第四章 出動! きのこ倶楽部③
「ジュリアス……」
ジュリアスの振るう両刃の大剣が、軽々と宙を舞う。一太刀で垂れさがる繭が同時に何個もまっぷたつになった。果物を切るようにさっくりと、魔物入りの繭が断たれ、急所を仕留めた証にあっという間に石に変わる。
切り落とされた繭が地に落ちるときにはもう、石になっている勢いだ。
びちゃびちゃと湿った音がする代わりに、バラバラと石が落ちる乾いた音がする。
重量のある剣だからこそ出来る、一撃必殺の剣技。
けれどそれはミュリナが想像していたのとはまったく違い、力押しを感じさせないどこまでも軽やかな動きだった。
ミュリナはぽかんと、剣舞を舞うように大剣をふるうジュリアスを眺めていた。
海の底のような青い視界。
宝石を降らせる艶やかな剣舞。
舞っているのは、神話の世界に生きているような、美しい青年――。
大剣が空を切る圧力が風を生み、ミュリナの頬をふわりとなでた。
一瞬だけミュリナを見た、澄んだ瞳と視線がかち合う。
その目がやさしく細められたとき、視界が青と黒に明滅した。
視界がもどってゆく――?
青い世界は、終了――?
全滅――させた?
「ミュリナ!」
視界が暗闇にもどる中、すっかり耳になじんだ深い声が自分を呼ぶのがきこえた。
「ジュリア……ひっく」
ミュリナはジュリアスの名をきちんと呼ぶことができなかった。
張り詰めていた気持ちが急にゆるんで、涙がとめどなく溢れてきてしまったからだ。
「追いつくのが遅くなり、もうしわけありませんでした」
「ほんとに遅……ひっく、えぐ」
「怪我はありませんか?」
「手が痛……ひっく、ひっ……」
暗闇の中、ジュリアスがミュリナのそばに座った気配がした。
そっと手をとられ、甲に手巾が巻かれる感触があった。夜目がきくジュリアスは、暗闇でも手際がよかった。
ミュリナはジュリアスがどんな表情をしているかわからなかったが、自分が泣きじゃくっているのはしっかり見られているのだろうなと思った。恥ずかしかったが、涙は止まらない。
こわかった。
本当にこわかったのだ。
魔物と戦うというのはこういうことかと、はじめて思い知った。
貴族たちは、こんな厳しい戦いを繰り返して生きているのだ――。
くやしいけれど、エモンティエ家がどんな研究を成し遂げようと聞いてももらえない理由の一端が、ミュリナはすこしだけわかった気がした。
本当にくやしいけれど、魔祓いの戦をしないエモンティエ家は、ほかの貴族に同等だと思ってもらえなかったのだ――。
「立てますか?」
「立てない……ひっく」
「力を使いすぎたのですね。それにしても……凄い力だ」
ジュリアスは周囲を見回しているようだった。ミュリナもどれだけの魔物を屠ったのか石を見て確かめたいと思ったけれど、あいにくとこちらは夜目がきかない。
「もう、もう魔物出ませんよね。こわかった――あああっ?」
ふいに体が持ちあげられる感触があった。どうやらジュリアスに横抱きに抱きかかえられたらしい。
「お、重いですよ」
「羽毛のようですよ」
「そんなわけない――でもないのかしら。ジュリアスなら」
大剣をあんなに軽々とふりまわすくらいだから。
「本当に歩けないの。ごめんなさい。お世話になるわ」
体勢の安定をはかるため、ミュリナはみずからジュリアスの首に両腕を回した。細く見えても、ジュリアスの首はしっかりとしていて頼もしかった。
「ミュ、ミュリナ……」
「あらごめんなさい。痛かったかしら」
ミュリナはすこし腕の力をゆるめた。
「いえ。いえ! だいじょうぶです……」
「なんだかわたし、子供に返ったみたいで恥ずかしいわ」
「子供……」
小さいころはよく、きのこ倶楽部の面々にこんなふうにお姫様抱っこしてもらったものだ。そんなことを思い出しながらひきかえしていると、燭台を持ったシータたちに追いついた。
シータが「うひょっ」と声をあげ、続いてバシッと頭をたたく音と、「いてっ」「バカ」という短い会話がきこえた。エメがシータをひっぱたいたらしい。
ミュリナは「つかれて立てなくなっちゃったのよー」と言い訳した。
「ジュリアス様、ボルゼーガ様はどこへ?」
ボルゼーガを敬愛するピペが、心配そうにたずねる。
「はぐれた。急に魔物が何体もあらわれて、始末しているうちに見失ってしまった。しかし叔父上も魔祓い士だ。魔物の危険には対処できる」
「手下たちを見捨てて逃げたのね」
くさくさした口調でエメが言い、「ボルゼーガ様はそんな方ではない!」とピペが反論した。
「はやく古城にもどって、ここに魔物が湧いたことを伯爵と夫人に知らせましょう。ボルゼーガ様の企んだことも……知らせなくっちゃ」
ミュリナはできることなら、リディアーヌに身内が魔物を湧かせたことなど知らせたくなかった。けれど、もうそんなことを言っている場合ではない。
「奥様には私の口からお伝えします、ミュリナ様。秘密を知ったのは私なんですもの」
「エメさん……」
「ボルゼーガは、本邸に送られてきたエモンティエからの小包を燃やすよう、メイドに命じたんです。そのメイドは、奥様がマノン様と仲直りしたがってることを知っていたから、マノン様からの小包を燃やしていいんですかって、わたしに相談してきたんです。中を見てみたらテャールだったわ。高級食材の贈りものを燃やす理由がわからないと思って、同封の手紙を読みました。魔除け茸のことが書いてあったから、ボルゼーガは魔除け茸にひっかかっていたんじゃないかと思いました。彼もきのこや粘菌の研究をしていたので。そして調べたら――案の定」
「奥方の犬め!」
エメの説明にシータが噛みついた。
「ボルゼーガの捨て犬は黙ってなさい。このことを伯爵に知らせたら、いくら弟だって咎められるんじゃないかしら?」
「……父はおそらく、叔父上のやっていたことを知っている」
重い口調で、ジュリアスが言った。
一同が、沈痛な面持ちの彼を見る。
「上位貴族たちは、自分がどれだけの宝石を得たか、どれだけの宝石を上納したか、その結果序列絵のどの位置に描かれたか、そんな話しかしない。年間、どれだけの民が魔物の餌食となって死んでいるか、そんな話はしない。貴族たちがやっているのは遊戯だと私は思う。序列を上げ順位を競う遊戯だと思う。しかし、この遊戯に勝ち上がらないかぎり、王家は貧しい地方に目を向けてはくれない。父はそのことをよくわかっている」
「若様、これは遊戯などではありません。領主たちが宝石を上納しないことには、この国は立ち行きません。周辺諸国がセレイアの宝石を求めるから、我が国は周辺諸国と同等でいられる」
「同等でいるために、人々が魔物に食われてもいいと? 君の子供たちが、明日魔物に食われてもいいと?」
「それは……」
ピペは言い淀んだ。
「おれやだなー。食われるの」
「シータ、おまえ……」
「ボルゼーガ様はおれらを置いて消えたけど、若様はおれらを助けにきたぜ。ま、助けたかったのはおれらじゃなくてそっちの令嬢なんだろうけど」
シータの寝返り発言に、エメが苦笑した。
一夜の冒険のあと、ジュリアスを待っていたのはお説教だった。
早朝の古城に、フォンティネール伯爵の怒鳴り声が響く。来客のミュリナに遠慮するなど一切頭にない、腹の底からの怒りの声が、ミュリナの居室にまで響いてくる。伯爵が一方的に怒っていると思いきや、ジュリアスもついに反論の声を張り上げた。
ミュリナは自分の地獄耳がいつ殴り合いの音を聞きつけるか、ひやひやしていた。
目の前には、椅子に座ったリディアーヌがいる。
ミュリナはミュリナで、リディアーヌからお説教をもらっている最中なのである。
「年頃の娘が夜に若い男とふたりで出かけるなんて……」
(そこですか)
ミュリナは頭を抱えたくなった。
「うちのジュリアスがあなたになにかしたら、マノンに合わせる顔がないわ!」
「なにもされてませんから。ジュリアス様はそんな方ではないと思うのですが」
「あなたは若い男のことがわかっていないのです」
(そうかなあ)
「エモンティエ伯など、あんなおとなしそうな顔をして、結婚前のマノンにキ……キ……」
「キスですか?」
かたわらに控えていたレーナが口を挟む。
「どんなにおとなしそうに見えても、どんなに真面目そうに見えても、若い男は不埒なことばかり考えているのです!」
(……)
ミュリナは助けを求めてレーナを見たが、能天気なメイドは笑いをこらえるのに必死な様子で、助け舟を出してくれそうにない。
(不毛だわ……。一体この方、どんなお固い家に育ったのかしら)
「リディアーヌ様、そんな話をしている場合ではないと思うのですが。この地域一帯、広い範囲でボルゼーガ様の黒きのこが繁殖しているかもしれません。深刻な土壌の偏りがあると考えられます。土壌の偏りに関しては、父は専門家ですよ。父を呼ぶことをお許しください」
「イヤ」
「え!?」
「……だけど、エモンティエにはもう早馬を出したわ。当主もとうとうあきらめたのよ。誇りを捨て、他領地に頼ることにします。やってはならないことに手を染めてしまった報いよ。病だって、報いかもしれないわ」
リディアーヌは床を見つめ、さみしそうにつぶやいた。
「なにかおかしなことになっているとは思っていたのよ。だからエメに探らせていたの……。フォンティネールはやりなおさなくてはいけないわ。わたくしも……やりなおさなくては」
「リディアーヌ様……」
「つかれたの」
「……」
「わたくし、とてもつかれたの」
「……母の腰が癒えたら、母も呼びましょう。そして、この村をはやくもとにもどして、みんなで温泉にまいりましょう」
「温泉……」
「近くに湧いているのでしょう? エメさんも誘って、レーナも連れて。女性ばかりで、きっと楽しいわ」
「そうね……。楽しそうね」
「はやくゆっくりできる日がくるように、がんばりましょう? わたしもお手伝いいたします。一緒にがんばりましょう。リディアーヌ様」
「ええ。一緒に……」
リディアーヌのアクアブルーの瞳に、ゆっくり涙が盛り上がる。
ミュリナはそんなリディアーヌの手をとり、ぎゅっと握りしめた。
雄々しく剣をふるう手は、幼子のようにふるえていた。
誰にも弱みをみせられず、戦い続けてきた氷の女王。そんなリディアーヌの瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。ミュリナの手に落ちる彼女の涙は、とても熱かった。
そこにいるのは民に崇められる勇者ではなく、戦いつかれたひとりの女性。
ミュリナの瞳ももらい泣きの涙でうるみ、レーナも鼻をすすっている。
伯爵とジュリアスの言い合う声を遠くにききながら、リディアーヌとミュリナは固く手を握り合い、涙を流して村の再生を誓った。