第31話 青、駆け抜ける
中山競馬場、第4コーナー
一周半の過酷な旅路、
その最初の大きな曲がりを
二つの閃光が駆けていく。
『第4コーナーを回って、急坂へ!
依然として、依然として並んだままだ!この二頭!!
トリプルターボ、そして宇宙の先兵スターライトダッシュ!
1周目の直線、
10万人の叫びが待つスタンド前でタイマン勝負だ!!!』
もはや歓声という言葉では生ぬるい。
中山のスタンドを埋め尽くす観衆の絶叫が、
コースに降り注いでいた。
シャケは、その光景に
一人の競馬ファンとして体の奥から湧き上がる熱を感じていた。
「……ターボ」
「……異常過ぎます」
ホログラムを立ち上げ、
スズカが様々な数値を確認している。
「2500メートルという距離で
最初の600メートルをこのラップタイムで入る……。
もはや、自殺行為です」
「……競馬って不思議だよな」
どこか俯瞰するシャケは続ける。
「数値だけでみると自殺行為でも、
あの走りはみんなの夢を乗せているんだ。
ターボの全力は気持ちいい……
だから、みんなが好きなんだ」
「全力が気持ちいい……みんなが好き……」
遠目に映るターボはスタートしてから
一度も走りを緩めない。
彼にとって、ラストスパートなんて存在しない。
最初から最後まで全力だから。
「シャケ……分かってきました。
私もトリプルターボに惹かれているようです」
「だろ?」
シャケは、コースを見つめたまま優しく言葉を返した。
コース上ではまもなく先頭、ターボが
急坂の頂上付近に辿り着く。
コースを激走しているトリプルターボ、
その馬上の騎手・中谷は自身の太ももを通じて、
ターボの全身から噴き出すような『熱』を感じていた。
(……おいおい、ターボ。
お前、今日は一段と怒ってやがるな)
手綱と太ももを通して伝わってくるのは、疲労ではない。
この序盤、いつも通り
ただ一人で前を走るつもりだった。
それを邪魔する宇宙の馬、スターライトダッシュ。
どこか無機質で精密すぎるリズムを刻み、追ってくる足音。
それはヒュンヒュンと風を切るような
電子的な駆動音に近い。
対して、ターボの足音は
ドカッ!ドカッ!と地面を叩き割るような打撃音。
そのリズムは決して一定ではない。
まるで歓声に応えるように、
ガムシャラな響きを乗せてターボは駆けていく。
お互いの騎手もまた対照的に
中谷は歯を食いしばり、鬼の形相で手綱を握り込む。
スターライトの背中に跨る騎手は
冷静に何かを計算しているかのように
冷たい目つきで前だけを向いている。
「行くぞ!ターボ!!
力尽きるまで先頭を譲らない!それがお前だ!!」
中谷の信頼に応え、ターボがもう一段、ギアを上げていく。
その時、手綱を必死で握る中谷の視界に
いつも見るあの歪な横断幕が横切っていく。
『俺に構わず逃げてくれ』
「ああ、構うもんか。
俺もターボも誰かの為に走ってるんじゃねえ!
俺達が一番前を走りたいから、逃げてるんだよ!!」
バテてもいい、力尽きてもいい。
だが、そのスタミナがゼロになるまでは1番で駆けていく。
それだけは譲れない。
その想いを隣で走る「宇宙」は知らなかった。
スターライトダッシュの騎手・コッコは
自身の網膜に表示される様々な数値が、
真っ赤に悲鳴を上げている現状を信じられないでいた。
標的:トリプルターボ
バイタルデータ、全項目で限界値を突破
生存危機レベルの出力を維持中
追従は共倒れの可能性高
(この騎手はなんということをするのだ。
これでは馬が無事で済まないぞ!)
例え、宇宙の馬でもスタミナというものは存在する。
筋肉に乳酸が蓄積すれば
脚が物理的に止まる、それが生命というものだ。
「地球の君!中谷と言ったか!
それ以上飛ばせば、馬が危険だ!
あと何メートルあると思っている!!」
「知らねえよ!
ターボが走るなら俺も付き合うだけだ!!」
説得を図る宇宙の騎手コッコ。
しかし、ターボに跨る騎手もどこか壊れていた。
(……何故だ、なぜ限界を超えてもまだ走る!?
私の大事なスターライトは……)
コッコは改めて、横に並び走るターボを見る。
その瞳には、限界を超えつつある狂気の光が宿っていた。
そして、その馬体と騎手中谷。
二つの存在から溢れ出るのは
計算を嘲笑うような、純粋な走りの暴力。
(……これ以上は、本当にまずい。
スターライトを壊すわけにはいかない……)
コッコとスターライトダッシュがわずかに揺らぐ。
それはスタミナの欠如ではない。
あまりに非理論的、かつ破壊的なターボの意志に
本能で恐怖したのだ。
あまりにも馬鹿げたラップタイムを刻んだ
二頭の距離がジワジワと開いていく。
一周後に控えるゴールライン。
その仮初のゴールを先頭で駆け抜けていくトリプルターボ。
青い弾丸はいつものように、一頭で突き進む。
『ターボだ!
トリプルターボ、完全にスターライトダッシュを突き放した!
1馬身、2馬身……
吠えろトリプルターボ!全開は止まらない!!
1周目のゴール板を単独先頭で駆け抜けた!!』
怒号のような歓声が中山を埋め尽くす。
諸星とシャインは二人で肩を組み合い、叫び、
流星は黙って拳を握り込む。
スタンドの埋め尽くす観客が
一頭の逃げ馬の名を狂ったように叫び出す。
「ターボォォォォォォ!!」
「これこれ、これがターボよ!!」
全頭、1周目のゴール板通過。
スターライトダッシュは徐々に失速し、
後続の集団へと飲み込まれていく。
コッコは、
宇宙最強馬に騎乗するキュルテに近づくと
口元だけを歪めながら、一声掛ける。
「キュルテ……悪いな……。
あのような暴走に付いていったのが間違いだった。
俺はスターライトを守りたい……後は頼む」
「任せろ……地球は面白いな、コッコ」
「ああ」
そのやり取りを最後に
スターライトは最後尾へと流れ、
クールダウンのようなペースでゆっくりと足を止めていく。
それは敗北というよりも
理解不能なバケモノに対する敗走だった。
宇宙の理性が、命を削る地球の暴走に背を向けたのだ。
「スターライトダッシュが完全に戦線を離脱しました!」
スズカが驚きの表情で叫ぶ。
シャケは分かっていたとでも言うように笑顔で答えていく。
「ターボの大逃げに付いていったら、
そりゃそうなるよな」
シャケの目に映るターボは、
単独で三つ目のカーブ、第1コーナーへと突き進む。
「ターボ、中谷さん、ありがとう。
これでギャラクシーの蹂躙劇はなくなった」
シャケの呟きは、未だ熱気が止まらない歓声にかき消される。
レースはまだ半分以上残っている。
それでも、ターボの活躍によって
有馬記念は続いていく。
単独先頭に立ったターボを遮るものなど何もない。
一人と一頭の世界だけが広がっている。
「相変わらずいい景色だな!ターボ」
中谷が愛馬の首を撫でる。
ターボは勢いよく鼻を鳴らして喜びを隠しきれない。
その青い弾丸は、後続に10馬身以上の差を付けて
希望をまき散らしながら突き進む。
局面は、三つ目のカーブが終わり、
四つ目のカーブ、第2コーナーへ。
残り、およそ1300メートル。
――勝負は中盤戦へと移っていく。




