第三章 森の黒真珠②
メイドに先導され、ミュリナはレーナとともに古城の廊下を歩いていた。
「はあああ……。かっこよかったですねえ、フォンティネール夫人……」
「そうね」
「村の人たちがこぞって見にくる気持ちがわかります。あたしだって、あんなかっこいい人が自分の村を守ってくれるなら、取り巻きになっちゃいます。ああどうしよう。女の人なのに、結婚もされてるのにご令息もいらっしゃるのに、ときめきがとまらない!」
「わかったからすこし黙ってなさいよ、レーナ……。恥ずかしい」
レーナがはしゃぐ気持ちも、わからないではない。ミュリナだって、夫人が浴びた魔物の血が見えなければ、白馬の似合う颯爽とした姿に気持ちが昂ぶったことだろう。
「こちらがお部屋です」
ふるまいの行き届いたフォンティネール家のメイドは、案内がすむと一礼して去って行った。ミュリナは椅子に腰をおろし、鞄を開けた。中から革袋をとりだす。
「なんですかそれ?」
レーナがのぞきこんできたので、ミュリナは中を見せてやった。
「砂粒……っていうには大きいし、石っていうには小さいですね」
「雑魔の死骸よ。『試験』でわたしがやっつけた虫みたいな魔物。ジュリアス様が、さっそく約束を守ってくださって、ぜんぶわたしにくれたの」
わたしがやっつけた魔物の石はすべてわたしにくださいと、ミュリナは言った。ジュリアスはその契約を忘れずに、砂粒のような石を集めて渡してくれたのだ。ミュリナは『試験』の雑魔のことなど頭になかったので、ジュリアスを律儀な人だと思った。そんなところにも、彼の誠実な人柄がにじむ。
「せっかくだから、矢を魔具にするのに使おうと思ったの」
ミュリナは愛用の小弓と矢筒を小机に置いた。矢筒から短矢を一本とりだし、小刀で中央に切れ込みを入れ、そこに小さな石粒を押し込む。蝋燭の光にかざすと、石粒はきらりと小さく輝いた。
「こうすれば、少しは威力が増すと思うのよ」
「なるほどー」
レーナにも手伝ってもらい、せっせと破魔矢づくりにいそしんでいると、扉をノックする音がした。
扉の外には、鎧からたおやかな青いドレスに着替えた伯爵夫人の姿があった。
「夕食まで、城内を案内させていただこうと思って」
「……お疲れではないのですか?」
あんなに壮絶な様子だったのにと、ミュリナは心の中でつぶやいた。
「きょうはすこし疲れたけれど。だいじょうぶよ。あなたとお話がしたいの」
ミュリナは夫人のあとについて部屋を出た。
石造りの城内を、靴音を響かせながら歩く。薄暗がりに蝋燭の明かりがゆらゆらした影をつくっている。今風にしつらえられた部屋の中にくらべ、通路は三百年前の様式を保っていた。彫りのある柱頭をのせた柱がずらりと並ぶ廊下にいると、ここがいつの時代かわからなくなる。
「おどろいた? でも、いつもはああまではやらないのよ。あなたが来るときいたから、魔物を多めに始末してきたの」
なんでもないことのように言うリディアーヌに、ミュリナはつい痛ましげな目を向けてしまった。
「わたしに……お手伝いできることがあれば……」
「怒ってないの?」
「怒る?」
「気付いているのでしょう? わたくしが宝石を贈った意図。協力が欲しいから仲直りを申し出るなんて、自分勝手なひとだと思ったでしょう?」
「……母は、リディアーヌ様を心配しています。母は怪我を押してでも、ここへ来たかったのです。なんとか思いとどまらせて、わたしがフォンティネールの様子を見てくるからと言って、母の代わりに来たのです」
「わたくしの質問には、答えてもらえないのね……」
リディアーヌはさみしげにほほえんだ。その顔は、あの力強い支配者のほほえみをした人とおなじとは思えないほど、はかなげで弱々しかった。
「わたしは、リディアーヌ様と母の喧嘩の原因をしらないのです。だから、自分勝手かどうかなんて、わかりません」
「原因なんて簡単なことよ。セレイア国のためにいっしょにがんばろうと誓ったのに、マノンはさっさと好きな男と結婚し、家庭におさまってしまった。裏切られたと思って、わたくしが怒ったの。わたくしは天に与えられた魔祓いの力を死ぬまで発揮し、ひとりでも多くの国民を救おうって、マノンの結婚式の招待状を破り捨てながら誓ったわ。王の後妻にならないかという打診も来ていたけれど、同時にそれも破り捨てたわ。両親は青くなったけれど、王室の女など、それこそ王族を生むための道具でしかない。わたくしは与えられた力を役立てたかった。その証として序列絵に描かれたかった」
「……」
「がんばったわ。そんなわたくしを認めてくれたのがフォンティネール伯爵よ。あのひとは、わたくしの好きにしていいと言ってくれた。戦い続けてもいいと言ってくれた。わたくしは序列絵に描かれるより、そんな彼の戦いの相棒でいることをえらんだわ。ずっと一緒に戦ってきた。彼が病に倒れるまでずっと――」
リディアーヌはそこで言葉をつまらせた。
ミュリナの脳裏に、揃いの鎧を着て馬を並走させる、伯爵と夫人の姿が浮かんだ。夫婦というより、それは、戦いの同志だ。
きょう、戦いの場からもどった夫人はひとりだった。
ひとり、人ではない魔族の青い視界の中で、青い血を浴びる魔祓いの女戦士。
「リディアーヌ様……」
「そんな目で見ないで。自分でえらんだ道よ。つらくなんかないわ」
「はい」
はいと答えたものの、ミュリナはリディアーヌが自分で自分を奮い立たせるためにそう言っているように思えてならなかった。
リディアーヌの生家は名門侯爵家だ。かつてさほど序列の高くなかったフォンティネール家に嫁ぐことは、位の降格を意味しただろう。王室入りという生家の望みを蹴散らし、自分の力を信じてやってきた侯爵令嬢。そして今は病の夫に代わり、細い肩に責任を背負って、魔祓いの剣をふるう伯爵夫人。
目の前の青いドレスの淑女は、そんな強い女性なのだ。
気高いと、思った。
ミュリナはいったん、まぶたを閉じた。
戦いに明け暮れるリディアーヌにとって、魔物の湧かないのどかな土地で研究にいそしむエモンティエ伯爵と、そんな彼を支える母マノンは、許しがたく弱く小さくうつるのだろう。気高さのかけらもない人物にうつるのだろう。
夫人が母を許さなかった気持ちが、ミュリナにはわかるような気がした。
(でも。父も母もまちがってはいない)
強さと気高さは人の心を打つ。
けれど強さと気高さが、人々の暮らしを余さず守るだろうか。
エモンティエ家の先祖たちは、ずっとずっと昔から、強くあろうとも気高くあろうともしてこなかった。ただ、領地の人々が平和に暮らせるようにと……ひいてはセレイアの人々が安心して暮らせるようにと……地道にきのこを集め、研究を重ね、成果を出そうと努力を重ねてきた。誰も評価しない努力を重ねてきた。
ミュリナはそのことを伝えたくて、ここへ来た。
けれど、今、目の前にいるこのひとに、それを言う気にはならなかった。
自分を奮い立たせ、強く気高くあろうとするこのひとを、否定することになってしまいそうで。
ほかに方法があるのだと、今このひとにぶつけることは、彼女をひどく傷つけてしまうような気がして。
ミュリナはそっと瞼を開いた。
目の前に、心配そうにこちらを覗きこむアクアブルーの瞳があった。
「どうしたの?」
「なんでもないんです……。わたしに力になれることがあるかしらって、考えていたんです。わたしは魔物退治の経験も少ないですし」
「……あなたはわたくしが、自分勝手でひどい女だとは思わないの?」
「思いません。なぜ?」
ミュリナの返答に、リディアーヌは虚を突かれたように瞳を見開いた。
『ガイウスの宴』の前で話をしたときも、夫人はこんなふうにきょとんとした表情をしたっけ……とミュリナが思っていると、ふいに夫人の細い指先が頬にふれた。冷たくて気持ちのいい指が、幼子をいつくしむように、ミュリナの頬をなでる。
「マノンがうらやましい……。わたくしも、あなたのような娘がほしかったわ」
「お子様なら、ジュリアス様がいらっしゃるじゃありませんか」
「息子なんて鈍感で単純で、すこしも話が通じないわ。でも、あれを連れてきてくれたことは感謝してるわ。父親と叔父が過保護で、戦いの場に出そうとしないのよ。本人は戦いたくてうずうずしてるんだから、やらせればいいのに。ボルゼーガをふりきって来たみたいね」
「ふりきって来た? えっ、話し合って来たのではないのですか?」
「ボルゼーガからの手紙が、あなたたちを追いかけて届いたわ。ジュリアスがこちらに向かったようだけれど、危険だから本邸にもどせって。わたくしは、もどすつもりはないわ。今回の大量発生には、少々手を焼いているの。一族の魔祓士を各地に派遣して、今のところ民に大きな被害は出ていないけれど……」
「この村周辺だけでなく、フォンティネール各地で大量発生しているのですか?」
「異常といえるほど大量発生しているのは、ここノザーラ村の奥地だけよ。原因を究明したいのだけれど、魔物の始末を優先しなければならないから、調査に手がまわらないの。人手が欲しかったところよ。旧友でも旧友の娘でも跡取り息子でも、この際使える人材は誰でも使いたいわ」
リディアーヌはそう言ってくすりと笑った。しかし、笑いはすぐにひっこめられた。
「でも、当主は別の考えみたいね……」