬢、そして家令と料理人とメイドの六人が暮らしている。伯爵家としてはありえないほどの小世帯である。庭の管理や薪割りなどの外回りの雑事は近辺の領民が請け負ってくれている。ありえないほどこじんまりした伯爵家は、近所づきあいが結構よいのだ。
ミュリナが馬車のステップからひょいと降りると、彼女の姿を見つけた黒髪の少年が、薪割りの手を止めて近づいてきた。ミュリナとおなじ年頃で、顔立ちにはまだあどけなさが残るが、よく鍛えられた体つきをしている。
「お嬢。帰ったか」
黒髪の少年は、いつものようにぞんざいな口をきいた。
「ただいまー。みんな変わりない?」
「モースんちの赤ん坊、生まれたよ。男の子」
「あら素敵! みせてもらいにいかなくちゃ! おみやげもあるし」
「おれは? おれのみやげは?」
「王都の有名店のキャンディーがあるわよ」
「飴かよ。ガキ扱いだな。あ、伯爵おかえりなさいましー」
続いて馬車から降りて来たエモンティエ伯にも、少年は気安く声をかける。
「ただいま、テト。あとで『きのこ倶楽部』の活動報告をきくよ」
「了解っす。『きのこ倶楽部』のメンバーにもおみやげあるんですかね?」
「王都の有名店の豆菓子が」
「豆菓子……伯爵らしい地味な選択っすねぇ……」
「美味しいんだよ。マノンの叔母さんのおすすめなんだよ」
王都にいる間世話になっていたミュリナの大叔母は、若い頃に王女つきの女官として王城で暮らしたこともあるひとだ。マノンの母親の妹に当たる。
「なるほど。お婆さんっぽいおすすめっすねぇ」
よその領主がきいたらひっくりかえりそうな無礼な口をききつつ、テトと呼ばれた黒髪の少年は御者から旅の荷物をうけとり、肩にかついで屋敷へ運んで行った。ときにエモンティエ家の下男と化すこの少年は、身分としては伯爵家に仕える騎士だが、やっていることは伯爵の研究助手だった。
「テトも大きくなったなあ……。あんな重い荷物を軽々と」
エモンティエ伯が目を細め、しなやかな筋肉の浮き出たテトの背中を見つめる。
テトの成長は伯爵にとって、喜びとともに古い痛みを思い出させるのかもしれないと、ミュリナは思った。テトの父親は伯爵と同い年だった。もうこの世にはいないから、その年齢は止まったまま、思い出の中にいるのだけれど。
テトのうしろに続きながら、ミュリナも広くなった彼の背中を見つめる。あの日枯葉をのせてふるえていた背中は、もっとずっと小さかった。ミュリナもおなじくらい小さかったけれど、父親を失ったテトを守ってあげなくてはと強く感じたのを覚えている。
魔物の牙から、この地に住む者たちを守る。
それが、この地を任された者の使命。
ガイウス配下の血に連なる貴族に課された使命。
エモンティエ領の中で、魔物に殺された者はテトの父親を含む数人を最後に、その後は出ていない。伯爵と伯爵の研究を補佐する「きのこ倶楽部」の働きにより、魔物の発生を食い止めているからだ。
伯爵の研究対象は「きのこ」だが、ただのきのこではない。
菌糸の絡まりが地中で湧く魔物の発生を食い止めるきのこ。
歴代のエモンティエ家当主が細々と続けていた研究を引き継ぎ、ミュリナの父サージェルは、ついに実用に足る新種のきのこを生みだしたのだ。
大発見である。
しかしこの発見は、セレイア王国の貴族社会で歓迎されなかった。
なぜならセレイアの貴族は、仕留めた魔物の数と大きさに応じて栄誉を手にする制度の中で生きているからだ。仕留める魔物が発生しなければ、栄誉を得る手段がなくなる。何代もかけて研鑚してきた魔祓い・魔狩りの技術を生かす場もなくなる。
――魔物がいなくなったら、貴族の存在価値がなくなる。
だから……サージェル・ジュ・エモンティエの発見は黙殺された。
エモンティエ領にはもともと大した魔物は湧かないから、ほかの領地でおなじ成果が出るわけがないと相手にされなかった。弱小種の魔物の発生は抑えられても、巨大種の魔物の発生には効果がないに決まってると、鼻先であしらわれてしまった。
ならばほかの領地で試させてくださいと、母マノンはあちこちの領主に交渉しているが、どこからも許可が出ない。もしきのこの効力が出て魔物が発生しなくなったら、その地の領主は魔物を仕留める数を減らし、栄誉を損なう。だから、魔封じのきのこなんかいらないのである。
どこの貴族も、エモンティエ家のように落ちぶれたくないのだ。
そこまで考えると、いつもミュリナは憤りでふるえるような思いに駆られる。どこの貴族も領民の安全より富と名誉を願うなんて、あんまりだと思う。
(でも、あのひとはちがう)
ミュリナの心に、舞踏会で出会った面影が浮かんだ。
不器用な美貌の紳士、ジュリアス。
「どれだけの魔物を狩るかで貴族の格付けが決まるのは、おかしいと思いませんか。殺した魔物の大小や数より、救った民の命のほうが大切ではありませんか」と彼は言った。はっきりと言った。
(あのひとは同志よ)
ジュリアスの存在に、父サージェルも勇気づけられたようである。
ふたりは文通の約束を交わしていた。
ジュリアスの母リディアーヌがサージェルのことを毛嫌いしているのが難ではあるが、大貴族の世継ぎの理解を得たとあって、前途は明るい。
そんなことを考えながら歩いていたら、テトがふりむいた。
「そのしてやったり顔、舞踏会の成果は上々だと見ていいな?」
「もちろん」
「おれが伝授してやった『男を落とす五十のしぐさ』の効果だな!」
「あ、それぜんっぜん効かなかったから。なんなのあれ? 顎の下で手を組んで上目づかいに見上げるとか、肩をすぼめてくちびるをとがらせるとか。『お嬢さんはそういうぶりっこ路線じゃないほうがいいと思うんだけど』って言われちゃったわよ!」
「だっておまえ、お色気悩殺路線で男を落とすには胸が足りないだろう?」
「ぶりっこ路線とお色気路線のほかに選択肢はないの!?」
「ない! 男のロマンはそのふたつに集約されてるんだ」
「あんただけよそれは!」
「おまえには男のロマンがわかってない。だからもてないんだ」
「わかりたくもないし! ちゃんともてたし!」
「本当にもてる女はそんな必死にならねぇよ」
「なによ! あんたはもてるっていうの?」
「おまえよりはな」
「おまえ呼ばわりしないでちょうだいこの下僕!」
「下僕じゃねー! おれは騎士だっつの!」
「下僕下僕下僕!」
君たちいいかげんにしたらどう?と伯爵がぼやく声が聞こえた。
エモンティエ家の屋敷内には、たくさんの絵が飾られている。そのほとんどが、ミュリナの母マノンの手によって描かれた水彩による細密画だ。
――きのこの。
エモンティエ家の屋敷が領民から「きのこ屋敷」と呼ばれるのは、当主がきのこの研究をしているためだけではない。家中きのこの絵だらけにしている妻も一役買っている。もしかしたら、建物の老朽化が激しくて、今にも朽ちてきのこが生えそうだという理由もあるかもしれないが……。
ノックに「どうぞ」と返された声を聞き、古びた樫のドアを開けて、ミュリナは母の寝室へ入った。
「お母様、ただいま帰りまし――うぷふぐぅっ!」
ミュリナは思わず鼻を押さえて後ずさった。
なんたる悪臭! 悪臭――? いや、よく嗅いでみれば嗅ぎなれたにおいだ。これほど濃くさえなければ、さわやかなよい香りであるはずの地元特産高級きのこの香り。
「おかえりなさい。ミュリナ」
母マノンは一見人のよい、柔和な笑顔で娘を迎え入れた。腰を痛めているため、コルセットのない夜着姿だ。肘をついて横たわった状態で、ベッドで書きものをしている。
「――お母様、この箱、まさか全部テャール?」
母のベッドのまわりには、贈答用テャールの箱が積み上げられていた。
「そうよ。うちにとってはほとんど元手がかからない贈り物なのに、どこの貴族もテャールだったら喜ぶわ。テャール様々よねぇ」
「……テャールに添えて、魔除け茸の実験をさせてくださいって手紙を出すの?」
地中で湧く魔物の発生を食い止めるきのこは、とりあえず「魔除け茸」と呼んでいる。魔除け茸の他領地での実験許可を求めて、各地の領主に手紙を書き送るのは、近頃のマノンの日課になっている。
「もちろん」
「手紙で頼むなんて地道なやりかたで、実験許可をもらえるのかしら」
「手紙でハイドーゾって許可をもらえるとは思ってないわ。大切なのは、エモンティエ家はこんな手段を持っていますって、みんなに意識してもらうことよ。そうすれば、なにかのきっかけで頼りにされることもあるかもしれない。まずは魔除け茸の存在を覚えておいてもらうこと。つまり、これは宣伝よ」
「はぁ、先は長いわね。覚えておいてもらうためだけに、贈り物まで添える必要があるのかしら……」
「テャールは贈り物であると同時に、魔除け茸の説明も兼ねてるのよ。手紙だけ読んだら『魔除け茸ってどんな形のきのこ?』って思うでしょ? 無色透明なテャールですって説明してテャールの実物も送れば、魔除け茸の見た目が浮かびやすいんじゃないかしら」
なるほどと思い、ミュリナはうなずいた。魔除け茸そのものを送りつけるより喜ばれる上に、「無色透明」なきのこってどんなだろうと好奇心も湧くだろう。
ミュリナは、母マノンは貴族より商売人が向いているのではと思った。
「テャールが森の真珠なら、魔除け茸は森の水晶ね」
「あらミュリナ、いいわねそれ! 魔除け茸の名前、森の水晶にしちゃいましょうか?」
「赤くなったり青くなったりするけど、いいの水晶で?」
「森のルビー森のサファイア森のエメラルドその他もろもろになる森の水晶」
「長いわよ。森のエメラルドで思い出したわ。わたし、これをお母様に見せに来たの」
ミュリナは手にしていた小箱の蓋を開け、マノンの眼の前に差し出した。
ダイヤモンドと真珠に囲まれた、大粒のエメラルド。
マノンはしばらく箱の中を凝視したのち、娘の顔を見上げた。
「なにこれ。――魔具級の大きさよ」
真面目な面持ちで、マノンは言った。
魔具。セレイア王国では魔物と戦うための武器に、宝石をはめ込む。宝石には美という価値以上に、魔と戦うための道具という実用面の価値があるのだ。
魔物は、ただの人間が手にした剣や弓矢では傷つかない。
魔物を傷つけることができるのは、魔の次元に属する者のみ。セレイア王国建国の志士、ガイウス一世とその二十四人の配下たちは、その血に魔族の血が混ざっていたと言われている。だから魔物と戦うことができたのである。その血を受け継ぐ王と貴族たちもまた、魔物を攻撃することができる。
しかし、ガイウス一世の御代から千五百年。貴族は貴族どうし交わることでその血の濃さを保とうとしているが、それでも少しずつ血の効力は薄れてきている。
薄れゆく血の効果を補佐するのが、魔具である。
魔族は死ぬと、その体を原石に変える。
宝石の原石に――。
かつて魔物だった宝石を埋め込むことによって、武器は魔具となる。
魔族の血を引くセレイアの王族・貴族が、魔具となった武器を持てば、魔の効果が響き合い、大きな魔祓いの力を発揮することができるのである。
宝石の中でもとくに大きな宝石は、武器に埋め込まずとも身につける者の魔祓いの力を高めるという。たとえばこのエメラルドくらいの大きさならば――。
「こんな大きなエメラルド、市場には出ないわ。店で購入できるものじゃない……ってことは、こんな大きな宝石に変わるくらい大きな魔物を倒せる人から、渡されたってことね?」
マノンは言った。その通りだった。
「リディアーヌ・ジュ・フォンティネール伯爵夫人よ。お母様」
「リディ……」
つぶやくマノンの声に、当惑の響きが混じる。
「お母様がリディアーヌ様とお友達だったことと、仲たがいしてしまったことはきいたわ。リディアーヌ様は、お母様と仲直りしたいっておっしゃってたの。この首飾りは、仲直りのしるしにお母様に渡したかったんですって」
「仲直りのしるしにしちゃあ、大仰だわ……。ミュリナ、あの人はね、変わり者だけれど魔祓いに関してはおかしなことはしないわ。魔具として価値の高い宝石を、旧友にぽんとくれてやるようなことはしないのよ。――なにかあるわね」
「なにかって……」
寝室のドアがノックされる。マノンが「どうぞ」と答えると、メイドのレーナがトレイに一通の封書をのせて入ってきた。
「奥様、お手紙でございます」
「ありがとう、レーナ」
マノンは封筒を裏返し、赤い封蝋に押した紋章と差出人の名を見て、目を見張った。
「……リディからだわ」
封を開け、中を一読したマノンの眉がひそめられる。長い手紙ではないようで、読み終えたマノンがミュリナの顔を見上げるまで、そう時間はかからなかった。
「なにが書いてあるの、お母様?」
「昔した喧嘩に対する謝罪の言葉と、舞踏会であなたに会ったこと。それから――」
「それから?」
「たすけてちょうだいって……」
「えっ……?」
「ふつうの手紙だけれど、私には、たすけてちょうだいって書いてあるように思えてならないの。リディになにかあったのかしら……?」
親愛なるマノンへ
おひさしぶりね。突然の手紙に驚いたところかしら。それとも、もうお嬢さんからわたくしの話をきいたかしら。
まず、わたくしはあなたに謝罪しなくてはならないわね。
ごめんなさい。
あなたには何度も手紙を書いては、出さずに破り捨ててきたわ。喧嘩別れしたことも後悔しているし、あなたが仲直りしましょうと書いてくれた手紙に返事を出さずにきてしまったことも、とても後悔しているわ。
本当にごめんなさい。
舞踏会で、お嬢さんにお会いしたわ。お顔がエモンティエ伯に似ているから、彼に似ておとなしいかと思ったけれど、しっかりした気質はあなたに似ているのね。『ガイウスの宴』の前でお嬢さんとお話したとき、あなたにはじめて会ったときのことを思い出したわ。来ると思っていたあなたの姿が王城になくてさみしかったけれど、お嬢さんにお会いできてうれしかった。お嬢さんにそう伝えてちょうだいね。
もしあなたがわたしを許してくれるなら、お嬢さんに託した宝石を身につけて、フォンティネール家の別荘へ遊びに来てちょうだい。お嬢さんも一緒だとなおうれしいわ。別荘の近くに温泉が湧いているから、腰の療養がてらどうかしら。
医師から旅の許しが出たら、考えてみてちょうだい。旅費や滞在中のあれこれはなにも気にしなくていいのよ。わたくしがすべて整えるって約束するわ。
それでは、お嬢さんとエモンティエ伯によろしく。
この秋は、あなたの訪問を心待ちにして過ごすことになりそうよ。
リディアーヌより