第33話 アイツとは違う
向こう正面から第3コーナーへ。
勝負の分かれ目となる5回目のカーブが迫る中、
2番手集団の緊張は極限に達していた。
集団の先頭を行くギャラクシーエンペラーは
最適解としてインコースの綺麗な芝、
そのギリギリを選んで走っている。
必然的に、その真後ろにある無風空間 heaven pocketも、
綺麗な芝の上に形成されていた。
その外側、9割はマックシャドウ、
内側、残り1割と荒れた芝が混ざるコースを走り続けるテイサスオペラオー。
(……ここだ。ここさえ死守すれば、皇帝の勝利は揺るがない。
そして、私は2着がほぼ確定する)
宇宙馬マックシャドウの騎手モイは、完璧なブロックを続けていた。
自分は外側の良馬場をキープし、
地球側の馬オペラオーを内側の荒れたコースへと押し込めつつある。
オペラオーが泥に脚を取られ、
スタミナを減らしている。
このままいけば、1着ギャラクシー2着マックシャドウとなり
宇宙側の勝利になると確信していた。
だが、隣を走る和田野の目は死んでいなかった。
(……宇宙人か、本当に綺麗に走る)
和田野の脳裏に、レース前の検量室での会話が蘇る。
◆ ◆ ◆
「……武井さん、あの宇宙人のブロックどう崩しましょう」
和田野が装備を整える武井の背中に問いかけた時、
その天才は振り返りもせずに答えた。
「う~ん、崩す必要があるのかな?」
「え?」
競馬界の至宝として活躍を続けてきた武井裕太。
どこか不思議なオーラを醸し出す彼の言葉は、
時として人には理解できない。
「ギャラクシーエンペラーの後ろが無風になる。
それは僕たちにとって、最高の状況だね。
……うん……それで?」
「はあ」
「君とオペラオーが勝利した、あの時の有馬記念。
僕もオペラオーをブロックしていた……」
「……そうでしたね」
「君は諦めたけど、オペラオーは勝利を見ていた」
「……」
関係者は知っている事実。
だが、本人に直接告げるものは滅多にいない。
武井は和田野の苦悩を理解していた。
たまたま強い馬、オペラオーに騎乗できたから
勝てたと呼ばれていた和田野。
しかし、それは強い馬に乗ったことのないものが言う戯言に過ぎない。
勝って当たり前の馬に乗ること。
そのプレッシャーは武井本人が一番知っている。
ましてや、当時若手だったことも考慮すれば、
その苦悩は騎手以外に知る由もない。
武井は悪戯っぽい笑みを浮かべて、和田野の肩を叩く。
「和田野君、今の君が勝利を目指せば、
自ずと答えが……いや、約束が果たせるんじゃないかな」
◆ ◆ ◆
(……ああそうだ、アナタの言う通りだ、天才!)
和田野は、隣で走るマックシャドウの
一定のリズムに近い鼻息、
その一点へと集中していく。
「……ここだ!!」
マックシャドウが空間を奪いに内側へ寄せようとした、
その瞬間。
和田野は手綱を大きく右へ寄せる。
オペラオーが、深く内側
黒い土と芝が入り乱れた悪路へと馬体を沈めた。
同時に先ほどまでオペラオーが走っていた空間へ、
マックシャドウが、ずれ込む形になる。
【警告:路面状況 不良。走行不可】
モイの網膜に映し出される警告文字。
heaven pocketを完全に掌握する為の
踏み込みタイミングに合わせられた、和田野の騎乗。
それにより、マックシャドウも若干ではあるが、悪路へと踏み出していた。
(……まずい、今すぐ良馬場へ戻らねば。
だが、これでポケットは完全に私のものだ)
マックシャドウの騎手モイが大きく左へ舵を取ろうとする。
しかし……。
「――っ!?」
マックシャドウの蹄鉄が、ぬかるんだ土に深くめり込んでいた。
ガクンと漆黒の馬体がバランスを崩す。
そう、宇宙馬たちは宇宙で作られた『最高のステージ』でしか
今まで走ってこなかった。
悪路を初めて走るマックシャドウにとって
もはや、それは走行不可と言い切れるほどの不良馬場。
「良馬場へ戻れば……ポケットにさえ入りきれば」
その時、まるで待ってましたと言わんばかりに
一頭の影が差し込む。
「やっぱりこうなったね。ご馳走様」
風のような一閃。武井裕太とマイデュースだ。
これまで影を潜めていた競馬界の至宝が、
マックシャドウが体勢を立て直す数秒の間に、
滑り込むようheaven pocketへと馬体を捻じ込んでいた。
「なっ……貴様!!」
モイが驚愕の声を上げるが、もう遅い。
ギャラクシーエンペラーの真後ろ、
無風の特等席には、涼しい顔をしたマイデュースと武井が鎮座していた。
場所を奪われたマックシャドウは行き場を失う。
後ろに下がろうにも、良馬場ギリギリを後続の馬たちが走っているため
最後尾まで下がるしかなくなる。
後ろには行けない。
真横にはマイデュース。
(こうなれば一旦、前に……)
その時、更に内側の悪路を走り続ける和田野がモイへと問いかける。
「モイさんだっけ?アンタ。
もしかして2着を狙ってる?」
こんな時に何を、と思考するが、
名指しで問いかけられたその言葉、
答えなければ、宇宙のプライドが廃るとモイは返答する。
「……そうだ。そして1着は皇帝だ」
「宇宙の記録を見たとき、
アンタとマックシャドウがいつも2着だった」
「素晴らしい記録だ」
「そうか、なら怖くない」
2着を取り続けること、それ自体は数字で見れば素晴らしい。
だが、1着を狙っての2着と諦めの2着では雲泥の差がある。
それこそ過去、オペラオーと和田野が激闘を繰り広げたあの馬とは違う。
怒涛のような、あの走り。
決して楽な勝負など一度もなかった。
常に勝利を目指して挑んできた、あの馬。
「俺達と戦ってきたアイツ。
ドトウとは全然違う!!
そうだよなあ!!オペラオー!!」
和田野の怒号が響き渡る。
モイには理解できない。
何故、1着にこだわるのか
無理をしなければ2着を死守することが出来る。
だが、その1着への熱がこの中山では必要だった。
泥まみれになった黄金の馬体が、
唸りを上げて加速する。
和田野は誰もが嫌がる悪路を
まるでウイニングロードのように駆け上がっていく。
跳ねる泥が和田野の顔面を直撃する。
口の中に広がる土の味。
それでも和田野は笑っていた。
これこそが、約束を果たす道。
狙うは宇宙最強。
風よけなんていらない。
ただ、オペラオーと共に最強を捻じ伏せる。
『出たぁぁぁぁ!テイサスオペラオーだ!!
内側の悪路を突き破りながら、
ギャラクシーエンペラーに並びかける!!』
そして、それはマックシャドウの敗北を意味していた。
前にはオペラオー、横にはマイデュース。
デコボコの道を走りながら、
良馬場へ入り込めるまで、ペースを落としていくしかない。
「くっ……これ以上、内へ入るわけにはいかない。
……ここまでか、なんて野蛮な馬たちだ」
一気に減速し、戦場を離れていくマックシャドウ。
これで残る宇宙馬はただ一頭。
しかし、最強。
第3コーナーから第4コーナー。
最終直線への入り口で
覇王が、輝くようなネオンを纏う宇宙皇帝の横に並んだ。
完全に虚を突かれたギャラクシーエンペラーの騎手キュルテが
初めて驚きに目を見開いて横を見る。
そこには、獰猛に笑う和田野の姿があった。
「待たせたな、宇宙最強」
マックシャドウの呼吸と寄せるタイミングを読み切った和田野。
そして、前へと進むその判断。
決して馬だけの力ではなく、
騎手の力によって手繰り寄せたこの舞台。
和田野の成長を見届けたオペラオーは、
何かを認めたように、更に踏み込みを厚くしていく。
最終コーナーを回り、最後の直線へ。
気づけば、大きくリードしていたトリプルターボは
既に目の前に迫っていた。
『ああ!トリプルターボが捕まりかけている!
逃げ切ることは出来るのか!!
後続が襲い掛かってくる!!
残り310メートル!さあどうなる!!』
未だ先頭で粘るターボ。
それを飲み込まんとする宇宙皇帝と覇王。
第68回有馬記念-Versus the Universe-
そのクライマックスは
泥臭く、熱く、こじ開けられていく。
20時過ぎ、不定期更新




