春のもふもふ祭り~もふもふ君がお昼寝をした時に見た、遠い日々のカリもふなパンの夢~【春のチャレンジ2026】
がらがちゃ、がららんがちゃ。
春の温もりに委ねてこっくりこっくりと夢見心地の気分になっていたもふもふ君は、小波の様な音色を聞いてほんの少しだけ目を覚ましました。
どうやら誰かがお店の外でカプセルトイを回している様です。
店主のもふもふ君は久しぶりにその心地よい音を聞いて嬉しくなりました。
ひなびた駄菓子屋のショーケースの中には景品が置かれており、紙くずになったポスター、ドロドロになった何か、そして大当たりの古びたマグカップが、汚れた窓から差し込む木漏れ日の様なお日様の光でライトアップされていました。
「ちー」
友達のネズミ君は壊れたショーケースの中でボロボロのブランケットに包まり、すやすやと眠っていました。
この街も昔はアニメの舞台になった影響で多くの観光客で賑わいましたが、今ではすっかり寂しくなりました。
駄菓子屋にはあまり商品がありませんでしたが、手軽に食べられる乾パンの缶詰や固いチョコレート、ブロックの様なクッキーにとても甘い羊羹といった商品が並んでいます。
お世辞にも美味しそうとは言えず、あまりもふもふした品揃えではありませんが、不景気でお客さんも滅多にこないので仕方がありません。
それでもお菓子を求めるお客さんが年に一回くらいは来て、商品を買ってくれたお客さんは皆とても喜んでありがとう、と言ってくれるので、もふもふ君はお客さんが来るのが楽しみでした。
『働くっていう言葉はね、傍を楽にするって意味なんだよ』
その言葉はもふもふ君がまだもふもふしていなかった頃、誰かから教えてもらった言葉でした。
『一見役に立たない仕事だとしても、どんな仕事でももふもふしながら頑張れば誰かを幸せに出来るんだ。そうして皆が誰かのために働けば皆が幸せになれる。それが働くっていう事なんだ』
純粋だったもふもふ君はその言葉を信じ、一生懸命働くもふもふ君になりました。
けれどもふもふ君は、働いているうちにだんだん昔の事を忘れる様になりました。
「すぴー」
天国の様な優しい暖かな光に包まれたもふもふ君は再び目を閉じ、夢の世界に旅立って遠い日々を思い出します。
それはもふもふしていて、ちょっぴりカリもふで、けれどとても幸せな夢でした。
……………。
いつかの世界で、葉瀬帆という場所にあるとあるスーパーマーケットで、パン売り場を担当する働き者のもふもふ君は今日も一生懸命働いていました。
「おなかペコペコかえりみちー」
大きなハムスターかモルモットの様な見た目のもふもふ君は、鼻歌を歌いながら上機嫌で商品を棚に並べます。
「カリカリでーもーふもふー」
もふもふ君は忘れずに自分が考えた自慢のカリもふパンも棚に並べ、準備は着々と進みました。
「おわったよー」
「いつもより商品がたくさんあるのに早いね。今朝はいろいろバタバタしていたのに流石は敏腕パートタイマーだ。お陰で開店ギリギリで間に合ったよ」
「ありがとー」
お店の人も嬉しそうにパンがぎっしりと詰まった棚を眺めました。
棚には季節に合わせた新商品がたくさん並べられ、色鮮やかなパンが並ぶ売り場はお花畑の様でした。
子供が熱を出したせいでパートの人が急に来られなくなった事もあり、そのせいでいつもより少し大変でしたが、無事に予定通り仕事を終わらせる事が出来たもふもふ君は満足げな顔をします。
個性的な見た目のもふもふ君を初めて見た人はとても驚きますが、心優しく真面目に働いてくれるのでどこの職場でもすぐに受け入れられました。
「でもほんとうにいいの? おきゅうりょうもらって」
「いやいや、働いてくれるならそりゃ払うよ。うちはタイムカードを押してから残業しなくてもいい職場だからね。あとお歳暮とか恵方巻も自腹で買わなくていいからね」
けれどもふもふ君は真面目過ぎるので周りの人は時々困ってしまいます。
贅沢な悩みではありましたが、それがお店の人の唯一の困り事でした。
「あのね、もふもふ君。一生懸命なのは良い事だけどさ、一生懸命すぎるっていうか、あんまり一生懸命働くと偉い人から怒られちゃうからね、うん……」
「ごめんねー、きをつけるねー」
もふもふ君とお店の人は昔の事を思い出して懐かしい気持ちになりました。
もふもふ君はいろいろな場所で働いてきましたが、ここはとても働きやすい職場でした。
「ぼくはよくしらないけど、アニメとコラボするんだよね。でもこすうせいげんをしてもこんなにたくさんうれるくらいにんきなんだ」
「買う人はほとんど応募券を目当てに買うんだろうけどね。これでも少ないくらいだよ。絶対に売り切れるだろうから本当はもっと用意したかったんだけど」
一番多く売り場に並べられたのはアニメとコラボをした菓子パンでした。
もふもふ君はそのアニメを見ていないので詳しくは知りませんでしたが、菓子パンの袋に付いたシールを集めると懸賞に応募が出来、グッズが貰えるそうです。
そのアニメは大人から子供まで大人気で、葉瀬帆はその作品の舞台になったという事もあり特に盛り上がっていました。
キャンペーンは春の間ずっと続くので、しばらくは忙しい日々が続きそうです。
もふもふ君は敏腕パートタイマーとしてやる気に満ち溢れていました。
「さて、もふもふ君のお陰で戦いの準備が出来そうだ」
「たたかい? なんの?」
けれどお店の人はちょっぴり物騒な事を言ったので、もふもふ君は首を傾げます。
「たしかにセールのときはいそがしいけど、パンはキャンペーンきかんちゅうはずっとかえるんだよね。そこまでじゃないとおもうけど」
「すぐにわかるよ。ほら、早く逃げて!」
「んー? どういうことー?」
おしゃべりをしていると開店時間になりました。
するとドタドタという足音が聞こえたので、もふもふ君はやっぱりよくわからないままに音が聞こえてきた入口を見ました。
「ヒャッハー! もふもふしたパンだぜー! ひとりさんこまでだからルールはまもれよー!」
「ちー!」
「ちー!」
「ちー!」
するとなんという事でしょう。入口からはやんちゃな見た目のもふもふとネズミの大群が現れました。
やんちゃなもふもふ達はカゴにポイポイとパンを放り込み、そのままレジに突撃していきます。
「わー?」
逃げ遅れたもふもふ君は何も出来ずに揉みくちゃにされ、嵐の様にやって来た彼等が過ぎ去った後にはほとんどアニメとコラボをした菓子パンは残っていませんでした。
「こういう事だよ。わかったかい? しばらくはこれが続くからね」
「わかったー。いたたー」
ボロボロになったもふもふ君は目を回してしまいました。
確かにこれは戦いです。けれどもふもふ君はかえって頑張ろうとやる気に満ち溢れました。
「でもみんなパンがすきなんだねー。おいしそうだからしかたがないねー」
「うーん、多分違うと思うよ」
「うん?」
もふもふ君はやんちゃなもふもふ達がとてもパンが好きなんだな、と考えましたがお店の人は困った様な顔をしてしまいました。
けれどパンを食べる以外の目的で買う人なんているのかなあ、ともふもふ君はやっぱりしっくりきませんでした。
するとしばらくしてスズメのような服を着た小さな女の子がやって来て、適当にパンを三つ買い物カゴに入れました。
どうやらこの女の子もアニメとコラボをした菓子パンを買いに来た様です。
「きみもパンがすきなんだねー。どうしてこんなにかっていくの?」
皆がどうしてパンを欲しがるのか、もふもふ君は理由が知りたくなり小さな女の子に尋ねます。
けれど疲れた様子の女の子はもふもふ君をチラッと見て、
「別に」
と小さく呟いて、女の子もやっぱりすぐにレジに並んでしまいました。
「うーん?」
結局やんちゃなもふもふ達がパンをここまで欲しがる理由はわからずじまいでしたが、もふもふ君はいつも通りお仕事に取り掛かりました。
お仕事が終わり、なんやかんやで他の人の分まで残業をして、いつもよりたくさん働いてクタクタになったもふもふ君はおうちへと帰りました。
辺りはすっかり暗くなってしまい、買い物袋に入ったカリもふパンを見たもふもふ君はちょっぴりガッカリしてしまいました。
「ぼくのパンはあんまりうれなかったなあ。おいしいんだけどなあ」
一生懸命考えたものが売れないのはやっぱり悲しい事です。
もふもふ君は薄暗い道をしょんぼりしながらとぼとぼと歩きました。
昔の葉瀬帆はたくさんの人で賑わっていたそうですが、最近はシャッターが閉まった店も増えて寂しくなってしまいました。
帰り道として使っている商店街は広々としていましたが、夜遅いという時間もあり誰も歩いていませんでした。
「みんなもふもふしたパンはすきじゃないのかなあ」
もふもふ君はどうすればパンが売れるのかを考えましたが、いくら考えても答えは出ませんでした。
もふもふ君は誰もいない商店街を独りぼっちで歩き続けます。
最初は少し心細かったですが、今ではすっかり慣れて何も思わなくなりました。
「?」
脇道から光が漏れていた事に気が付いたもふもふ君はふと立ち止まり、光が当たる場所を見つめます。
どうやらアニメで出てきたお店にファンの人が列を作って並んでいた様です。
噂には聞いていましたが、やっぱりとても人気なんだなあ、ともふもふ君は素直に思いました。
もしもこの商店街もアニメに出てきたのなら、もっと多くの人で賑わっていたのかもしれません。
けれどスーパーで働いているもふもふ君にはどの道あまり関係がなかったので、それ以上気にする事はありませんでした。
しばらく歩いていると、もふもふ君は破れた紙が扉に貼られた建物を見つけました。
「えいがかん……?」
普段は特に気にしていませんでしたが、辛うじて分かる文字からこの建物は映画館だったようです。
閉店を知らせるお別れの言葉が書かれた紙はもうボロボロなので、ずっと前に潰れてしまった様です。
もふもふ君はもちろんこの映画館に入った事なんてありません。
「なんでぼくはかなしいんだろう」
けれどもふもふ君はそれを見て何故だか泣きそうになってしまいました。
映画館についての想い出なんてないのに、どうしてなのでしょう。
「もしかしたらわすれているだけで、たいせつなおもいでがあったのかなあ」
もふもふ君はそうは言いつつも、きっと大切な何かがあったのだろうとわかっていました。
けれどいつしかもふもふ君は一生懸命頑張り過ぎて、大切な何かを何も思い出せなくなっていました。
「ぼくはなにものなのかな。ぼくにもわかんないや」
もふもふ君はシュンとしながらとぼとぼと歩きます。
なんだか疲れたので、今日は帰ったら早く寝る事に決めました。
別のある日、もふもふ君は地域の集まりに顔を出しました。
「それではこれよりッ! 葉瀬帆商業地区の地域振興会議を始めたいと思いまぁすッ!」
「うぉう、うるさいって。もうちょっと声のボリューム落として」
まとめ役のバスガイドロボのオトハちゃんは、気合を入れて声高に会議の開催を宣言しました。
ですが気合が入り過ぎ、昔からいるお年寄りの委員は困ってしまいます。
「定期的にやってるけどやる意味あるのかな。いつも茶飲み話で終わるだろう」
この会議は元気がなくなった葉瀬帆を盛り上げようとするための会議でしたが、参加者のやる気にはばらつきがありました。
皆で頑張ればどうにかなる、どうせ無理だと諦めている――そう考えている人の割合は半々くらいでしょうか。
「別に茶飲み話でもいいんじゃないかしら? 若い人と私達みたいな年寄りが親睦を深めるのもそれはそれで結構な事でしょう」
「そうですね、どこの土地が空くとかどこがどんな理由で困っているとか生の情報が手に入りますし、案外茶飲み話も馬鹿になりませんよ」
「なかよくなるのはだいじだよー」
「ちー」
「はは、確かにな。ほれ、食べな」
会議には友達のネズミ君も参加しており、お茶請けに出されたチーズおかきをカリカリと齧りました。
もふもふ君には難しい話はよくわかりませんでしたが、こうして皆と一緒におしゃべりをするのは楽しいので好きでした。
「ええ、仰る通りです! まあ一番偉い人がもう少し頑張ってくれれば苦労はしないんですが」
「俺っちはそういうのは面倒くさいから考えないよお」
オトハちゃんは昼間からお酒を飲んでいる偉い人に文句を言います。
もふもふ君は白衣を着た眼鏡の男の人が誰なのかよく知りませんでしたが、皆が偉い人だと言っているので、取りあえず偉い人だという事は知っていました。
「話し合いの結果がまとまったら手を貸してもいいけど、まずは意見をまとめてからお願いねぇ。そうしないと何も出来ないから」
「はいはい」
何度も偉い人を説得しようとしたオトハちゃんももうとっくに諦めてしまいました。
とはいえ本気を出せば凄い人なので、なんだかんだで皆は偉い人を信頼していました。
「えー、コホン。この人はひとまず放っておいて、やはりここは葉瀬帆を舞台にしたアニメ『夢の彼方』とのコラボが良いと思います!」
「ああ、あのアニメだっけ? たしかににんきだよねー」
オトハちゃんはホワイトボードに『ゆめおち』と書き殴り自信満々な様子で提案しました。
「それは別にいいんだが、そういうのって権利とかがややこしいんじゃないか?」
「ああ、大丈夫。余程無茶な事でなければコネがあるから。向こうも作品を盛り上げるついでに地域振興になるなら、って前向きに検討してくれてるよぉ」
「えらいひとってえらいひとのしりあいだったんだー」
「相変わらずあなたの人脈がわかりませんね。でもそういう事なら」
会議を始めて早々いい知らせが舞い込み、後ろ向きだった委員も前のめりになります。
上手くいけばこれをきっかけに街おこしが出来るかもしれません。
「ただいくら聖地巡礼をしてくれても地元にお金を落としてくれないと意味がありません。また葉瀬帆には憎きもふもふ転売ヤーがうろちょろしていますからその対策も必要でしょう」
「てんばいやー? ってなぁに?」
もふもふ君は時々耳にする転売ヤー、という言葉が気になり聞き返しました。
「もふもふ君もこの前スーパーで見ただろう? ああやってたくさん買い漁って転売するから、欲しい人にちゃんと届かないんだよ」
「そうなんだー」
もちろんもふもふ君はなんとなくそれが悪い事だという事はわかっていましたが、説明を聞いてもイマイチよくわかっていませんでした。
それでももふもふ君はちゃんと理解するため、湯呑に淹れられたお茶を飲んで一息つきます。
大好きな街の事を一番に考えているオトハちゃんが淹れてくれたお茶は、とても美味しく優しい味がしました。
けれど身体がぽかぽかと温まり、そのせいで考えていた言葉がお茶と一緒に喉の奥に引っ込んでしまいました。
「せめてこの大量に売れ残った地域振興クーポン券を転売してくれれば助かるんですけどねー」
「まだ捨ててなかったんだ。葉瀬帆のお店でお得に使える奴だっけ」
「無駄に偽造対策とかはしてるけど、わざわざそんな事誰もしないわよね」
ムスッとしたオトハちゃんは、商工会議所の隅っこに積まれたダンボールの山を眺めます。
あの中には葉瀬帆のお店で使えるたくさんのクーポン券が入っていますが誰も見向きもせず、かと言って捨てるのももったいないのでそのままにしていました。
「むむっ!? お前は?」
「んー? どうしたのー?」
「あれ、きみは」
皆でうんうんと唸っていると商工会議所の前をやんちゃなもふもふ達が通り過ぎようとしていました。
「きょうはまだてんばいしてないよー。いんねんつけないでよー」
「ちー」
やんちゃなもふもふ達も今日はお仕事がお休みな様で、やんちゃな雰囲気も抑えていました。
ですがオトハちゃんはそんな事はお構いなしにダンボールを持って駆け寄ります。
「突然ですが転売してくれますか!? 葉瀬帆のお店でお得に買い物が出来ますよ!」
「オトハちゃん何を言ってるの?」
オトハちゃんはあろう事かクーポン券を売りつけようとしたようです。
けれどやんちゃなもふもふ達もあまり乗り気ではなさそうでした。
「えー、やだ。べつにだれもそんなにほしくないからもうからないし」
「んだとゴルァッ! 定価で売ればいいじゃろがい! 転売ヤーならどんなものでも転売しろやい! それが転売ヤーだろうがァ!」
「わー、こわいよー! このひとなにいってるのー!? むちゃくちゃだよー!」
「ちー!」
ですがそう断るとオトハちゃんはプンプンと怒ってしまったので、やんちゃなもふもふ達は怖がって逃げ出してしまいました。
オトハちゃんは彼等を追いかけ無理矢理売りつけようとします。
賑やかなのは良い事ですが、まとめ役のオトハちゃんは皆をほったらかしてどこかに行ってしまいました。
「えーと、オトハちゃんがいなくなったけど、気を取り直して話し合いを続けようか」
「そだねー」
「ちー」
このままではいつも通りただのおしゃべりになるかもしれませんが、それはそれで楽しいので、もふもふ君はあまり気にしていませんでした。
結局これといったアイデアは出ず、皆とのおしゃべりを楽しんだもふもふ君はネズミ君とお散歩をします。
「いいてんきだねー」
「ちー」
今日はとてもいい天気で、絶好のお散歩日和です。
散歩でやって来た公園はもふもふ君のお気に入りのお散歩コースでした。
お年寄りから子供までいろんな人がいる、とてももふもふした楽しい場所です。
入口に置かれている看板にはいろいろな事が書かれていたので出来る事はそんなにありませんでしたが、街の子供達は友達と携帯ゲーム機で遊んでいました。
公園のベンチにはスーツ姿のおじさんが座り、何をするでもなくボーっとしていました。
おじさんはいつもこの場所にいるので、きっとのんびりするのが好きなのでしょう。
「ほけー」
「ちー」
もふもふ君ものんびり日向ぼっこをするのが好きでした。
何も考えずにお花が太陽の光を浴びる様にベンチに座っていると、それだけでぽかぽかして幸せな気持ちになります。
「ちー?」
「?」
まったりと寛いでいるとほんのりと菓子パンの甘い香りが漂ってきます。
香りにつられて思わず顔を向けると、右のベンチにどこかで見た小さな女の子が座っていました。
「はむはむ」
小さな女の子はよく見るとこの前スーパーで見かけたスズメの様な服の女の子で、女の子はお腹が空いていたのかはむはむと菓子パンを食べていました。
「ふう」
菓子パンを食べ終えた女の子も何もせずボーっとします。
ですが女の子ももふもふ君がいる事に気付き、訝し気にジッと見つめます。
「こんにちはー。またあったね、スズメちゃん。ぼくのことおぼえてる?」
「ちー」
「……こんにちは。あんたみたいにもふもふした奴を忘れるわけないって。スズメちゃんって何?」
「ぼくはきみのなまえをしらないから、スズメちゃんってよんだの」
「あっそう」
いきなり挨拶をしたので驚かせてしまったのかもしれませんが、スズメちゃんはにっこりと笑うもふもふ君とネズミ君を見てちょっぴり警戒していました。
ですがちゃんと挨拶を返してくれたので、きっと素直で優しい子なのでしょう。
「きょうもパンをたべているんだ。きみはパンがすきなんだねー」
スズメちゃんはお店で買ったのとは違う菓子パンを食べていました。
その大きなパンはもふもふしていて、とても美味しそうでした。
「あ、これたべる? おみせのうれのこりだけど、もふもふなじしんさくだからたべてほしいな」
「ちー!」
「でかっ」
もふもふ君はおやつに用意していたそれよりも大きなカリもふパンを自慢げに出し、スズメちゃんはあまりの大きさに驚いてしまいました。
「しあわせはもふもふしているから、もふもふしていることはしあわせなんだよ」
今までで一番の自信作であるカリもふパンはとても大きくて甘いので、きっとパンが好きなスズメちゃんも気に入ってくれるはずです。
「もふもふっていうよりもカリもふだけど」
「あ、わかった?」
スズメちゃんは呆れたように言いました。けれどその言葉こそもふもふ君が望んでいたものでした。
「もふもふもおいしいけど、カリもふもおいしいよね。だからみんなこっちのほうがすきかな、っておもってカリもふでおいしいパンをつくったんだ。だからカリもふパンも、やっぱりもふもふでしあわせなんだよ」
もふもふが嫌いな人なんていません。
そう信じていたもふもふ君は自信満々な様子でカリもふパンの美味しさをアピールします。
「……あんたもお母さんと同じ勘違いをしてるんだね」
けれどスズメちゃんにはその言葉があまり響く事はありませんでした。
「私が好きだからって勝手に思い込んでいっつも同じ様な菓子パンばかりを買ってきて。別に好きじゃないのに」
「あれ? パンはすきじゃないの?」
「ちー?」
スズメちゃんは悲しそうな顔をしてため息をついてしまいます。
「この前はやんちゃなもふもふ達にパンを買うように頼まれたから買っただけ。お小遣いといらないパンも貰えるから」
スズメちゃんはやっぱりパンがそんなに好きではなかったようです。
そして何もわかっていない様子のもふもふ君にこう告げました。
「もふもふじゃどうにもならない事もあるんだよ。何も考えずにもふもふしているだけのあんたにはわからないかもしれないけど」
スズメちゃんはカリもふパンを受け取る事なく去って行きました。
もふもふ君はどうしていいかわかりませんでしたが、お腹が空いていたので取りあえずカリもふパンを食べました。
「うーん、パンはすきじゃなかったんだ。おいしいんだけどなあ」
「ちー」
もふもふ君は寂しそうなネズミ君と一緒にカリもふパンをカリカリと齧り、スズメちゃんの事を一生懸命理解しようとしました。
「ぼくはもふもふだからなにもわかんないや。もふもふってなんだろう。おこらせちゃったかなあ」
もしかしたら自分はスズメちゃんを悲しませてしまったのかもしれません。
その事に気付いたもふもふ君はとても悲しくなりました。
けれど一番悲しかったのは、スズメちゃんがどうして悲しそうにしていたのか、もふもふな自分ではその気持ちをちゃんと理解する事が出来なかった事でした。
もふもふ君はおうちに帰り、賞味期限が近いインスタントラーメンをもやしと一緒に茹で、晩ごはんを作りました。
画質の悪いテレビからは悲しいニュースばかりが流れます。
もふもふ君はぼんやりとテレビを眺めながら、インスタントラーメンをすすりました。
「あれ?」
どこか遠い国の戦争の映像が流れた時画面に何も映らなくなり、もふもふ君は取りあえずテレビを叩いて直そうとしてみました。
けれどもうテレビに映像が映る事はありませんでした。
元々ちゃんと映りませんでしたが、完全に壊れてしまった様です。
「うーん、どうすればスズメちゃんはもふもふになれるのかなあ」
「ちー」
もふもふじゃどうにもならない事もある。
もふもふ君の胸にスズメちゃんの言葉が深く突き刺さりました。
けれどもふもふ君は諦めたくありませんでした。
どうすればスズメちゃんが幸せになれるのか、それだけを考えていました。
きっと自分にはまだ出来る事があるはずです。
寂しそうなスズメちゃんのために出来る事があるはずです。
もふもふ君はスズメちゃんがもふもふ出来る未来を強く願いました。
そしてもふもふする事を忘れたもふもふ君は、ほんの少しだけもふもふした自分を取り戻しました。
また別の日、やんちゃなもふもふ達を追い掛け回していたオトハちゃんがようやく戻って来て、街おこしの話が再開されました。
「えー、この度は皆様をほったらかしにしてすみません」
「うん、それはいいんだけど……その緑色のタコは?」
「やんちゃなもふもふを追いかけた先で出会って、なんやかんやで仲良くなってついて来ました!」
「ついて来たって。どこまで追いかけたの?」
「ちゅるるー」
オトハちゃんの頭の上にはつぶらな瞳の緑色のタコが乗っていて、タコさんは自分が何故ここにいるのかわかりませんでしたが、足を上げて皆に元気よく挨拶をしました。
「こんにちは、タコさん。おかしたべる?」
「ちー」
「ちゅるるー」
もふもふ君は不思議なお客さんだなあ、と思いましたがお茶請けのカステラをあげると、緑色のタコはとても美味しそうにカステラを食べました。
「さて、頼もしい仲間が増えた所で気を取り直して葉瀬帆を盛り上げるための話し合いを始めましょう。アニメとのコラボをするという話でしたが、推し活ガチャ(仮)を設置する事になりました」
「推し活ガチャ?」
「はい! ちなみに大当たりは職人さんが作った個数限定のご当地デザインのマグカップです! 当たりはそれなりのグッズって感じですね」
オトハちゃんはそう言ってホワイトボードに独特なイラストを描きました。
そのイラストは前衛芸術の様だったので意味はよくわかりませんでしたが、とても気合が入っていたのはわかりました。
「要は観光の拠点になる場所に限定グッズと交換出来る引換券が手に入るガチャを置くって感じのよくある奴ですが、きっとあのやんちゃなもふもふ達もやってくる事でしょう」
「まあ、絶対にそうなるだろうね」
「そこでどうすれば地域が儲かるのか、どうやって転売対策をするかを話し合いたいと思います。忌憚のない意見を聞かせてください! そこまでやるのっていうドン引きする様なものでも全然構いませんよ! プシュー!」
「ちゅるる!?」
やんちゃなもふもふ達を目の敵にしていたオトハちゃんは怒りに燃えて熱くなってしまい、頭から高温の蒸気を出したせいで緑色のタコさんは驚いて落っこちてしまいました。
「いやドン引きする様なのはやり過ぎたら怒られちゃうから」
「いろいろアイデアはあるとは思うけど何がいいのかしら」
「ハズレって無駄遣いみたいなものだからなあ。やり過ぎると嫌がられそうだし」
「ハズレでもついでに何か手に入るようにした方がいいかも。店でも買えるキーホルダーとかそういうの」
「アイデアかあ。うーん」
皆はどうすればやんちゃなもふもふ達をぎゃふんと言わせられるのかを考えていましたが、もふもふ君はそんな事よりも菓子パンを買っていたスズメちゃんの事を考えていました。
「最低でもいつも通り一人何回か、ってルールは作るとして……」
「でもたくさんやんちゃなネズミ君が来るから意味がないんじゃない?」
もしも推し活ガチャが置かれたら、きっとやんちゃなもふもふ達と一緒に女の子もやって来るのでしょう。
もふもふ君はスズメちゃんにもっと美味しいものを食べて欲しいと考えました。
「あ」
どうすればスズメちゃんが幸せになれるのかを考えていると、会議所の隅っこに置かれたダンボールの山がもふもふ君の目に入りました。
一つはオトハちゃんが無理矢理やんちゃなもふもふ君に押し売りしたので無くなりましたが、葉瀬帆のお店で使えるクーポン券はまだまだたくさん残っていました。
「ねえオトハちゃん。あのクーポンけんをくじにすることってできるかな」
「はい? どういう意味です?」
「そうすればハズレでもそのままおかねになるし。あたりはこうかんするかクーポンとしてつかえるかえらべれば、おなじものがあたってもおいしいものがたべられてしあわせになるんじゃないかなー」
「なるほど、確かにそれならハズレでもお得に買い物が出来るので誰も損はしませんね。ですがやんちゃなもふもふが余計に得をするだけなのでアウトですッ!」
オトハちゃんはクワッと鬼の様な形相になり両腕でバツ印を作りました。
こうなるのは分かっていましたが、やんちゃなもふもふ達が得をするのはとても嫌な様です。
「そっかー、うーん、いいアイデアだとおもったんだけどなあ」
このアイデアならスズメちゃんも美味しいものが食べられると思ったもふもふ君はガッカリしてしまいます。
やっぱりそう上手くはいかないのでしょうか。
「いいんじゃない?」
「え?」
「わあ!」
「ちー!」
けれど端っこの方でお酒を飲んでいた偉い人はそのアイデアに興味を示した様です。
「やってみたら面白い事になるかもよ。役所や管理システムや版元とかの諸々の調整は俺っちがやってあげよう」
彼は早速スマホをいじり、もふもふ君のアイデアを実行するための準備を始めました。
「うん、おねがいー。わーいわーい」
「はあ、そこまで言うのならやってみますけど……」
オトハちゃんはどうして偉い人がゴーサインを出したのかわかっていませんでしたが、もふもふ君はスズメちゃんを幸せにするために考えた自分のアイデアが通ってとても喜びました。
そして推し活ガチャが駅近くにあるお店に設置されると案の定初日から大盛況で、並んでいる人の中にはもちろんやんちゃなもふもふ達もいました。
「わっはっはー、ようやく10000えんでうれるマグカップがてにはいったぞー!」
「ちー!」
「わっはっはー、しかも30000えんそんしたのに30000えんぶんのクーポンもてにはいったぞー! さっそくたかくうれそうなものをねこそぎかっていくかー!」
「ちー!」
やんちゃなもふもふ達はとても上機嫌でそのままお土産屋さんに行き、工芸品といった地域の特産品を買い漁っていきます。
「あれ? ぼくなんかへんなことしてる?」
「ちー?」
「まあいっかー」
やんちゃなもふもふ達は買い物の途中で何かがおかしいな、と思いましたが、あまり気にせず高く売れそうなブランド物の日本酒を買いました。
やんちゃなもふもふがお店から出てきた時、どこからともなく現れた商工会の偉い人がこっそりと話しかけました。
「ちょいちょい、そこのやんちゃなもふもふ」
「ん? どうしたのー? ぼくになんかよう?」
「ここにお酒が大好きなオジサンがいる。お前さんはブランド物の酒や酒のつまみになる地域の特産品を換金目的で相場よりちょい安めに転売しようとしている。何が言いたいかわかるね? くっくっく」
「おぬしもわるよのうー、くっくっく」
「ちっちっち」
やんちゃなもふもふ達は悪だくみをしましたが、そんなものを葉瀬帆の番人が見逃すはずがありません。
偉い人は自分の後ろで怖い顔をしているオトハちゃんに気が付きました。
「何をやっているんですかねー?」
「ギ、ギクッ。でもこれはギリセーフだよ」
「そ、そう、ギリセーフだよー。じゃーねー」
「ち~」
オトハちゃんにトラウマを植え付けられたやんちゃなもふもふ達は、偉い人と一緒にそそくさと逃げてしまいます。
「はあ~、まあ今はそれどころじゃないですし。よし、気合入れましょう!」
オトハちゃんは追いかけるべきか少し悩みましたが、今はお店が大盛況なので後回しにする事にしました。
「えー、大当たりは出ませんでしたが無事に目当てのアクスタは手に入れました! というわけで特盛海鮮丼を食べたいと思いまーす!」
お店に併設されているレストランではスマホを片手に動画を撮影している人がいました。欲しいものと美味しいものが食べられて、とても満足している様です。
「そっちはどう?」
「こっちもハズレ。五島うどんを買って食べるつもりだったからいいけど。十分元は取れたかな」
別の観光客は一つを欲しいキーホルダーに変え、残りを聖地巡礼の旅費に変えました。動画を撮影している人ほどではありませんが、それなりに満喫している様です。
「やった、当たったのー!」
「おおー。一発で大当たりって。相変わらず凄い幸運だね」
別の眼鏡の女の子はアホ毛をぴょこぴょこと揺らして糸目の男の子に自慢します。
オトハちゃんはその女の子達をどこかで見た様な気がしましたが、メモリーにはなかったのでただのそっくりさんだと判断しました。
「これはひょっとすると……ひょっとするかもですね! 転売ヤーにも美味しいものを食べて欲しいだなんて変な事を考えるなあって思いましたけど、もふもふ君も意外とやるじゃないですか!」
観光客だけでなくやんちゃなもふもふ達もクーポンが使えるお金でお買い物をし、飛ぶ様にいろんなものが売れているというわけのわからない状況に、オトハちゃんは少しだけ混乱してしまいましたが胸を弾ませました。
「そっか、これってもふもふが……」
推し活ガチャを回し終えたスズメちゃんはオトハちゃんの歓喜の声を聞き、報酬代わりに貰ったハズレのクーポン券をキュッと握りしめました。
「変な奴」
もふもふ君はきっとスズメちゃんのためにそうしようと考え、この大盛況は本人も予想していなかったのでしょう。
もふもふ君はお金儲けではなく自分のために行動したんだと知った時、彼女の心の中に暖かなものが広がりました。
推し活ガチャの周囲は大変な事になっていましたが、アイデアを出したもふもふ君はいつも通りスーパーのパン売り場でお仕事をしていました。
クーポン券は観光地だけでなく地元のスーパーでも使え、観光客だけではなくもちろん街の人も推し活ガチャを回していました。
「きいろいぞうがとんでいたー」
鼻歌を歌うもふもふ君はいつもより少しお客さんが多いなあ、とは思っていましたが、それが推し活ガチャの影響だとは気付いていませんでした。
「……あ」
「あれ、きみは」
パンを補充していると女の子が現れました。
女の子はもふもふ君を見て少し気恥ずかしそうに眼を逸らし、どぎまぎしながら尋ねました。
「えと、ここでも使えるよね。ガチャのクーポン」
「うん、もちろんだよ。どれでもすきなものをかっていってね。あっちのほうにケーキもあるから。あれもゆうめいなおみせがアニメとコラボをしてるんだって」
女の子に話しかけられたもふもふ君は嬉しそうな表情をします。
もふもふ君は菓子パンではなく、もっと美味しいものがたくさんあるケーキ売り場を進めました。
「じゃあこれ。カリもふで美味しいんでしょ」
ですが女の子は迷う事無くいつも買っているパンと、もふもふ君が考えたカリもふパンを買いました。
「わあ、ありがとー」
もふもふ君は自分が考えたカリもふパンを買ってくれてとても喜びました。
数個のパンを持った女の子は照れくさそうに去って行き、そのままレジに並びました。
今日は残業もなかったので、もふもふ君は夕日に照らされた葉瀬帆の海を眺めながら、ベンチに座ってのんびり売れ残ったパンを食べていました。
「うみがきれいだなあ。でもなんだかさみしいなあ。どうしてだろう」
美しい葉瀬帆の海を見ていると幸せな気持ちになれますが、何故かとても切ない気持ちになってしまいます。
もしかしたら自分は昔、忘れてしまっただけで同じ様な気持ちをどこかで感じたのかもしれません。
ですがもふもふ君には、もう何も思い出せませんでした。
「ん」
「スズメちゃん?」
けれど悲しい気持ちになっていると、隣にスズメちゃんが座りました。
スズメちゃんが持っていたレジ袋の中にはお店で買ったパンが入っていて、彼女は袋を漁りながらもふもふ君に話しかけてきました。
「聞いたよ。私のために推し活ガチャとか変な事を考えたって」
「ぼくはアイデアをだしたけどなにもしてないよ。おしかつガチャはきまってたことだし、いろいろやってくれたのはえらいひとだから」
「それでもだよ。見ず知らずの私の事を考えてくれてる人がいるって知って、一生懸命頑張ってくれる人がいるって知って、少しだけ嬉しくなった」
スズメちゃんはカリもふパンを愛おしそうな目で見つめました。
カリもふパンは決して高くはない普通のパンでしたが、もったいなくて彼女はなかなか食べられませんでした。
「お腹を膨らませるためだけに大きくて甘いパンを食べてたけど、こんなに美味しかったんだ」
スズメちゃんはカリもふパンをはむはむと齧りました。
一口齧るたびに幸せな甘さが口いっぱいに広がり、音楽を奏でる様にサクサクという音が聞こえます。
ふんわりとした小麦のニオイが包み込む様に漂い、真っ白な中身はまるで心優しいもふもふ君の様にもふもふとしています。
「ねえ、もふもふ君。もふもふ君はどうしてそんなに寂しそうにしてたの?」
「うみがきれいだったからかな」
「なんで海が綺麗だと寂しいの?」
「スズメちゃん。ぼくはまえにあったとき、しあわせはもふもふしているから、もふもふしていることはしあわせなんだよっていったよね」
「うん、言ったね。意味は分かんなかったけど」
スズメちゃんは独特な感性を持つもふもふ君の言葉がずっとよくわかりませんでした。
けれどもふもふ君が自分の事を理解しようとしてくれた様に、彼女もまたもふもふ君の事を理解しようとしていました。
「ともだちもいるし、しょくばのひともやさしいけど、それでもやっぱりたいへんなことはあるんだ。だからぼくはいつのまにかもふもふになるほうほうをわすれちゃったんだ」
もふもふ君の毎日は決して楽しい事ばかりではありませんでした。
もふもふだけではどうにもならない事があると、それはもふもふ君自身が誰よりも知っていました。
「ぼくがしあわせなのはね、すぐにわすれちゃうからなんだ。だからどんなにかなしいことも、どんなにうれしかったこともすぐにわすれちゃうんだ。ぼくがなにものなのかってことも」
「それって……幸せなのかな。楽かもしれないけど」
「ぼくたちはわすれられるからいきていけるんだ。それはしあわせなのかもしれないし、かなしいのかもしれないね。だけどこのうみをみていたら、むかしのことをおもいだしてさみしいきもちになっちゃうんだ」
もふもふ君は大きな背中を悲しそうに丸めます。
その切なげな姿に、普段のもふもふしているもふもふ君の面影はどこにもありませんでした。
もふもふ君は何も考えずにもふもふしている様に見えて、スズメちゃんと同じ様にいろいろ悩んでいました。
その事に気付いたスズメちゃんは、何も知らずに相手を傷つけていたのは自分のほうだと悲しくなってしまいました。
「むかしのぼくはもふもふしていたのかな。だけどもうなにもおもいだせないや」
もふもふ君はすぐに忘れてしまいます。
ですからきっとこの悲しいという気持ちも、そう遠くないうちに忘れてしまうのでしょう。
スズメちゃんの事も、夢の彼方に消えた大切な誰かと同じ様に。
「はい。大き過ぎて食べきれないから」
「?」
話を聞き終えたスズメちゃんは、ぶっきらぼうに半分にちぎったカリもふパンを押し付けました。
「あんたのおかげでちょっとだけ私はもふもふした。だから私もちょっとだけもふもふさせてあげる。パンはもふもふだから、きっとあんたももふもふになれるよ」
「スズメちゃん」
巡り巡ってまた自分で食べる事になりましたが、それは売れ残りのカリもふパンを食べて処分していた時とは全く違う意味を持っていました。
「ありがとね」
もふもふ君は胸がいっぱいになりながら、スズメちゃんから受け取ったカリもふパンを幸せそうに食べました。
一見固そうなカリもふなパンの中には柔らかい優しさが溢れんばかりに詰まっていたので、もふもふ君はとてももふもふな気持ちになりました。
「もふもふ君?」
「うん?」
スズメちゃんと一緒にカリもふパンを食べていると自分の名前を呼ぶ声が聞こえ、後ろを振り向くとスズメちゃんによく似た女の人がいました。
「あ、お母さん。ええと、この人は怪しくないもふもふだよ」
知らない人と一緒にいるのは体裁が悪いと思ったのか、スズメちゃんは必死でフォローをしました。
どうやらこの女の人はスズメちゃんのお母さんの様です。
けれどもふもふ君は自分の名前を呼んだお母さんと、どこかで会っていた様な気がしました。
「そっか。ユウヒちゃんの面倒を見てくれてありがとうございます」
「ううん、こちらこそ。スズメちゃんじゃなくてユウヒちゃんってなまえだったんだ」
優しそうなお母さんはスズメちゃんの事をユウヒという名前で呼んだので、もふもふ君はその時初めて彼女の本当の名前を知りました。
「スズメちゃんはもふもふが勝手につけた名前でしょ。まさかもう忘れたの?」
「そうだったねー」
忘れっぽいもふもふ君は実は本当に忘れていましたが、その事を伝える事はありませんでした。
お母さんは何かを言いたそうでしたが、笑顔で自己紹介をしました。
「初めまして。私はユウヒのお母さんのアサコって言います」
「アサ、ちゃん」
アサちゃん。
もふもふ君はその名前を聞いて何かを思い出しそうになりました。
「はじめまして。ぼくはもふもふだよ」
けれどやっぱりもふもふ君は、何も思い出す事が出来ませんでした。
それは決して忘れてはならない想い出だったはずなのに。
アサちゃんは必死で涙を堪え、笑顔で何も知らないふりをしてくれているのに。
「帰ろうか、ユウヒちゃん」
「お母さん?」
アサちゃんはユウヒちゃんの手を掴み、背を向けて立ち去ります。
ですがその背中は泣いている様に見えました。
「あのっ」
「っ」
せっかく彼女と会えたのに、悲しいままお別れをしたくありませんでした。
もふもふ君はたまらず声をかけ、アサちゃんはビクンと身体を震わせ立ち止まります。
「またあおうね、アサちゃん。ぼくはずっとここにいるから」
もふもふ君はもう何も覚えていませんでした。
なのでこの言葉が正しかったのかどうかもわかりませんでした。
「……うん、ありがとう。いつかまた会おうね」
けれどアサちゃんは小さな声でありがとうと、確かにそう呟きました。
アサちゃんはそれ以上何も言わず、街の人ごみの中に消えていきます。
ユウヒちゃんはキョトンとしていましたが手を振ってくれたので、もふもふ君もバイバイ、とお別れの挨拶をしました。
その場にぽつんと取り残されたもふもふ君は、切なくもより優しい味になったカリもふパンを独りで食べました。
パンを食べ終えたもふもふ君はベンチから動かず、沈んでいく夕日をぼんやりと眺めていました。
今日という一日が終わり、永遠の中のひと時の夢は終わろうとしていました。
お腹がいっぱいになったもふもふ君は静かに瞼を閉じ、遠い日々の夢を見ました。
もふもふ君は夢の中で葉瀬帆と同じ様などこかの港町にいました。
もふもふ君は射影機を直し、アサちゃんはスクリーンに映画を映し、いろんな街の人々にたくさんの夢と希望を与えました。
「そっか、あのときにであったのはアサちゃんだったんだね」
それがどんな想い出だったのかはわかりません。
けれどとても幸せで、もふもふしていた事だけは覚えていました。
「あのときも、そのまえも、ぼくはなんどもアサちゃんとであってきたんだね」
そしてもふもふ君はようやく何度も出会いと別れを繰り返していた事に気付きました。
自分は忘れていただけで、ずっと幸せな日々を過ごしていたのです。
「もしかなしいことがあって、またもふもふできなくなっても、ぼくはずっとここにいるよ」
その事に気付いたもふもふ君は全部がどうでもよくなりました。
辛い事も悲しい事も、もふもふした記憶の前ではささやかな事でした。
「またあおうね、アサちゃん、ユウヒちゃん」
暖かな光がもふもふ君を包み、幸せな夢から覚める時が訪れようとしました。
けれどまたアサちゃん達と出会えると信じていたもふもふ君は、もう何も怖くありませんでした。
……………。
それから月日が流れ、もふもふ君は葉瀬帆の一角にあるひなびた駄菓子屋で店番をしていました。
「つんつん。あたったからこうかんしてー」
腕を枕にしたもふもふ君は今日も幸せそうにお昼寝をして、当たりくじを持ったキノコ君は棒でほっぺをつついてちょっかいを出します。
「わー」
ですが先にお店にいたスズメが悪戯をするキノコ君をつつき追い払います。キノコ君は驚き、ぽてちてと走って逃げてしまいました。
そこにまたお客さんが現れ、女の人が逃げ出すキノコ君を捕まえました。
彼女は当たりくじを手に取り、もふもふ君の代わりに景品のマグカップと交換します。
「ほれ」
「ありがとー」
素敵なマグカップを手にしたキノコ君は、ご機嫌な様子で緑豊かな葉瀬帆の街を駆けて行きます。
早速友達と一緒にお茶会をしようと、キノコ君はルンルン気分でスキップしました。
「おーい、もふもふー、辞令の手紙だぞー。なんか大阪のほうに……って寝てる」
「すやすや」
「ちー」
手紙を届けに来た女の人はぐっすりと眠っているもふもふ君達を起こしたら可哀想だと思い、そっとカウンターに手紙を置いて去って行きます。
女の人がいなくなり、スズメはチュンチュンと歩いてふもふ君の頬に身を寄せました。
全身が余すことなくもふもふしたもふもふ君の身体は触り心地が良く、スズメもすっかり安心しきって眠ります。
代わり映えのしない日々でしたが、もふもふ君はとても幸せでした。
全てを忘れてしまったもふもふ君は、いつかまた誰かと出会える日を心待ちにして眠り続けます。
何十年でも、何百年でも、ずっとずっと。




