第12話 間違ってなかった
三人の女性連れ。
彼女たちは旅商人らしく、肌は日に焼けているが外套の刺繍は凝っており、財布の口が緩い「土産物」を探しているのだと、俺の視界にポップアップしたアイコンはすでに読んでいた。
「お姉様方、ご旅行でいらっしゃいますか? 遠出のお土産に、これなどいかがでしょう。王都でもこだわりがある人しか手に入れられない、南東部産の希少な奥深い香りの石鹸です。お土産としてご友人に渡せば、間違いなくあなたのセンスを褒められる品になりますよ」
こめかみを内側から金槌で叩かれているような激痛を必死に笑顔の裏に隠しながら、俺は滑らかに言葉を紡ぐ。
三人のうちの一人が目を輝かせ、「見せて」と手を伸ばした。
リーシャが気配を殺して後ろに立ちながら、商品を差し出す。指先に触れた石鹸の質感に、女性が「あら」と驚く声が漏れた。返事は一秒で「全員分ちょうだい」だった。
硬貨がチャリンと鳴る。
三人が笑顔で去っていく。
俺は客から顔を背け、手の甲でツーッと垂れてきた鼻血を密かに拭い去った。
その後も、大商会の呼び込みの声が徐々に疲れを帯びていく中で、俺は手を止めなかった。
すでに身体は限界を振り切っている。他人の心を覗き込み、言葉を紡ぐたびに、「自分」という輪郭が少しずつ薄れていくような感覚があった。痛みというより、消えていく感じだ。
それでも、露店の上の品物が空になるまで、この口を止めるわけにはいかなかった。
無骨な隊商の護衛には「玄人好みの本物の乾物」を。残り物が気になる主婦には「今日限りの希少な在庫」を。的を変え、言葉を変え、一つまた一つと商品が机の上から消えていった。
◇
「ぜぇっ、はぁっ……」
西の空が深紅に染まり、市場に店じまいの喧騒が広がる頃。
ついに張り詰めていた糸が切れ、俺は商品を並べていた空の木箱の上に、崩れ落ちるように座り込んだ。
全身が重い。
脳が焼き切れそうに熱く、指先は震えが止まらない。
前世のブラック企業での徹夜明けすら可愛く思えるほどの疲労感が、容赦なく全身を蝕んでいた。
スキルによって常に全体を見渡し、百発百中のアイコン表示を連続で行うのは、病み上がりの俺の能力を遥かに超えていた。正直、最後の三組は意識が半ばもうろうとした状態でやっていた。
「コウ、大丈夫?! 顔、真っ青だよ」
リーシャが慌てて駆け寄り、水筒を押し付けてきた。
俺は震える手でそれを受け取り、一気に喉に流し込む。冷たい水が胃に落ちて、やっと呼吸が人間のものに戻ってきた。
俺のスキルは無制限ではなかった。他人の感情をアイコン化し、ハッタリの成功率をシミュレートするたびに、一滴ずつ精神力を搾り取られていく。
「悪い。MPが完全にゼロだ。しばらく頭が使い物にならない」
「また意味わかんない言葉。絶対、無理しすぎでしょ! 顔色、本当にやばいよ、今すぐ宿に……」
リーシャは俺の腕を引こうとして、ふと、その動きを止めた。
彼女の視線が、俺の肩越し――すっかり影の落ちた露店の机の上へと吸い寄せられていた。
そこには、何もない。
木箱も、麻袋も、石鹸も。
一週間もの間、誰にも見向きもされず、売れ残りの在庫として彼女の心を削り続けてきた品々が、ただの一欠片も残っていなかった。
「……全部、売れた」
リーシャはゆっくりと机に歩み寄り、革袋――今日の売上が詰まったそれに手を触れた。
宿代、馬の餌代、借金を返してもなお余る重さ。
「チャリン」と。
硬貨同士がぶつかる、確かな重みの音が鳴った。
「あいつら……ラド商会の連中は、いつも私を笑ってた. 女が生意気だ、男の後ろに立ってろって」
リーシャの声が、静かに震え始めた。
「親父でさえ、否定した。お前が仕入れたものなんて、組織の看板なきゃ売れないんだから、頭下げて戻れって……毎日、毎日……」
彼女の美しい顔が、くしゃりと歪んだ。
三年間、一人で意地を張り、自分の眼だけを信じて戦い続けてきた。
それでも現実は非情で、誰にも認められず、少しずつ「本当に私が間違っているのだろうか」という疑念に首を絞められていた彼女が、今日、初めて「違う」と証明されたのだ。
「間違ってなかった……。私の選んだものは、間違って、なかった……」
ぽたり、と。
革袋の上に、大粒の雫が落ちた。
次々と涙が溢れ、彼女は顔を覆って、声を殺して泣き始めた。
「言っただろ。君の品物は本物だって」
俺は荒い息のまま、できるだけ穏やかな声で言った。
慰めも、同情も、余分な言葉は必要ない。
「俺を拾ってくれて、ありがとうリーシャ」
彼女はびくっと肩を揺らし、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「馬鹿。お礼を言うのは私の方でしょ。あんたのペテンみたいな口がなきゃ、一個も売れなかったんだから」
「ははっ、違いない」
口の減らない強がりが、いつになく心地よく響いた。
夕闇が降り始めたルインの市場で、片付けを終えた露店はひっそりと静まり返っていた。
ラド商会の見張りたちは、いつの間にかどこかへ消えていた。
残った俺たちの周りだけに、今日だけの、穏やかで小さな、確かな「勝利の余韻」が漂っていた。




