第10話 客の急所を、言葉で突け
「来てくれ、リーシャ。今日の一手目を見ていろ」
改造した露店の前に立ち、俺は広場を流れる人の波を静かに見渡した。
(さて。どの「駒」から動かしていくか)
俺の目は、群衆をデータとして処理していく。
午前中は主婦や町の職人が中心だ。彼らは相場にうるさく、またラド商会の陰口を恐れてフリーの商人からは買いたがらない。
「今すぐ呼び込みはしない。もう少し待て」
「……待つの? 時間の無駄じゃない?」
「今は動く時じゃない」
リーシャが呆れた顔をしたが、俺は視線を群衆に向けたまま動かなかった。
◇
昼前になると、予測通り市場の客の層が変わった。
町人たちの数が減り、代わりに革鎧や厚手の外套を身に纏った旅人や冒険者が目立ち始める。
俺の視界の端に、広場の中央を横切る三人組の冒険者が映った。
先頭を歩く剣士の男は、一見すると堂々としている。
(右のブーツの泥の乾きが左と違う。少し右足をかばっているな。そして時折、自分の肩口の周りに飛ぶ羽虫をいら立ちながら払っている……)
「リーシャ、俺の斜め後ろで商品の整理をしているように見せてくれ。俺が声をかける」
「分かった。……でも、本当に売れるの?」
「見てろ」
俺は露店の端に立ち、三人組が四メートルほどの距離まで近づいたタイミングを計った。
大声の呼び込みは邪魔になるだけだ。相手が『自分に向けられた言葉だ』と錯覚する、絶妙なトーンで呟く。
「……血付きの浅い傷と、三日洗っていない汗。羽虫が寄るのも無理はないか。これからの季節、魔物の嗅覚を舐めると命取りになるな」
ピタリ、と先頭の剣士の足が止まった。
「……あ? てめえ、今俺たちに向かって言ったか」
剣士が鋭い眼光で俺を睨みつける。
歴戦の威圧感にリーシャが後ろで息を呑むのが分かったが、俺は営業用の穏やかな笑みを崩さなかった。
「おや、聞こえておりましたか。失礼しました、つい独り言を。……長きにわたる迷宮探索、まことにお疲れ様でございます」
「……俺たちが迷宮帰りだって、なんで分かった」
「その凄まじい気迫、ごまかそうとしても隠しきれませんよ。……ただ、少しばかり匂いが強すぎるかと。大きな戦果を挙げられたのでしょうが、手負いの獣や下級の虫系モンスターは、血と脂の匂いに数百メートル先からでも群がってきます。その傷口から感染症でも起こせば、せっかくの稼ぎが治療費に消えてしまいますよ」
男の表情が微かに引きつった。
図星だ。
「……何の用だ。妙なポーションの押し売りなら間に合って……」
「滅相もございません。ただの石鹸です」
俺は最上段に飾ってあった固形石鹸を一つ手に取った。
「はっ。石鹸? 俺たちみたいな泥臭い男に、そんな香水臭いモンを売りつけようってのか。冷やかしなら他を当たれ」
「ええ、街の女達が喜ぶような甘いだけの香りならお勧めいたしません。……ですが、この石鹸には強力な殺菌作用を持つ特有の薬草成分が練り込まれております」
俺は一歩踏み出し、声を低く落とした。
「これは単なる汚れ落としではありません。匂いを絶ち、魔物避けの効能を持つ『実戦用』の清浄石鹸です。……命を懸ける本物のプロフェッショナルにこそ使っていただきたい、最高級の装備でございます」
「……実戦用、だと?」
三人組の表情が同時に変わった。
「……おい、一個貸してみろ。……はっ、確かにツンとした薬草の匂いがしやがる。ただの花の匂いじゃねえな」
先頭の男が石鹸の匂いを嗅ぎ、満足げに鼻を鳴らした。
リーシャが目利きで選んだその石鹸は、品質自体が飛び抜けていい。俺のハッタリを「真実」へと変える絶対的な説得力が、物そのものに宿っているのだ。
「……悪くねえ。おい、これの在庫、全部出せ。今夜は久々に宿の風呂で泥を落とすんだ。仲間全員で使う」
「ありがとうございます。金貨一枚と銀貨五枚になります」
男は一切の値切り交渉をせず、言い値のまま硬貨を机の上に置いた。
「プロのための良い装備をした」とばかりに機嫌よく去っていく背中を見送り、俺は硬貨を掴み取った。
背後でリーシャが動けずにいた。口元を片手で押さえ、三人組が消えた方向をまだ見ている。
「……嘘でしょ」
ようやく絞り出した声は、震えていた。
「これ、私が三日かけても売り上げられなかった額だよ……? あんな、ちょっと言葉のトーンを変えただけで……?」
俺はチャリンと音を立てて硬貨を指で弾き、リーシャの手の中に落とした。
「初売り上げだ」
それだけ言って、俺は次の客を探すように広場へ目を戻した。




