第39話 闇
訪れたのは新宿、歌舞伎町。
俺、三好鮭とスズカは慣れない足取りで、
神宮司さんの後ろに続いていた。
「シャケ、ここは……」
「ああ、あまり騒ぐなよ」
生ごみと酔っ払いのゲロが混ざり合い、
この町特有の悪臭が俺の鼻を刺す。
その匂いとは真逆に煌めくネオン。
目に映る景色は、夜のエンターテイメント空間そのものだった。
俺は辺りを見渡すスズカを置いて、神宮司さんへ問いかける。
「……神宮司さん、赤井さんと打ったことがあるんですよね」
彼は歩みを緩め、俺の真横で口を開いた。
「あるよ、一回だけ……シャケくんさ、殺気を放つ人間、見たことある?」
「殺気ですか……」
普通の人生を送っていれば、そんなもの触れる機会なんてあるわけがない。
「……あれは、一般参加も可能な最強決定戦という大会だった」
俺もそれを見ていた。
神宮司さんの口調が、少し早くなっていく。
「準々決勝のオーラス、僕がトップ目。対面にはその赤井さんがいた。
手牌は完璧だった……
あとは上がって終わってもいいし、完全に降りてもよかった」
そう、ほぼ神宮司さんの勝利が決まっているような状況だった。
「先に違う相手からリーチが入って、僕は安全に降りを選択した。
対局が終わるまで、あと4巡、4回安全な牌を捨てれば僕の勝ちだった」
「はい、俺も見てました」
「……そうなんだ、じゃあ結果も知ってるよね」
彼の眼鏡は曇って、その先にある瞳が見えない。
「神宮司さんは4枚同じ牌、『白』を4回連続で捨てましたね」
「そう、そしてその4枚目を赤井さんにロンされた」
麻雀は同じ牌が4枚しか存在しない。
4枚全てを自分で所持し、その牌で上がられた時、
相手の役はたった一つしかない。
役満、国士無双。32000点の放銃だ。
「僕はそれで敗退したけど、
この結果の一番恐ろしいポイントってわかる?」
「最初、1枚目の白を捨てた時点で赤井さんは上がれていた」
「そう、普通に勝てたのにあえて見逃しているんだよ。
あの人は僕が白を4枚持っていると確信していた、
ただそれだけを確かめたかった」
「……だから4枚目をロンした」
普通じゃない。
1枚目を見逃す理由が全くない。
世界中の誰であろうと、絶対に1枚目が出た時点で上がると断言できる。
「映像でしか見てないんだよね、シャケくん。
その対局が終わった直後、僕は赤井さんと目が合ったんだ。
あの時の眼は……俺を殺し終えたとでも言うように冷たかった」
……それが殺気か。
赤井さんはその対局だけでなく、もっと先を見ていた。
それは相手を完全に殺し切り、格付けを行うため。
ただそれだけの為に、理外の3巡見逃しをしたんだ。
俺の思っていることがわかったのか、神宮司さんは続ける。
「それが赤井万吉という男、理屈じゃない。化け物だよ」
「前から疑問なんですけど、勝ったのに次の準決勝出ていませんよね?」
「その年の最強位は赤井万吉だと、みんな思っていた。
でも、準決勝からは禁煙だったんだ」
「禁煙??」
「あの人はそれを知ると、あっさりと身を引いた。
じゃあ、降りるわ。とだけ言葉を残して」
「……そんな、それだけの理由で」
「それが赤井万吉なんだよ。時代に媚びない。
ただ、己を貫く。何か憧れるよな」
神宮司さんはさっきまで、苦い顔で話していたのに、
そこまで語ると楽しそうに笑っていた。
「さあ、着いた」
案内されたのは、古い雑居ビル。
電気が消えかけた看板には「天」という店名が書かれていた。
暗い足元を慎重に進み、昭和の香り漂う木製の扉前へ立つ。
Mリーグスタジオとは対極にある、タバコと汗の匂い。
俺は意を決して、その扉を開いた。
視界が白く濁るほどの煙。
ジャラジャラという牌の音と、男たちの荒い声。
昭和で時が止まったかのような空間だった。
「なんて非合理な!この部屋は有害物質で満たされています」
スズカがしかめっ面で声を荒げると、
神宮司さんは笑顔で部屋を見渡していく。
「相変わらずだ、ここは」
俺も同じように辺りを見渡すと、
一人の男がこちらを凝視している。
少し長めで白一色の髪、
顔には無数のシワが走っているが、
着こなした白いスーツと派手な柄シャツが凄く似合っている。
そして、タバコ「セブンスター」を咥えている。
「……赤井万吉さんですね」
「……案内人三好鮭か、それに宇宙人までいやがる。
随分な連中を引き連れて……久しぶりだな、神宮司」
「お久しぶりです」
神宮司さんは、嬉しいのか怖いのか微妙な表情で赤井さんへと挨拶を交わした。
俺はそれだけ見届けると、早速本題に入る。
「赤井さん、地球代表として戦ってください」
「受けよう」
神宮司さんの時と同じ、いやそれ以上に即答だった。
だが、甘くはなかった。
「……条件がある」
「条件!?」
「……シャケ……お前、戦ってきてないな」
心臓を掴まれたように、俺の心に重く圧し掛かるその言葉。
それだけで身動きが出来ない。
「シャケは代表選手を導いてきました」
「お前に聞いていない」
俺の動揺に気付いたのか、スズカがフォローしてくれたが、
赤井さんの瞳は、俺の瞳を深く深く覗き込む。
戦ってきたつもりではある。
だが、実際問われると……俺は……。
「地球が賭けられた勝負、俺に賭けるならお前は命を張れ」
「張ります!宇宙との対決に俺の命も!」
「……安い」
赤井さんは、未だ俺を見つめたまま首を横に振った。
「負けたら死ぬというのは地球全体の話だ。
……お前だけの覚悟じゃない。はっきりと言おう」
咥えていたタバコを灰皿に押し付けると、
懐から、鈍く光るナイフを取り出し、卓上に突き立てた。
緑のマットが裂け、その先が深々と突き刺さる。
神宮司さんが叫ぶように声を荒げていく。
「赤井さん!何を!」
「黙ってろ」
スズカの時と同じく、瞬時に拒絶する。
「……シャケ、俺と勝負だ。
俺に勝ったら……代表になってやる。
お前が負けたら……」
その人は顔色一つ変えない。
「……腕を一本もらおう」
俺はここで完全に理解した。
今までの地球代表は、眩しいほどの光。
彼らは皆、人々に希望を与える表舞台の人間。
正真正銘のヒーローたち。
だが、目の前の男は違う。
希望なんて言葉は似合わない。
決して英雄ではない。
人間の奥に眠る本能を隠さない。
(この人は……闇だ)
それは麻雀という競技において、
避けては通れない歴史そのものでもあった。
20時過ぎ、不定期更新




