表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『口だけ勇者』〜「コミュ力」全振りで転生したら出会いに商売大成功。でも、勘違いで勇者パーティーの天才軍師に祭り上げられました~  作者: はなたろう
「口だけ勇者」誕生

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/18

第7話 本当の第一歩

 部屋での契約を済ませたあと、俺たちは宿の一階にある食堂へと降りた。


 夕食時の食堂は、仕事終わりの荒くれ者や、俺と同じような旅人たちの喧騒で溢れかえっていた。

 あちこちでジョッキがぶつかり合う音。脂の乗った肉が焼ける香ばしい匂い。それらが混じり合って、むせ返るような熱気を生み出している。


 森での、あの静まり返った絶望。

 いつ自分の喉笛が食い破られるか分からない、冷たく、泥に沈んだ孤独な夜。

 それとは真逆の「文明」の熱気がどっと押し寄せてきて、俺は足を止めたまま、しばらく身体が動かなかった。


「どうしたの、ぼーっとして。お腹空きすぎて意識でも飛んだ?」


 リーシャが、あきれたように俺の顔を覗き込んできた。


「い、いや。あまりに騒がしくて、少しびっくりしただけだ」


「何言ってんの。ルインはこれでも大陸南部の物流の要所なんだよ。静かなのは墓場か、あの森くらいなもんさ。ほら、座って」


 うながされるまま、隅っこの小さな卓に腰を下ろす。

 木製の椅子はガタついていて、テーブルには拭き残しの油の跡があったが、それでも俺には、最高級の家具よりも価値があるように思えた。


 リーシャが手慣れた様子で給仕の少女を呼び、一番安くて栄養のある「いつものセット」を二人分頼む。

 待つこと数分。運ばれてきたのは、大振りの木皿に盛られた茶色のスープと、ゴツゴツとした硬そうな黒パンだった。


 スープからは、立ち上る湯気と共に、クミンに似た香辛料の香りと、クタクタに煮込まれた根菜の甘い匂いが漂ってくる。


「食べていいのか?」


「許可なんていらないよ。冷めないうちに食べな。あんた、死に際だったんだからさ」


 俺は震える手でスプーンを握り、木皿のスープを一口、口に運んだ。


「――っ」


 熱い。

 舌を火傷しそうなほどの熱気が、喉を通り、空っぽの胃袋へと雪崩れ込んでいく。

 塩気が強く、何の肉か分からない脂が浮いているけれど、それがどうしようもなく美味かった。

 味覚が、身体中の細胞が、歓喜の声を上げているのが分かった。


「ふ、う……」


 目頭が熱くなった。

 ただのスープだ。ただのパンだ。

 前世のコンビニ弁当の方が、味のクオリティだけで言えば上だったかもしれない。

 けれど、誰かと向かい合って、温かいものを食べている。

 その事実だけで、俺は今、生きていることを全身で実感していた。


「泣くほど美味しかった?」


 リーシャが、フォークを止めて俺をじっと見ていた。


「ああ。本当に、生きててよかったと思ったよ」


「大げさな奴だね、まったく」


 リーシャはそう吐き捨てたが、その瞳の奥には、先ほどまでの「冷徹な商人」の顔とは違う、年相応の女のような戸惑いが浮かんでいた。

 ふと、リーシャの指先が視界に入った。

 彼女はパンを千切りながら、時折、無意識に自分の左手の薬指の付け根あたりを、親指で強く擦る癖がある。先ほど、部屋で俺と握手した時も、彼女の手はかすかに震えていた。


 俺はずっと、この食堂の喧騒を「環境音」として流していたわけではなかった。

 席に着いた瞬間から、周囲の会話の断片を意識的に拾い上げていた。隣の卓の荷運び人が愚痴をこぼしていた。「ラド商会の荷受けがまた値を下げやがった」「あそこに逆らった奴は、次の季節には干されてる」。

 市場の支配者の名前を把握するのに、そう時間はかからなかった。


「リーシャ。さっき部屋で俺が『この町の大きな商会』と口にした時、君の体がほんの少し固まった。ラド商会のことか?」


 俺の言葉に、彼女の肩がピクリと跳ねた。


 彼女は黙り込み、持っていたパンを皿に置いた。

 食堂の喧騒が、急に遠ざかったような気がした。


「正解だよ。私は三年前まで、あそこにいた。見習いから入って、誰よりも働いた。市場の動向を読み、仕入れの価格を抑え、商会に莫大な利益を出した。自分でも、あそこの看板を背負っていけると思ってた」


 リーシャの声は、低く、押し殺したような響きを帯びていた。


「でも、上が求めていたのは『有能な商人』じゃなかった。適当に手柄を譲り、ニコニコと男を立てる『飾り』だった。私が抗議するたび、上司は私を嘲笑ったよ。『女が生意気だ』。しまいには、私が帳簿をちょろまかしたと濡れ衣を着せて、放り出した」


 彼女の指が、テーブルを強く握りしめた。


「親父だって、味方してくれなかった。商売敵になるのを恐れて、『謝って戻れ』って。組織っていうのは、そういうものなんだよ。証拠も正論も、数と権力の前じゃただ握りつぶされる。だから私は、たった一人で奴らを見返してやりたい。組織の庇護なんて受けずに、奴らを追い越してみせたい」


 リーシャは顔を上げ、挑発するように俺を睨んだ。

 その瞳には、燃えるような復讐心と――そして、決して埋めることのできない「拒絶された痛み」が同居していた。


「あんたはさ。どうして、私を『視て』るの? さっきの提案だって、ただ助かりたいだけなら、もっと卑屈に頼み込めばいいのに。まるで、私の弱さ。私の、一番触れられたくない部分を知ってるみたいに……」


 俺は、彼女の目を逸らさずに答えた。


「俺も、孤独だったからだ」


「あんたも?」


「ああ。昔の俺は、誰ともまともに話せない人間だった。どんなに正しい企画書を作っても、それを伝える言葉がなくて誰にも評価されなかった」


 視線を落とし、あの冷たかったワンルームの記憶をたぐる。


「だからわかるんだ。どれだけ正しくても、どれだけ頑張っても、誰にも見てもらえない時間がいかに消耗するか。そして、自分の存在を誰かにちゃんと認めてもらえることが、どれだけ救いになるか」


 俺の本音だった。

 前世で、イルさんにすら言えなかった想い。

 自分を肯定できない、不器用な人間が抱える、震えるような渇望。


「君がラド商会に求めていたのは、金や地位じゃないはずだ。自分の実力を、自分の存在を、正当に認めてもらいたかっただけなんじゃないか?」


 リーシャの息が、一瞬だけ止まった。

 彼女の強気な仮面が、初めて、音を立てて崩れるのが分かった。


「あんた、本当に。嫌な奴だね」


 リーシャは弱々しく笑い、再びスプーンを手に取った。

 でも、その動作からは先ほどのような「焦り」が消えていた。


「今日拾ったのが、行き倒れを装った山賊じゃなくて、本当に『口だけ』が武器のペテン師で助かったよ」


「まだペテンだと決まったわけじゃないぞ」


「わかってる。明日、私の露店に来なよ。あんたの力、本当に見せてもらうからね。パートナーなんだからさ」


 パートナー。その一言だけで、今の俺には十分だった。


 宿の食堂の喧騒は、まだ続いている。

 けれど、俺たちの座る小さな卓の上には、たしかに、言葉による「温度」が通い始めていた。


 俺は冷めかけたスープを飲み干した。

 前世で何も言えなかった俺が、初めて誰かの痛みに触れ、それを言葉に変えた夜。

 これが、異世界での本当の「第一歩」だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ