第6話 品物にだけは、ケチをつけるな
次に目を覚ました時、窓の外はもう夜だった。
見知らぬ石造りの天井。古びた石とほこりの匂い。背中には安物だが清潔なシーツが敷かれたベッドの感触。
窓の外からは今も、ルインの町の喧騒が低くこだまして聞こえてくる。賑やかで、騒がしくて、どこか温かい音だった。
「……あ、気がついた?」
扉の傍に、リーシャが立っていた。
腕を組み、壁にもたれかかった姿勢で、こちらを見下ろしている。
「あんた、あの後すぐに寝落ちしたんだから。宿の若い衆にチップを払って、二人掛かりでここまで担ぎ込んでもらうのがどれだけ大変だったか分かってんの?」
呆れたような声色だったが、その表情は読みにくい。
先ほど関門で見せたむき出しの緊張とは違う――「この怪しい男を利用すべきか、それとも警戒すべきか」を、静かに計りかねているような色がその瞳に宿っていた。
俺はゆっくりと身体を起こし、ベッドに腰掛けた。
ハッタリで使い果たしたMP(精神力)は、いくらか回復している。頭の奥にあった鈍い痛みも引いていた。
「……すまない、助かった。恩に着るよ」
「別に。恩を売るために拾ったわけじゃないし。……それより、あんた何者なの? 関門でのあの態度、どう見てもただの行き倒れじゃないでしょ」
リーシャが探るような目を向けてくる。
ここからが、本当の戦いだ。言葉で世界を変えるための、最初の契約の儀式が始まる。
「リーシャ。……あらためて、提案があるんだ」
「提案?」
「君の商売の『手伝い』として、俺を使ってくれないか。まずは明日一日だけでいい」
俺の言葉に、リーシャは鼻で笑った。
「手伝いって。あんた、商売の経験があるの? 見たところ、貴族でも手慣れた商人でもなさそうだけど」
関門でのハッタリを根に持っているのか、彼女は皮肉げに口角を上げた。
「経験……というか、知識ならある。君が拾ったのは、ただの浮浪者じゃない。君の荷台にある商品の価値を、倍に跳ね上げられる男だ」
「……何それ。またあぁいうハッタリで客を騙す気?」
リーシャが目を細め、警戒心を露わにする。
俺は視線を逸らさず、静かに言葉を紡いだ。
「君は、今の商品の売り方に限界を感じている。いや……『自分一人でなんとかしようとする意地』そのものに行き詰まっている。……違うか?」
俺が問いかけた瞬間、彼女の頭上に半透明のアイコンが明滅して浮かび上がった。
【ステータス:動揺】
【デバフ:意地】
「……なんで、あんたがそんなこと……」
「馬車で漂っていた香料の匂いと、乾物の丁寧な扱いを見ればわかる。君の荷台にある商品はどれも一級品だ。誰も持っていないほど一流の仕入れの眼を、君は持っている」
リーシャの肩が、びくっと跳ねた。
「……だが、それゆえに誰かに手柄を奪われ、傷ついて、今は誰の庇護も受けずに一人で意地を張っている。その焦りのせいで足元を見られ、常に安く買い叩かれているんじゃないか?」
図星を突かれたリーシャは、唇を強く噛みしめ、反論の言葉を見つけられないでいた。
(……当たった)
俺は内心でひとつだけ深く息をついた。これが「口だけ」という武器の本当の切れ味だ。
彼女のプライドを傷つけたいわけじゃない。
現状の「詰み」を自覚させ、俺という解決策を提示するための手順だ。
「俺に一日だけチャンスをくれ。君の明日の売り上げを、俺の知恵で倍にしてみせる。もし失敗したら、君に救われたままただ消えてやるよ。でも成功したら――俺を君の強固なパートナーとして、この町で生かしてほしい」
部屋の中に、重い沈黙が落ちた。
リーシャは俯いたまま、自分の手を見つめている。
三年間、たった一人で戦ってきた彼女にとって、「他人に頼る」という選択は、自分の敗北を認めるに等しいのだろう。
彼女の頭上のアイコンが、激しく点滅している。
だが、冷酷な現実も彼女の頭の隅で回り続けているはずだ。
今週中に在庫がはけなければ、宿代も馬の餌代も払えないという事実が。
「……一つだけ、条件がある」
やがて、リーシャはようやく顔を上げ、まるで宣戦布告のように俺を見た。
「何だ?」
「私の『品物』には、絶対にケチをつけないこと。安売りも、誤魔化しもしない。その価値を正当に分かってくれる客にだけ売る。……それが守れるなら、一日だけ試させてあげる」
商人の意地. 職人の誇り.
彼女のその真っ直ぐな瞳を見て、俺は思わず微笑んでしまった。
「……ああ、もちろんだ。約束するよ」
「それと、もしペテンだったら、あの門番にあんたの首を差し出すから。覚悟はいい?」
「十分すぎるほどにな」
リーシャは自嘲気味に笑い、俺に向かって手を差し出した。
差し出された、少しゴツゴツとした、働く商人の女性の手。かすかに震えるその指先を、俺はしっかりと握り返した。
「よろしく頼む、相棒」
「……まだ相棒って決まったわけじゃないからね。口だけ男」
憎まれ口を叩きながらも、握り返す彼女の手に確かな力がこもっているのを、俺は感じていた。
こうして、理不尽な異世界での俺の真の初陣――「商売という名の戦場」への扉が開かれた。




