第13話:パートナー契約
宿屋の一階、使い古された木製のテーブルに、銀貨と金貨が入り混じった革袋が置かれた。
ドスン、という重い音。それは、俺たちが今日一日で「言葉」によって生み出した、不条理な世界に対する戦果だった。
「信じられない。宿代も、馬の餌代も。全部払って、こんなに残るなんて」
リーシャが、まるで壊れ物を扱うような手つきで革袋の口を縛り直す。
俺たちの前のテーブルには、安酒の入った木杯と、少しだけ贅沢をした肉料理が並んでいた。市場での激闘を終えた後の、遅い夕食だ。
「言っただろ、リーシャ。君の品物は本物だ。俺はその価値を、適切な相手に翻訳したに過ぎない」
俺は温かいスープを胃に流し込みながら、少し掠れた声で答えた。
喉が、まだ熱を持っていた。一日中、他人の心を覗き込み、一言一句に神経を尖らせて言葉を紡ぎ続けた代償だ。脳の芯を、針で刺されるような鈍い痛みが今も残っている。
視界の端に浮かぶ、リーシャのステータスアイコン。
薄暗い食堂の灯りの中で、彼女の頭上に浮かぶアイコンは、昼間とは全く違う色彩を帯びていた。
(困ったな)
俺は木杯を口に運び、中身の冷めかけたエールで熱を冷まそうとした。
他人の感情がアイコンとして見えるこのスキルは、残酷なまでに真実を突きつけてくる。彼女が今、俺に対して抱いている感情は、単なる相棒に対する感謝の枠を超え始めていた。
「ねえ、コウ」
リーシャが不意に、真剣な眼差しで俺を見た。
橙色の瞳が、食堂のランプの火を反射して美しく揺れている。
「あんた、この後どうするつもり? 行く当ても、目的もないって言ってたわよね」
「ああ。森で遭難して死にかけていたところを君に拾われたのが、俺のスタートラインだ」
「なら……」
彼女は一度、言葉を迷うように視線を落とし、それから決心したように身を乗り出した。
「これからも、私と一緒にやらない? 二人で……『商会』としてさ」
リーシャの頭上のアイコンが、激しく明滅し、指先がテーブルの上で微かに震えている。
それは、誇り高き一匹狼だった彼女が、三年間守り続けてきた孤独の殻を破り、俺に差し出した「招待状」だった。
(しかし、踏み込めば、きっと壊れる)
一瞬、前世の記憶が脳裏をかすめた。
ただ一人の、名前も知らないネットの向こう側の「相棒」。
画面越しに共有した数千時間の温もり。しかし現実で触れ合おうとした瞬間に消えてしまった、あの圧倒的な喪失感。
深い関係になればなるほど、失った時のダメージは大きくなる。
この世界で唯一俺を助けてくれたリーシャ。彼女を、俺の「脆いハッタリ」に巻き込みたくない。いつか俺が口を滑らせ、化けの皮が剥がれた時、彼女の期待が失望に変わるのを見るのが、何よりも恐ろしかった。
「いいのか? 俺は見ての通り、剣も魔法も使えない、ただの『口だけ』の男だぞ。今日のような幸運が、明日も続く保証はない」
「馬鹿ね。その『口だけ』が、ラド商会の圧力さえひっくり返したんじゃない。私は……あんたのその、あり得ないくらいの『ペテン』を信じるって決めたの」
リーシャが、少しだけ照れくさそうに笑った。
その顔は、ただの「データ」では説明できないほど、真っ直ぐで。
「分かったよ。ただし、契約条件がある」
「条件? また性格の悪いやつ?」
「ああ。……報酬の配分は、しばらくは宿代と食事代だけでいい。その代わり、旅の行き先は俺にも相談してくれ。魔王なんて物騒な噂の正体を、一度確かめておきたいんだ」
今日、市場の片隅に貼られていた王国の徴兵ポスター。そこに描かれていた討伐対象の『魔王軍の旗』を見た時、俺は足が止まった。
双剣が交差する背景に三日月。
それは前世のオンラインゲームで、俺とイルが二人で立ち上げたギルドのマークと、完全に一致していたのだ。
前世の相棒、イルが残したかもしれない痕跡。激しく嫌な予感はするが、それでも。
それが、この世界で俺が唯一持っている「目的」だ。
「魔王って……あんた、魔族領へ? あんなところに行くつもり!? まあいいけど……」
リーシャは少し呆れたように肩をすくめ、それから右手を差し出してきた。
「よろしくね、コウ。……私だけの、とびきり口の減らない『コンサル様』」
「こちらこそ。一攫千金と、平和な旅路を約束しよう。相棒」
差し出された細い手を、俺は握り返した。
温かかった。
アイコンが示す【信頼】の文字を、俺は半分だけ喜び、半分だけ恐れながら、視界からそっと消した。
踏み込まない。
ただの相棒として、最高の『ハッタリ』を演じ続ける。
それが、臆病な俺がこの世界でリーシャを守り抜くために選んだ、唯一の「契約」だった。




