『「婚約破棄? 結構です、三年待った甲斐がありました!」――冤罪で殺された悪役令嬢、過去に戻って断罪の場で全員まとめて地獄へ叩き落とさせて頂きます……ところで騎士様、抱きしめる力が強すぎませんか?』
「エリス・フォン・シュトレリッツ! お前との婚約を、本日をもって破棄する!」
絢爛豪華な王宮の大広間。
天井のシャンデリアが眩い光を放ち、集まった貴族たちの欲に満ちた瞳を照らし出している。
正面の壇上に立つのは、我が国の王太子フレデリク。
己こそが正義の体現者であると言わんばかりの、自惚れきったドヤ顔だ。
その隣には、可憐な白いドレスを纏った聖女リゼロッテが、目元を伏せて可哀想なヒロインぶって小さく肩を震わせている。
「さらに、聖女リゼロッテへの度重なる嫌がらせと害意の罪により、シュトレリッツ侯爵家の爵位を剥奪し――お前を国外追放に処する!膝を折り、己の罪を悔いて泣き叫ぶがいい!」
フレデリクの高加圧な声が広間に響き渡ると、周囲の貴族たちから「当然だ」「卑劣な悪役令嬢め」と蔑みの嘲笑が巻き起こった。
過去の私は、ここで惨めに泣き叫んでいた。
身に覚えのない冤罪を必死に否定し、信じてくれと父や婚約者に縋り付いた。
だが返ってきたのは冷酷な蔑視と、首切り台の冷たい刃だった。
あの日、首切り台の刃が落ちる直前。
民衆の怒号の向こうから、馬を走らせて駆けつけてきた幼馴染のラインハルトの顔が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
『エリス――っ! 頼む、待ってくれ!エリス!!』
間に合わなかった。騎士団の制服を泥と血で濡らし、喉を潰さんばかりに私の名を叫んでいた彼だけが、命を捨てて私を救おうとしてくれた。
…でも、間に合わなかった。首切り台の刃は大きな音を立てて私の首に落ちていった。
――そして目覚めたら、三年前の朝に戻っていたのだ。
私は即座にこの状況を理解し、次の行動を考えた。
「逃げる」という選択肢は、一秒足りとも頭に浮かばなかった。
今すぐ海外へ逃げ出したところで、狡猾なリゼロッテはまた別の手で私を追い詰め、悲悲のヒロインを気取るだろう。
何より、それでは私の気が済まない。
あの『断罪の場』こそが、すべてのゴミ屑どもが勢揃いする最高の舞台。
全員が公の面前で「エリスは悪だ」と発言を完全に確定させ、二度と撤回できない言葉を吐き出したその瞬間に、丸ごと盤面をひっくり返して絶望へ叩き落とす。
それこそが、私にとって一番綺麗で、一番気持ちのいい復讐だった。
だから私は、千九十五日間――三年間という長い歳月を、じっと耐えて待った。
昼間の私は、あえて一周目と全く同じ「高慢で冷酷な悪役令嬢」を演じ続けた。
リゼロッテが裏で手を回し、私のお気に入りのドレスを破かせても。
フレデリクが皆の前で私を「心の冷たい女だ」と罵り、恥をかかせても。
貴族たちが私を「哀れな落ちこぼれ令嬢」と陰口を叩いても。
私は優雅に微笑み、悔しさを奥歯で噛み殺しながら、完璧に「嫌われ者の悪役令嬢」を演じ切った。
受けた屈辱の分だけ、あいつらをどん底に叩き落とす時の快感が跳ね上がるのだから。
そして夜…裏の顔に戻る私には、心強い協力者がいた。
近衛騎士となった幼馴染のラインハルトだ。
三年前、巻き戻った直後の夜に彼の部屋のバルコニーへ忍び込み、荒唐無稽な頼みを持ちかけた時のことを覚えている。
「将来私は冤罪で処刑される。だから復讐の準備を手伝ってほしい」
普通なら狂人の戯れ言と一蹴される話だ。
だがラインハルトは、なぜか一切の疑いも見せず、私の手を強く握り締めて頷いてくれたのだ。
『分かった。お前の言うことなら何でも信じる。俺の命も騎士としての誇りもすべてお前に預ける。だから……俺から離れないと、誓ってくれ』
その時の彼の金色の瞳に宿っていたのは、ただの幼馴染を超えた、狂おしいほどの暗い熱量だった。
それからの三年間、ラインハルトの協力は恐ろしいほどに完璧で、従順だった。
命がけで神殿に忍び込み、王太子の書斎から書類を盗み出し、私を傷つけようとする追手を影で処理する。
昼間、私が学院でリゼロッテたちに嫌がらせを受けるたび、陰で見守る彼の殺気が膨れ上がっていたり、夜の密会では私を壊れ物のように強く抱きしめて離さなかった。
「今日、あの男がお前に言った暴言……許せない。あいつの舌を抜いてやりたかった」
「まあ、我慢してちょうだいラインハルト。あと少し待つだけで、あの男のドヤ顔が絶望に歪むのよ? 楽しみでしょう?」
「……ああ。お前が望むならどんな地獄へでも付き合う。だが俺の前だけで笑ってくれ、エリス」
そう言って、彼は私の指先に執着に満ちた熱いキスを落としたものだ。
(お人好しの幼馴染にしては、少し愛が重すぎる気もするけれど……私を信じて尽くしてくれるのだから、まあいいわ)
私は彼の深い愛を、復讐の最高の後押しとして受け取っていた。
そしてついに、約束の断罪の日がやってきたのだ。
「エリス・フォン・シュトレリッツ! 黙っていないで反論してみろ! 己の罪深さに、声も出ないか!」
フレデリクが勝ち誇った顔で私を指さす。
その横で、リゼロッテがこれ見よがしに涙を零しながら、愛らしい声で言った。
「エリス様……どうか素直にお認めください。私が神殿の資金で貧しい人々を救おうとするのを邪魔し、私を妬んで害そうとしたことを……。私、エリス様のことをお許ししたいのに……っ」
「おお、なんと慈悲深い聖女様だ! それに引き換えあの悪女は……!」
「侯爵家もあんな泥棒令嬢、勘当して当然だ!」
広間に集まった貴族たちが、ここぞとばかりに私を口々に罵倒する。
私の実父すらも、「我が家の恥晒しめ!」と保身のために私を罵倒し、冷たく睨みつけていた。
私は——ゆっくりと扇を開き、口元を隠した。
探していた駒がすべて揃った歓喜に、瞳の奥をドSな光で輝かせ、くすくすと鈴を転がすような声で笑った。
「……ふふっ、あははははっ!」
静まり返る大広間。
突然の高笑いに、フレデリクが眉をひそめて怒鳴る。
「な、何がおかしいエリス!追い詰められて狂ったか?」
「いいえ、殿下? あまりにも皆様のお芝居が見事でしたので、感心していたのですわ」
私は扇をパチンと閉じ、一歩前へ出た。
優雅に、けれど圧倒的な覇気で大広間の全員を配下のように見下ろす。
「皆様、言いたい放題は終わらえましたかしら? 全員のご発言、しっかりと記録させていただきましたから……では、千九十五日間待ち続けた、三年分の『答え合わせ』を始めましょうか」
「な……答え合わせだと……!?何の話だ?」
私はドレスの袖から、ラインハルトが命がけで集めてくれた三冊の厚い書類束を取り出した。
「まず一つ目。聖女リゼロッテ様が『貧しい人々を救っていた』とされる神殿の帳簿、および聖水の成分分析書ですわ」
私は一番上の書類を高く掲げ、朗々とした声で言い放った。
「リゼロッテ様。貴女が『清貧な聖女』として振る舞う裏で、年間三億ゴールドに及ぶ神殿資金を私腹のために横領していた帳簿でございます。さらに、貴女の『治癒の奇跡』とやらは、市販の超高価な魔導薬を聖水に混ぜていただけのイカサマ…。もちろんその証拠の、正規の成分分析書も添えておきましたわ」
「な……っ!? な、何を言っているの……!?嘘よ、そんなのデタラメよ!!」
リゼロッテの顔から血の気が一瞬で引いた。
可憐な涙はどこへやら、目を見開いて叫び出す。
だが、私は攻撃の手を緩めない。間髪入れずに二つ目の証拠を叩きつける。
「続いて二つ目、フレデリク殿下への脅迫文の写しです」
「な、私への……!?」
がくがくと膝を震わせる王太子を見据え、私は最高に意地悪な笑みを向けた。
「殿下がリゼロッテ様を異常なまでに寵愛なさっていたのは、純愛などではありませんわよね?学生時代に王立図書館から持ち出された『禁制魔導書の持ち出し記録』を彼女に握られ、脅されていたから。……殿下、貴方もまた、彼女の哀れな犬に過ぎなかったのですね」
「ひっ……な、なぜそれを……!?リゼロッテお前……私をハメたのか!」
フレデリクの顔が土色に変わり、隣のリゼロッテを激しく睨みつけた。
「ち、違いますフレデリク様!この女が嘘を言っているのです!貴方が『贅沢がしたいから金を工面しろ』とおっしゃったから、私は手助けをしただけで……はっ!」
「黙れ無能な娼婦め…!私を巻き込むな!!」
壇上で繰り広げられる、王太子と聖女の醜悪極まりない罪の擦り付け合い。
一秒前まで「真実の愛」を囁き合っていた二人が、互いの髪を引っ張り合わんばかりに醜く罵り合っている。
「あらあら。真実の愛で結ばれたお二人の絆は、随分と脆いものですこと」
私は扇で口元を隠し、クスクスと愉悦に満ちた嘲笑を浴びせた。
さらに、ガタガタと震え貴族たちへ視線の銃口を向ける。
「そして三つ目。もしかして自分たちは無関係だと思っていらして…?私を罵倒してくださった貴族の皆様が、リゼロッテ様の横領金から甘い汁を吸っていた裏取引の記録ですわ。……皆様、自らの口で私を弾劾してくださり、本当にありがとうございました。そのお陰で全員まとめて国家叛逆罪に問えますわ」
「ひぃぃぃっ! お、お許しくださいエリス様! 私は聖女に騙されていただけで!!」
「侯爵様、助けてくれ! 娘さんを止めてくれ!!」
手のひらを返して命乞いをする貴族たち。
私の実父すらも、汚い笑みを浮かべて擦り寄ってこようとする。
「エリス!我が娘よ、よくぞ悪を暴いた!」
「お見苦しいですわ、お父様。貴方も同罪ですけれど?」
私が冷ややかに切り捨てた瞬間、父の顔が絶望で歪んだ。
大広間は、怒号と悲鳴、泣き叫ぶ声で地獄絵図と化していた。
「嫌ぁぁぁっ! 私は聖女よ! 許しなさいよぉぉっ!」
リゼロッテは床に這いつくばり、惨めに狂い叫んでいる。
「なお、すべての証拠の写しは、すでに王室監査院と近衛騎士団へ提出済みですわ。……ごきげんよう、愚かな皆様」
最高の展開に胸を躍らせながら、私は優雅にスカートの裾を翻した。
大広間の重々しい扉を開けると、そこには漆黒の騎士甲冑を身に纏ったラインハルトが立っていた。
彼の背後には、フル装備の近衛騎士たちがズラリと控えている。
「全隊、突入せよ。国家叛逆および横領の容疑で、大広間内の該当者を全員拘束しろ。抗う者は斬捨てを許可する」
ラインハルトの冷酷な命令により、騎士たちが悲鳴の渦巻く広間へとなだれ込んでいく。
「ふふ、完璧な幕引きだったでしょう? ありがとうラインハルト。私の無茶な頼みによく三年間も付き合ってくれたわね」
私が自慢げに微笑むと、ラインハルトは静かに歩み寄り、私の手首をキュッと強く掴んだ。
その金色の瞳に宿る熱量は、普段の彼のものとはどこか違っていた。
「無茶な頼み、か。……エリス、お前は本当に気づいていなかったんだな」
「え? 何のこと……?」
首を傾げる私に、ラインハルトは苦笑混じりの低い声で囁いた。
「三年前のあの夜、お前が『私は将来冤罪で殺される』と言った時…俺がなぜ、一言の疑いも持たずに頷いたと思う?」
「それは……私のことが好きで、信じてくれるお人好しの幼馴染だから……」
「違うよ」
ラインハルトの顔が近づく。
耳元で囁かれた彼の言葉に、私の息が止まった。
「あの日、首切り台の上でお前が最期に残した言葉を……俺が忘れるわけないだろう?」
「っ……!?」
頭の中が真っ白になった。
あの日。一周目の首切り台で、刃が落ちる直前。
駆けつけてくれた彼に向かって、私が小さな声で囁いた最期の言葉。
——『ラインハルト、来世でまた会いましょう』
「お前が戻ってきたんじゃない。……俺が、お前を追いかけて過去へ戻ってきたんだ」
彼が静かに告げた真実に、全身に鳥肌が立った。
「俺はあの日…断罪が終わった後、狂乱の末に禁術の黒魔術を使ったんだ、自らの命と魔力を引き換えにね。それで時間を三年前へと巻き戻していたんだ」
「禁断の黒魔術……!?」
「そうさ、それしか方法がなかったんだ。もちろんその選択が正しかったのか、か、悩む日もあったさ。もちろん、君に俺から協力を申し出ようかも考えた。でも三年前のあの日…君が俺に頼み込んできた日…それで思ったよ。俺の愛しい悪役令嬢は、自らの手で復讐を完成させたいんだな……って。まあ君にも記憶が残っていたのは、そもそも予想外だったんだ」
だから彼は一周目の記憶を隠し、エリスの「協力者」として、彼女の描く完璧な復讐劇の舞台裏を陰からすべて手配し、支え続けていたのだ。
「じゃあ……私のためだけに、命まで削って時間を巻き戻した上に、そのことを黙ってたの!?」
「気づくのが遅いよ、エリス。……この三年間、俺がどれだけ自分の手で今すぐあいつらの喉笛を掻き切りたいのを耐えて、君の復讐ごっこに合わせてあげていたか……わかるか?」
「ごっこって…!?私、本気で……!」
動揺して赤くなる私を、ラインハルトは大勢の騎士たちの前であるにもかかわらず、力強く抱き寄せた。
二度と逃がさないと言わんばかりの、頑丈な鎖のような腕。
「もう二度と、お前を俺の手から離さない。……これからは俺の復讐の時間だ、エリス」
「……私の復讐は終わったのに、貴方の復讐って何よ?」
胸の中で見上げると、彼は私しか見えないような甘く凶悪な笑みを浮かべた。
「お前が三年間、俺を散々焦らした分の『お返し』だよ。……一生かけて俺に溺愛される覚悟をしておくことだな」
耳元で囁かれた重すぎる愛の誓いに、私は胸を熱く焦がしながら、扇で彼の胸を軽く小突いた。
「……ま、まあ、勝手にするといいわ。私の復讐は本当に終わったんだもの、好きにさせてあげる。私を退屈させないでね、私のことがだぁいすきな、騎士様?」
私はそう返して、彼の胸に顔を埋めた。
ラインハルトは嬉しそうにして私をもっと強く抱きしめ返した。
最高の復讐劇は終わり、最高に愛の重い騎士との、甘い新しい人生が始まるのだった。
【終】




