第四章 出動! きのこ倶楽部④
エモンティエ家当主サージェル・ジュ・エモンティエは、数日後の午後、おんぼろ馬車を五台連ねてやってきた。五台の馬車の側面には、とぼけた顔のある丸いきのこの絵が、紋のように図案化されて入っている。マノンが考案したきのこ倶楽部のしるしである。
ミュリナはフォンティネール夫人やジュリアスとともに、古城の庭園で父ときのこ倶楽部精鋭部隊一行を出迎えた。
出迎えの列の中には、ボルゼーガの姿もあった。ミュリナは苦々しい思いで、にらみつけるようにその表情のない横顔を見た。
彼のしでかした罪は明白なのに、当主アーセルはボルゼーガをそのままの地位に置いている。ピペからボルゼーガの功績を褒めたたえる言葉をいくらきいたところで、ミュリナは彼を許す気にはなれなかった。
それはジュリアスも同じようで、ボルゼーガから顔をそむけ、視界に入れようともしない。
(お父様だって、ボルゼーガのことをどう思うか……)
魔除け茸とは反対の効果を生むきのこの研究者である。おとなしいサージェルが怒り狂う姿を見せるとは思わないが、内心憤懣やるかたない思いでいるのではないか。自分の研究を踏みにじられた思いでいっぱいなのではないか。
ボルゼーガと父サージェルの初顔合わせは、どんなことになるのだろう。
先頭の馬車の扉が開き、最初に凶悪な表情のテトが降りてきた。怒ってる……とミュリナは思った。けれどボルゼーガに怒っているのではなく、無茶をした自分に怒っているということが、こっちをにらみつけてくる目でわかった。こわい。
テトに続いて、馬車に酔ったのかよろよろとした情けない足取りで、エモンティエ伯爵が降りてきた。
ミュリナはボルゼーガと父を交互に見つめた。
魔物を発生させるきのこを生みだした研究者と、魔物の発生を止めるきのこを生みだした研究者。ふたりは一体なにを思い、どんなふうに相対するのか――。
エモンティエ伯はまず娘を見て安心したような笑顔を見せたあと、フォンティネール伯爵夫人にぎくしゃくとお辞儀をした。続いてジュリアスに会釈し、おそるおそるといった様子で、問題の研究者に顔を向けた。
ボルゼーガの顔を見て、サージェル・ジュ・エモンティエは顔をこわばらせた。
怒るのだろうか。
困惑するのだろうか。
それとも大人らしくなにも言わず、これからなすべき仕事の話をするのだろうか。
ミュリナはどきどきしながら父の様子を見守っていた。
が。
(えっ? 泣く?)
なんと父の表情が、泣き顔に崩れた。
ミュリナがおおいに戸惑ったそのとき、サージェルはボルゼーガの両腕をがしっとつかみ、感極まった声で叫んだ。
「ポルセウスううう! 生きてたんだなあああ!」
(ポルセ――誰!?)
「おれはおまえが死んじゃったんだと思ってたよー! また会えるなんて思わなかったよー! うわあああん!」
ミュリナはぽかんと口を開け、唖然と父とボルゼーガを見た。
ボルゼーガは無表情のままだったが、いつもは冷ややかに一点を見つめる瞳が、小刻みにゆれているように見えた。
「ポルセウスだ」
「えっ、ポルセウス?」
「あっ。ほんとだ。まじポルセウス!」
領主の泣き声になにごとかと思ったのか、連ねた馬車からわらわらときのこ倶楽部の面々が降りてくる。ミュリナやテトより年上の倶楽部員はみなボルゼーガを知っているようで、なぜか口々にポルセウスと呼んでいる。
(ポルセウス――あっ!)
ようやくミュリナは思い出した。父の研究室に並べられた四つの名前――エモンティエ領内最後の、魔物の犠牲者たち。テトの父親の名と並んで、その中に確かに「ポルセウス」の名があった。
「ポルセウスなんでここにいんの?」
「魔物にやられたんじゃなかったんだ! よかったなあ!」
「ポルセウス、おれおまえに金貸しっぱなし!」
「感動の再会で言うことか」
ボルゼーガはいつもの冷静さをなくし、きのこ倶楽部の面々を見回してうろたえていた。
「私は……私はポルセウスではなく」
「ポルセウスじゃん!」
「忘れねぇよ! 白髪んなってるけどな!」
「ハゲたおまえよりまし」
「うるせえ!」
ボルゼーガは自分の両腕をつかむサージェルの顔を見た。サージェルはボルゼーガが――ポルセウスがなにを言うか、涙を浮かべて待っている。
「私は……」
サージェルだけではない。きのこ倶楽部の皆が、ボルゼーガの――ポルセウスの言葉を、固唾を飲んで待っている。
「私は……私は……君たちを騙したのだ!」
「知ってるよ!」
次の瞬間見た光景は、ミュリナにとって天地がひっくり返ったような衝撃だった。
なんと父サージェルが、渾身の力を込めて、拳でボルゼーガの頬をぶん殴ったのである。
あの弱々しい父のどこにこんな力があったのかと不思議になるような勢いで、ボルゼーガは後方にふっとび、仰向けに地面に倒れた。
「フォンティネール伯爵に手紙で全部聞いた。かつての仲間が実はフォンティネールの諜報員だったなんて、信じたくなかったよ。おまえがやったことに怒りで我を忘れたよ。だけど――だけどな」
サージェルは一端そこで言葉を切った。
「だけど、おまえが生きててよかったと思ったんだよ! ばっきゃあろう!」
その場はしん……と静まり返っていた。
サージェルが肩で息する音だけが聞こえていた。
最初に動いたのはジュリアスだった。
ジュリアスは叔父とサージェルの間に立つと、サージェルに向かって深々と頭を下げた。
「このたびのことは、病気療養中の現当主に代わりまして、次期当主の私からエモンティエ伯爵に深くお詫びいたします。つぐないとして、我がフォンティネール家はエモンティエ家の研究を全面支援することをここに約束いたします。――叔父上」
ジュリアスはすっと一歩脇にどいて、尻もちをついたまま信じられないような顔で硬直しているボルゼーガが、サージェルから見えるようにした。
「叔父上。あなたが時折、遠い目をして思い返していたのは、エモンティエですか?」
「……」
ボルゼーガはなにも答えなかった。
瞳がゆらゆらと揺れていた。
「フォンティネールのために捨てた青春というのは、エモンティエにあったのですか?」
「……」
「もういいよ、ジュリアス君」
サージェルは呆然とするボルゼーガに歩み寄り、しゃがんで彼の手を取った。そして手を引かれるがまま立ち上がったボルゼーガの肩に、ぽんと手を置いた。
「もう一度、おれたちと一緒にやり直そう、ポルセウス。いや――ボルゼーガ」
サージェル・ジュ・エモンティエ。社交の社の字も知らない男。
病の当主アーセル・ジュ・フォンティネールの前に出たとき、サージェルは緊張のあまりうつむいたまま、あいさつの口上を三度も四度も噛んでいた。フォンティネール伯爵の顔に嘲りの表情が浮かぶのを、ミュリナは真っ赤になって耐え忍ばなければならなかった。
ようやく、口上を言い終えたサージェルが顔をあげた。
病にやせ衰えたアーセルの顔を見て、サージェルの表情が仮面をとりかえたようにサッと切り替わった。
研究者の顔になったと、ミュリナは思った。サージェルはさきほどのしどろもどろはどこへやら、強い光を宿した瞳で、当主をじろじろ見つめはじめた。
(お父様……失礼よ)
「ちょっと手袋、とってください」
(……!? 失礼だってば!)
「なんのためにだね?」
サージェルの突然の無礼に、アーセルが憮然と答える。
「病がですねー、魔障じゃないかと思うんですよ」
「魔障とはなんだね?」
「簡単に言いますと、魔物に多く接するとなりやすい障害です。セレイア貴族は人の血の中に魔族の血を持っている。体内で魔との共存を果たしている稀有な存在と言えますが、魔物に接すると属性が魔の側に傾いてしまうのです。魔に傾いても基礎は人間の体です。傾きすぎると当然、不都合が生じます。不都合とはつまり麻痺です。魔障がすすむと眼球の毛細血管や爪が青くなるのですが……手袋とってみてください」
いきなり饒舌になったサージェルに気押されたのか、アーセルは黙って手袋をとった。青紫に変化した爪をサージェルに見せる。
「……生きているうちに魔障の人に会うとは思いませんでした。ガイウス一世はこの病が原因で没したようですが、伝説だと思われてますからねー。フォンティネール伯爵は伝説級に魔物を倒してきたのですねー。はー。恐れ入ります」
「妻も……妻も倒してきた。この病にかかるのか……?」
「かかるかもしれません」
「予防法はあるのか」
「魔物と会わなければいいと思います。もし会ったらすぐ逃げるのがいいと思います。戦って血を浴びたりすると最悪です」
「……」
アーセルは目を閉じた。ふるえる瞼に葛藤があらわれていた。
「……あのー」
「なんだ」
「おれ……いやわたくし、待ってるんですけど……」
「なにをだ」
「治るのか?って訊いてくれないかなーって」
「なに。治るのか?」
「治るのです」
「先に言え!」
「す、すみません……。あのその、土壌の偏りも身体の偏りも、おなじなんです。つまりですね、おれ……いやわたくしがおすすめしたい品はこちら!」
ミュリナは母マノンが描いた魔除け茸の細密画をとりだし、どうだ!とばかりに当主へ向けた。
「このきのこを煮詰めて有効成分をとりだし濃縮したものを服用すればあら不思議! みるみる爪が桃色に!」
「お父様、みるみるというのは誇張です! 徐々に、ゆるやかに、です」
「す、すみませんそうでした……」
「誇張はやめてくださいお父様。うさんくさいと思われます」
「……うさんくさいですか?」
サージェルは探るような目をフォンティネール伯爵に向けた。
「ああ、うさんくさい」
「うっ……」
「藁にもすがる気持ちというのはこういうものなのかと噛みしめている」
「藁……。ミュリナ、藁だっておれたち。はは……ははは……」
「うさんくさい団体は連れてくるし」
「ううっ……」
「あのようなうさんくさい平民に頼らねばならぬとは、我がフォンティネールの誇りも地に落ちたものだ」
ミュリナは(自業自得のくせに!)と、笑顔を張りつかせたまま心の中で悪態をついた。
そしてこの当主を元気にしたら、絶対にジュリアスと殴り合いの喧嘩をすると心配になってきてしまった。怪力の息子と互角に張り合う腕力の持ち主だったら、一体誰がその喧嘩をとめられよう……。
(まあ、自分の病を治すよりも先にリディアーヌ様のことを心配してたから、ここは良しとしましょうか……)