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宮廷画の魔祓いレディ  作者: サカエ
セレイア王国きのこ倶楽部
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第一章 ガイウスの宴①

 城内を行き交う貴婦人たちの首もとには、瞳の色や装いにあわせた宝石の首飾りが輝いていた。

 深紅のルビー、海の底のようなサファイア、澄みきったダイヤモンドにあたたかみのある真珠。オパール、トパーズ、アクアマリン。王都の舞踏会だけあって、極上の宝石たちはその美しさをもっとも引き立てる凝った意匠で、シャンデリアの明かりにきらめいている。田舎では目にすることのかなわない、贅沢な美の競演である。

(うわ~。これが王都。これが王城。これが社交界!)

 王族主催の舞踏会にはじめて招かれたミュリナは、田舎貴族まるだしの呆けた顔で、優雅な貴婦人たちを眺めていた。

 誰もがみな天上の者かと思いたくなるほど洗練され、地位も財産もある貴族の力を美に託して見せつけている。ミュリナはただただ圧倒されるばかりだ。

(ううう。こんな中で社交界デビューなんて……。お母様を撥ねた馬車が憎いわ)

 十六歳になったミュリナは、今日この舞踏会でセレイア王国の社交界デビューを飾る。社交のことなどなにもわからないミュリナを母親が補佐してくれるはずだったのだが、あいにくと母マノンは欠席である。ひさしぶりの舞踏会に出るためドレスを新調しに行って、暴走馬車にぶつかって腰の骨を痛めたのだ。主治医は長距離の旅は無理だと告げた。

 弱小田舎貴族であるミュリナの一族は、王都に来る機会がほとんどない。それゆえ、社交界での処し方がわかってない。それでもミュリナの母は嫁ぐまで王都で暮らしていたから、まだ当てにできた。それに引きかえ……。

 ミュリナは隣にいる父親を見上げた。

 ミュリナの父サージェル・ジュ・エモンティエ伯爵は、刺繍の縁どりのあるベルベットの長上着に身を包み、いつもよりだいぶ貴族らしく見えた。若い頃と変わらない引き締まった体躯とマロン色の豊かな髪。それなりに装えばかなりの男ぶりだ。しかし社交に慣れない彼は、ミュリナの視線に気づきもせず、ぽやや~っと呆けていた。

「お父様、はやくかえりたいと思ってるでしょ?」

「うん」

 うん、って。

 頼りにならないにも程がある。ミュリナはがっくりと肩を落とした。

 そんな愛娘の様子にようやく気が回るようになったのか、エモンティエ伯爵は「ミュリナ、ごめんな……」としみじみ言った。きりりとしていれば端正な顔を、雨に濡れた子犬のようにしょぼしょぼさせて。母曰く、「あの顔されるとなんでも許しちゃう」表情だ。

「いいわよ。お父様みたいな性格のひとに舞踏会なんか向いてないって、最初からわかってるもの。はやく領地の森に帰って、きのこの研究がしたいんでしょ」

「いや、そうじゃなくってさ……。その、首飾り」

 言われてミュリナは自分の首飾りに手をやった。ミュリナの首飾りは宝石ではなく、布製の造花である。色合いの美しい繊細なつくりで、なかなか気に入っている。

「せっかくの社交界デビューなのに、宝石のひとつも準備してやれなくて。ごめんな。不甲斐ない父親で……」

「いいのよ。わたしはわたしの力でのしあがってやるんだから」

 ミュリナは父の言葉をさえぎった。

「わたしだってエモンティエ家の一員よ。エモンティエの方針には誇りを持っているわ。わたしは、装いを見せびらかすために舞踏会に来たんじゃないわ……」

 そうは言ったものの、おなじ年頃の令嬢が赤いドレスの首もとに豪奢な赤いルビーを光らせて向かいからやってくるのを見て、ミュリナの語尾はしおしおと沈んだ。

 よその令嬢がねたましくないと言ったら嘘になる。

 しかし、ミュリナはミュリナなりの信念を持って、社交界へ乗りこんだのだ。こんなことで落ちこんでなどいられない。

「わたしたちが抱える問題は、エモンティエ家の方針が国家に全く評価されてないってことよ。わたしは我が家のやり方は正しいと思っているわ。それを貴族たちに知らしめてやらなくちゃ……」

「しっ」

 エモンティエ伯爵は唇にひとさし指を当て、娘の言葉を止めた。

「ここには我が家のやり方にいい顔しない貴族が大勢いるよ。王族や上位貴族は、昔ながらの伝統を変えることを好まない」

 ひそひそ声で伯爵は言った。

「でも……」

「改革には時期尚早。我々にできることは、まずは成果を継続すること。『魔物退治』より『魔物予防』のほうがどれだけ民のためになるか、我が領地で結果を出さないと」



 大広間から、王立楽団の奏でる弦楽器の旋律がきこえる。明るく軽快な円舞曲だ。

 貴婦人たちの衣ずれの音に混じり、父親のおどおどしたエスコートにまかせて広間へ向かう。裾が大きくふくらんだドレスや踵の細い靴に慣れなくて、つい足元ばかり見てしまうミュリナだったが、ふと視線を感じて顔をあげた。

 さっきすれちがった赤いドレスの令嬢が、扇で口元をかくして、知り合いらしい令嬢になにか言っている。

 ――自分のことでよくないことを言われているときは、なんとなくわかるものだ。ドレスが野暮ったいとか、髪型が古いとか、そんなことだろうか。彼女たちの装いの凝りようを見れば、そんな気がする。

 こそこそ話の令嬢たちの前を通り過ぎるとき、「造花の首飾りなんて……」「セレイア貴族として恥ずかしくないのかしら」という会話がきこえてきた。自分の地獄耳がおそろしい。きっと静かな森の屋敷で小鳥のさえずりばかり聞いて育ったから、生まれつき聞こえのいい聴力がいっそう冴えたのだ。まったく。

(ふんだ。今にみてらっしゃい)

 自分が野暮な田舎育ちなのは重々承知だ。舞踏会は令息令嬢の結婚相手さがしの場でもあるのだから、みんな自分の見栄えが他人より優れているか否か、気になってしかたがないのもわかる。セレイアでは豪華な宝石が家の格式を如実にあらわすから、アクセサリーをあれこれ批評したくなるのもわかる。

 そんなものは全部承知で来た――つもりではあったけれど。

 装いの残念さは、予想以上にマイナス点が大きかった。

 王都にいる間滞在している大叔母の家で鏡を見たとき、舞踏会用に装った自分のドレス姿に「これならいける」と思ったミュリナである。まんざらではないと思ったのに……王都の洗練された令嬢たちの中では、まるで孔雀の群れにまぎれこんだスズメだ。

 これでは、有力貴族の息子をたぶらかせない。

 当初の計画では、自分に惚れこんだいい家の令息に、エモンティエ家の計画をふきこんで協力者に仕立て上げるつもりだったのに!

(う~ん。世の中そう甘くはないわね……)

 だまりこんだミュリナを気遣ってか、エモンティエ伯が顔をのぞきこんできた。

 ミュリナは「大丈夫よ」と答えるように顔を上げ、父に向かってにっと笑った。

 エモンティエ家は伯爵という位を持ちながらも、あるのは由緒だけで資産も名誉もない貧乏貴族である。貧乏貴族ゆえ注目もされないまま、父はひっそりとある研究を進めている。極めればセレイア王国最大の問題を解決できる研究だ。

 そんな父を、母マノンは敬愛している。

 ミュリナだっておなじだ。

 舞踏会へは、父の研究を世に知らしめるための第一歩として来た。

 首飾りをけなされたことくらいで、へこんでなんかいられない。

 大階段から大広間までの通路はロングギャラリーになっていて、王族の肖像画や歴史画が並べられ、人々の目を楽しませていた。ここで絵を眺めながら貴族どうし語らうのも、社交の大切な一環だ。

 しかし、風采のあがらないエモンティエ伯爵親子に話しかけようとする者はいなかった。

 けなされたらけなされたでかなしいけれど、無視はもっといたたまれないわ……とミュリナが思っていると、にわかに通路にざわめきが走った。

 どうしたのだろうと、ミュリナは階段のほうに目をこらした。

 通路に集う人々が、さっと左右に割れる。その真ん中をしずしずと、ひとりの貴婦人がやってくる。まだ歳若い青年に、長手袋に包まれた右手をまかせながら。

(うわあ、きれい……。女神様みたいだわ)

 陶器のように白くなめらかな肌に、つややかな白金の髪。繊細なつくりの細面の美貌。白鳥を思わせる細く長い首すじはやや下がり気味の肩の線につながり、女性らしい優美な曲線を描いている。清流のごときアクアブルーの瞳は冷たさを感じるほど澄んで見え、その表情には愛想笑いなど影もない。肌の色つやは若々しいのに近寄りがたい威厳があり、年齢がまったくわからなかった。

 銀色のドレスのドレープが、体の動きに流れるように従う。

 胸元には、青い宝石で囲んだ大きな大きなダイヤモンド。

 まるで氷雪の女神である。

「フォンティネール伯爵夫人だわ」

「あいかわらずお美しい」

 周囲がもらすつぶやきに、ミュリナは(ああこの方が)と納得した。

 リディアーヌ・ジュ・フォンティネール夫人。セレイア王国北部で最も有力と言われる貴族、フォンティネール家の奥方だ。ということは、彼女をエスコートしている銀髪の青年は、ひとり息子のジュリアスだろうか。フォンティネール家の当主は病の床に伏せっているという噂だ。勢力の大きいフォンティネール家は近く侯爵に格上げされると言われているが、功績の大きかった現当主が病ではどうなるのだろう――。

 社交の乏しい田舎育ちゆえ貴族にうといミュリナだが、フォンティネール夫人のことは知っている。名門侯爵家の出身で、前王の後妻候補に名があがったこともある人物だ。しかもフォンティネール家の領地は、なんとエモンティエ家の領地のとなりである。となりとはいえ両領地を地図上でくらべてみれば、まるで巨木とその根元に生えたきのこである。その面積の差は桁違い、守るべき民の数も桁違い、富も権力も桁違い。おなじ「伯爵家」といえども、実質的な家格には雲泥の差がある。

 おとなりさんとはいえ、気軽に声をかけられる相手ではないので、ミュリナは女神のお通りを黙って眺めていた。不思議なことに、フォンティネール夫人は歩いても足音がしない。衣ずれの音もしない。目には見えても、凡人とはちがう次元にいるのではないかとすら思う。

 そんなことを考えていたら、ミュリナたち親子の前を二、三歩通り過ぎてから、フォンティネール夫人の歩みがぴたりと止まった。

 ふりかえる女神。その高貴なアクアブルーの瞳が向けられているのは――

「お、おれ?」

 ミュリナの父がうわずった声を出した。ミュリナは思わず、自分の手をのせた父の手のひらをピシャリと打った。

(お、おれ?じゃないでしょ、まったく!)

「おひさしぶりね。エモンティエ伯爵」

「は、はい……」

「若い頃とすこしも変わらないわ、あなた。……そちらは、お嬢さん?」

 澄みきった瞳に射抜かれるように見つめられ、ミュリナはあわてて膝を折っておじぎした。夫人に向ける自分の顔が、緊張でこわばるのがわかる。

「エモンティエ伯によく似てること。…………つまんない」

 は? 

 最後の言葉はつぶやくようで、ミュリナにしか聞こえなかった。

(つまんない? つまんないって言った?)

 ミュリナは伏せ気味にしていた瞳を見開いた。真正面から、フォンティネール夫人と視線がかち合う。

「あら。瞳の色はマノンとおなじなのね。優しい緑」

 夫人が、かすかにほほえんだように見えた。

 なにか言葉を返さなくてはと思ったけれど、夫人はすっと体の向きを変えてしまった。息子であろう銀髪の青年のエスコートをうながそうとする。

 しかし銀髪の青年は足を止めたまま、その場を動かなかった。

「ジュリアス」

 夫人にやや険のある声で名を呼ばれ、一点を見つめていた青年ははっと我に返った。

 そして詫びるように軽く頭を下げると、夫人とともに歩み去ってしまった。

 去りぎわに、青年はもう一度そっとこちらをふりかえった。

 ミュリナは、自分の頬がひくひくとひきつるのを感じた。

(最初の予定では……最初の予定ではね、ここで彼がみつめるのはわたしじゃなきゃいけなかったわけよ!)

 有力貴族のおぼっちゃまに見染められ、エモンティエ家の計画に引きずり込む。

 そんな小悪魔になる気満々で、舞踏会へ乗り込んだのに!

(よりによってこっちか――――っ!)

 ミュリナは思わず、となりにたたずむ父親をにらみつけた。

 少年時代、天使のようだと称賛されたという甘く儚い美貌は、父親となった今でも崩れる気配はなく、無垢で清純な空気をまとい続けている。

(無垢で清純っていうか、このひとは単なる世間知らずだっていうの!)

 王都には、恋愛対象に男性を選ぶ男性も数多くいるときいた……。

 ジュリアスが見つめていたのはミュリナではなく、この時を止めた美貌のエモンティエ伯爵だったのである。

「お父様、あの銀髪の殿方は、フォンティネール家のお世継ぎジュリアス様ですよね……」

 苦虫を噛み潰したような表情で、ミュリナは言った。

「そうみたい……」

「お父様とお母様が、フォンティネール夫人と知り合いだったなんて。わたしの瞳の色がお母様とおなじだっておっしゃったわ」

「マノンと夫人は、若い頃仲がよかったんだよ」

「ええっ!?」

 そんな話、ミュリナははじめてきいた。

「でも、仲たがいしてしまったらしくて」

「どうして?」

「……ここではちょっと。またあとで」

 エモンティエ伯はささっと周囲に目線をめぐらせた。

 リディアーヌ・ジュ・フォンティネール夫人といえば、セレイア社交界の華の中の華。そんな人物に声をかけられたためか、周囲に注目されている。扇で顔を隠してひそひそ話すご婦人多数のところを見ると、あまり好意的に見られているとはいえない。

 ミュリナの地獄耳がとらえたのは、「装いがみすぼらしいから、情けをかけたのよ」というささやきである。これまたあんまりな言われようだ……。

 気持ちが沈みそうになったが、ミュリナはぐっと顔をあげた。

 社交界でどんなにぼろっかすに言われようと、ミュリナはこの先ずっと社交界で戦っていく決心で、今日このデビューに臨んだ。

 ミュリナの目的はただひとつ。

 どんなに時間がかかろうと、エモンティエ家のやっていることを国家に知らしめ、認めさせる。エモンティエ家の方針がセレイア王国の人々を救うことを理解してもらい、多くの領地に広めてもらう。

 きょうはそのための第一歩なのだ。

(……厳しい経験になりそう)

 ミュリナはごくりと唾を飲み込んだ。


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