わたしの叔母様(前編)
みなさまこんにちは!
本編公開から10年以上経って公開することになった続編(というか、前日譚)です。
2014年公開の本編はWEB小説風の行あけをしていなくてギチギチなのですが、ここからは読みやすいよう行あけをしています。
これはミュリナの母マノンの、若かりし日の物語――
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「あなたももうすぐ十六歳。社交界デビューに向けて、王都のわたくしの妹のところで行儀見習いをしてみたらどうかしら」
十五歳のマノン・ジュ・ローザンスは母のこの提案に、二つ返事でとびついた。
ばんざい、また王都に行ける!
「するする! 叔母様の家で行儀見習いする!」
「デルフィーヌは王宮で王女付きの女官をしていたくらいだから、私より宮廷でのふるまいに詳しいはずよ。あなたはこの先、宮廷で注目されることは確実だから……」
「王都はすごいわ。あちこちの領地からすごい魔祓士が集まってくるのよ。王都って中心街は安全だけど、郊外の森は魔物が激ヤバなの。でも考えてみたら当然ね。一番魔祓いの力の強い王様が受け持つ土地なんだもの、一番危ないに決まってるわ。王領の森にいた魔物たち……ああ、ぞくぞくしちゃう」
「マノン、今は魔祓いの話はしていないわ。レディとして、宮廷での処し方をどう身に着けるかという話を……」
「魔祓いの力が強ければ自然と敬われるわ! わたし、たくさん魔物倒してたくさん宝石とってくる。楽しみにしていてね、お母様」
別方向のやる気に満ちた娘の言葉に、ローザンス夫人はため息をついた。こんな娘を王都に送り出して本当に大丈夫かしらと。
母親の心配をよそに、マノンは半年ぶり二度目の王都入りを果たした。
半年前に来たのは狩りの大会のためだった。貴族の魔祓いの能力を重視するセレイア国には、王家主催の魔物狩り大会がある。貴族の称号のある家は、出席が義務付けられている。半分お祭りのようなものだが、王が直接臣下の実力を観察する機会でもある。領主たちは一族の優れた魔祓士を大会に派遣し、王や重臣に家の力をアピールする。
マノンの生家ローザンス家は、子爵位を授かっているため出席は義務だ。とはいえアピールするほどの派手な実力はなく、一族の次世代を担う若者が王都見物がてら適当に参加するだけの、やる気のない家だった。
そう、マノンが一族の代表として大会に出場するまでは。
マノンは春に行われた大会で、同い年の侯爵家令嬢と同率首位となり、大いに注目されることになったのである。
そしてマノン二度目の王都入りから一ヶ月。
滞在している母方の叔母、デルフィーヌ・ジュ・パンシエ夫人の屋敷に、三日とあけずに華やかな客人が訪れるようになった。
大会でマノンと同率首位だった、名門クラウリー侯爵家の令嬢、リディアーヌである。
「ねえマノン。この手紙はなにかしら……?」
マノンが自室の小机に置いた封筒を見て、リディアーヌが眉をひそめた。
「お茶会のお誘いです。バラチエ子爵家の御子息から」
「行くつもりなの!?」
「ええ。わたしは社交を学ばなくてはいけませんし、断る理由もないですし」
「お断りしなさい!」
「なぜ?」
「なぜですって? 相手は男じゃないの!」
マノンはまじまじと、王都でできた新しい友人の美しい顔を見た。
「あのう、リディアーヌ様」
「リディって呼んで」
「リディアーヌ様は陛下の覚えもめでたい名門侯爵家のご令嬢、私はありふれた田舎貴族の娘に過ぎません。愛称でお呼びするには身分差というものが」
「身分差? 魔祓いの実力なら互角だわ。セレイア国は魔祓いの力で『格』が決まるのです。先祖が積み上げた家格なんかに興味はないわ。わたくしが重視するのは個人の格よ。あなたとわたくしは同格だからいいのです! 命令よ、リディとお呼びなさい!」
「同格と言いつつ命令するんだ……」
「何かおっしゃって?」
「なんでもないです。ではリディ、あなたは男性からの招待を片っ端からおことわりしているの?」
「当たり前です」
「当たり前なんだ……」
「社交の勉強なら我が家に来ればよろしいじゃないの。なぜわざわざ男の家になど」
「クラウリー侯爵家へ? 家格が高すぎて社交界初心者には無理ですってば」
「男の家には行ってもわたくしの家には来られないっていうの!?」
「男の家男の家って、人聞きが悪い……」
「人聞きが悪いとわかっているなら男の家になんか行ってはなりません!」
由緒正しい名門侯爵家の御令嬢は貞操観念もしっかりしていると言えば、まあそうなのだろう。「性格の癖が強いな」という感想をマノンは意識的に飲みこんだ。
(癖が強いのはリディアーヌ様だけじゃないし……)
マノンは窓の外に目をやった。
二階のマノンの居室から見下ろせる小さな中庭で、叔母のデルフィーヌとメイドのアンヌが、集めた落ち葉でたき火をしている。田舎でならおなじみの、秋らしい光景である。でもここは王都の中心街なのだが。
「ほらほらデルフィーヌ様、あんまり近づくとドレスに火がつきますよ」
「だって、とどかないんですもの。えいっ」
叔母はたき火で手紙を燃やしたいらしかった。手から離れた数通の封書は火にはとどかず、ペチコートでふくらんだドレスの裾に舞い落ちる。
「風下なんですよ、そちらは。風上に回られたらどうです」
「あ、そうね」
叔母は足元に落ちた封書を拾おうとした。アンヌが「わたしが……」と手を出そうとするが、かまわず身をかがめて自分で拾う。
様子を見ていたマノンは、窓に駆け寄って窓枠から身を乗り出した。にわかに火が風にあおられ、デルフィーヌの髪を覆う薄絹のベールに燃えうつったのだ。
「きゃー! 叔母様!」
マノンは端から燃えるベールにぎょっとして、思わず叫んだ。
しかし仏頂面のアンヌは冷静だった。女主人のおっちょこちょいは今にはじまったことではない。
「失礼します」とひとこと、足元のバケツの水を叔母の頭からざぶんとぶっかけた。
叔母は頭からぽたぽたとしずくを滴らせ、なにが起こったのか理解できない様子だった。しかし、またなんかやっちゃったわとすぐ思い当たったようだ。呆然と立ちすくんだのち、水気で顔にはりついたベールを剥がすようにべろ~んと持ちあげて、二階のマノンに向かって
「脱皮」
と言った。
(脱皮??? まあたしかに脱皮みたいではあるけど)
しかしあやうく炎につつまれそうになったのに、第一声が「脱皮」? マノンが脱力していると、横で見ていたリディアーヌが感銘を受けたように
「パンシエ夫人……お茶目な方」
と言った。
変人は変人が好きなのか。そんな感想も、マノンは静かに飲み込んだ。
大貴族の令嬢のくせにリディアーヌがしょっちゅうこの侘びた屋敷を訪れるのも、叔母が持っている変な空気感が気に入ったからかもしれない。
帰宅するリディアーヌの馬車を門前で見送り、マノンが庭園へ戻ると、アンヌが何やら庭仕事をしていた。
庭師には何年も前にひまをやってしまったそうで、庭の木々はろくに剪定もされないまま、繁るものは繁り、枯れるものは枯れていた。今いる使用人は全員庭に関して素人なので、「苗を植える」「水をやる」「枯れた植物は引っこ抜いて燃やす」以外の手入れをしない。パンシエ邸の自然に任せた秋の庭園は、一見して茶色っぽかった。
ほとんど葉が落ちているのにぽつぽつ花をつけ続ける秋咲きの薔薇の花壇を抜け、マノンはアンヌに近づいた。そばに寄ってやっと、しゃがみこむアンヌのとなりにデルフィーヌがいるのに気づく。バケツの水で濡れたドレスをくすんだ薄茶色のドレスに着替えたためか、庭と同化していてわからなかった。ただでさえ気配の薄い人なのだ。
デルフィーヌはかさこそ枯葉の音を立てて歩み寄るマノンに、いつもの淡い笑顔を向けた。
「アンヌに球根を植えてもらっているの」
デルフィーヌは腕に通した籠の中のちいさな球根をひとつとり、アンヌに手渡した。
マノンは籠の中をのぞきこんだ。大小様々な球根がいくつも入っている。乾いた泥がついているのは、花屋から仕入れた球根ではなく、去年も花をさかせたものを掘り返してとっておいたからだろう。
「叔母様は球根の植物がお好きね」
「球根いいわよ、球根。とんがった芽がにゅっ!と出るじゃない。にゅっ!と」
東洋の宗教的な銅像のように胸の前で両手のひらを合わせた叔母は、その手をそのまま頭上にもちあげた。これは「にゅっ!」の表現だろう。
「にゅっ!とね」
「そうそう、かたい芽がにゅっ!と。ちからづよく。生命!ってかんじで好きよ」
デルフィーヌはもう一度芽になりきって「にゅっ!」をやった。つられてマノンもおなじ動作をした。
チューリップとクロッカスとムスカリの球根は、アンヌの手で無事地中におさまった。庭を彩るには少なすぎる数だったが、それでもマノンはやさしい気持ちで、春咲きの球根が眠る地面を見下ろした。パンシエ邸の、人の手が行き届かないぼやぼやした庭を愛らしいと思った。
マノンは叔母の横顔をそっと見つめた。
女性としての盛りは過ぎた年齢。しかしデルフィーヌはまだまだ美しかった。社交界の華やかな夜会やサロンで目立つタイプではない。けれど、枯葉をすくいあげて吹き抜ける風に目を細める叔母は、秋の妖精のようにはかなげで、しっとりした雰囲気がとても女性らしい。
歳の離れた夫をはやくに亡くし、子供もいない未亡人――。
(なんだかもったいないわよね。叔母様ならもう一花咲かせられそうなのに)
娘時代、王女の女官として王宮づとめをしていたデルフィーヌは、礼儀作法だって身についているはずだ。それを言うと「たいしたおつとめはしてないわー。おてんばな姫様のいたずらの標的になって、落とし穴に落ちたりカエルにびっくりしたりするのがお役目だったようなものよ」とさみしげに言うのだけれど。
女官だったころを語る叔母の瞳には、過ぎ去った日々をなつかしむ色よりも、今はもういないルイーズ姫を悲しむ色がつよく浮かんだ。
現国王の末の妹だったルイーズ姫は、前王の信頼厚い臣下に嫁ぎ、たくさんの子を成し、亡くなった。夫となった臣下のことを幼いころから慕っていたそうで、それだけきいたら短くとも愛情に満ちた幸福な生涯だったと思うのだが、ルイーズ姫の名が今の社交界で語られることはほとんどない。
病死と言われているのは表向きで、自害だったと陰でささやかれているのをマノンは王都に来てはじめて知った。
なぜ自害を――?という疑問に答えてくれたのはリディアーヌだけだ。ほかの貴族は皆、あいまいに話をそらす。
リディアーヌだけは、吐き捨てるようにこう言った。
「王族の女は苗床よ。優秀な種を植え付けられる苗床。優秀な、様々な種を」
――優秀な、様々な種を。
「ルイーズ姫が夫を愛していたならば、地獄だったのではないかしら」
セレイア国において、魔祓いの力は血筋によって受け継がれる。
王族はその頂点の素質を持つ。初代国王ガイウスの血族は栄え続けなくてはならない。いつまた魔が勢力を盛り返し、人を駆逐するかわからない土地なのだから――。
優秀な魔祓いの力を持つ子孫を数多く――そして多様に残すのも、王族の義務なのだ。夫婦愛よりも、大切な義務。
そんな話をマノンがしんみり思い返していたら、目の前の石畳を小さなカエルがのそのそ歩いているのをみつけた。いつも冷静なアンヌが「ひっっ!」とひきつった声をあげる。叔母様はしゃがみこんでカエルの前に手のひらを差し出した。冬眠前のカエルは迂回するのもかったるいと思ったのか、叔母様の手にのそっと乗っかってくる。
よくさわれますね……と、マノンが口を開きかけたそのとき、男性の声が乾いた空気にやわらかく響いた。
「あなたがカエルに慣れているのは、いたずらなルイーズのせいかな?」
マノンは声の主に目を向けた。
青年期はとうに過ぎ去った年頃ながら、肌に張りのある品のよい顔立ち。整った金髪、形よく胴の締まった上着、高く結んだ糊のきいたタイ、ぴかぴかに磨かれたブーツ。服装だけでかなり高位の人物だと判断できる。
そして、人より耳のよいマノンが近づかれるまで気配に気づかなかったということは、戦いの場ではかなりの手練れのはずだ。
(見たことある……絶対見たことある……。どこで見たんだっけ? 誰だっけ?)
田舎から出てきてまだ日が浅いとはいえ、貴族のくせに貴族にうとい自分が情けない。マノンが高速回転で記憶を掘りおこしていると、デルフィーヌがカエルをちょこんと手に乗せたまま、ぽつりとつぶやいた。
「陛下……」
(へ、へいか!?)
そういえば、魔祓いの大会のとき王様からお言葉を賜ったっけと、マノンはようやく思い出した。




