チャック開いてますよ
駅前、交通量の多いロータリーに私は足を運んでいた。
仕事の都合で、今日は新幹線で都心にまでやってきたのである。
私は大学卒のキャリア持ちで、とあるIT企業の重鎮にまでスピード出世を果たした、自分で言うのもなんであるがエリート街道まっしぐらの人間である。今日は、「海山商事」という夏のレジャー人気を二分するような名前の会社への営業だ。海に行くのが泳ぎたいからなら、山に行っても川で泳げるため山に行けば二倍お得ではなかろうか――、という夏の暑さで溶けそうな思考回路を正常に戻そうと努める。海山商事はすぐそこだ。
初めて来る都心はうだるような暑さだった。それで失念していたのだが、アポイントメントをとった時間までまだ半日ある。今から訪ねては完全に迷惑だ。
そうだ、と連鎖的に目的を思い出す。
戦争において地形を知ることは重要だ。私は今から営業戦争に出かけるのである。この辺りの地理を把握するところから始めねばならない。地形情報は後の交渉で共通の話題となりうるほか、接待などでスムーズに店を選択することも容易になる重要なファクター足り得る。
そこでふと。
皆の視線が気になった。心なしか皆、自分の事を見ているような気がする。
駅前を歩く百単位の人間の、二百を超える目がすべて私を射貫いているのだ。最初は気のせいだろうと思った。しかし、明らかに違う。
皆して、私のことを注視している。
初老のスーツ姿も、手をつないで歩く若い男女カップルも、腹の大きな妊婦も。
献血の呼びかけだろうか、白い服をきた女も、怪しげな呼びかけの黒スーツも、学ランのサボタージュも。
皆、等しく私のことを見ている。
誰か一人の視線が偶々ぶつかったわけではない、視線の圧力に私はたじろぐ。
一人一人の視線は大したことなくとも、大勢の視線が集まるともはや暴力と化す。精神が痛んだ。
「なあ、おいアレ……」
「いやぁぁぁぁ!?」
しまいには、立ち止まってこちらを指差したり、露骨に嫌そうな視線を向ける輩まで現れた。
自分は、そこまで嫌がられるような容姿はしていないという自覚はある。むしろ美貌を持っているという自負さえあった。取引先が女である時は交渉が有利に進む、ということは自分の会社の社員だけが知っていればそれでいい。実を言えば今回の取引相手だって女性である。
ゆえ、私は今回も身だしなみには十全すぎるほどに気を配って来たはずだ。
もしや背後に何かいるのか……?
振り向く。
もしここで何かがいれば――。
そう思うとゾッとする気持ちだ。
しかし幸いなことに誰もいなかった。何もいなかった。しかし、目が合った。
背後からも突き刺さる視線が痛い。
私は足早にその場を後にした。