第10話 地球最強の錯覚
――2ストライク
甲子園の空気が、重さで語れないほど煮詰まっていた。
何万にも及ぶであろう、宇宙人たちは呼吸を忘れ
グラウンドに立つ2人へ、熱い視線を送っている。
俺、三好鮭は、自分の肺が空気を拒絶するような錯覚に陥っていた。
喉は張り付くように乾き、立っているのも精一杯。
「……2ストライク……これは……」
不安は、1球ごとに増していく。
それは、自分と地球上全ての人間が感じているものだ。
大空流星がヒットを打たなければ、人類は滅亡。
その確定事項が重く圧し掛かる。
「三好鮭……この場で貴方が一番彼を信じなければならない」
いつもの冷静な言葉とは違う。
“私も”という声を無意識に感じるほど
スズカの言葉には、責任感の三文字が張り付いていた。
「そうだな……俺にできるのは信じることだけだ」
たった一枚のプラカードと“言葉”だけで信じてくれた大空流星。
本来なら、30点の自分が気軽に話せる人物でもない。
更には、その萎縮さえ流星は見抜き、気軽に声を掛けてくれている。
(……今の俺が信じられない?そんな馬鹿な話はない。
俺は彼をこの場に引っ張った、張本人……案内人だ!)
強く強く、大空流星の背中に目を向ける。
驚いてもいい、不安になってもいい。
ただ、その背中から目を逸らしてはならない。
◆ ◆ ◆
(適応している。
大空流星は、恐怖を置き去りにして、
私の投球を“楽しんで”いるというのか……)
ゼロ・フォースの思考が駆け巡る。
彼の瞳には流星のデータが高速で更新され続けていた。
反応速度:4.2倍 → 4.4倍
視覚処理:0.8倍 → 0.9倍
精神安定度:異常 → 極めて異常
(……まだ伸びている。
この短時間で、適応している……)
ゼロの額から汗が薄っすらと流れていく。
(……これは恐怖なのか?)
いや、違う。
(歓喜だ)
もはや、データではない。
最強の称号を得て以来、
感じることのなかった恐怖の裏には
野球の楽しさ、喜びが隠されていた。
(……楽しいぞ、大空流星。
……だからこそ、見せよう。
数々の名バッター達を絶望に沈めた、あの球を)
ゼロの三本の腕が、
物理法則を拒絶するよう旋回を始める。
照明が、光そのものがゼロの指先に吸い寄せられ
周囲の風景が、光と共に歪んでいく。
(――ミラージュナックル)
◆ ◆ ◆
「来る!流星さん!頼みます!」
流星が構える。
ゼロの指先から放たれた球は、
光の破片のように散っていく。
「えっ!?なんで!?なんで7個あるの!?!?」
シャケの視界には、
7つの球が、それぞれ別々の弧を描いて襲い掛かってくるように見えた。
以前、スズカから見せられた映像では3つの球に見えた投球もあったが……
目の前にすると、7つの虹が走っているように感じる。
「ミラージュナックルです」
困惑した顔でスズカが説明する。
その顔を見ただけで、この球がゼロの“必殺技”だとわかる。
「光の屈折操作により、球が複数に見えます」
「複数というか7個じゃん!」
「以前は3つでした!!」
理由はわからないが、とにかく増えている。
どれが本物か、どれが虚像なのか。
虹色のノイズが脳の処理を拒んでいく。
――だが、大空流星だけは笑っていた。
彼は球を見ず、
あえて視線を“地面”へと落としていた。
「……影が揺れない。あれが本物だ」
流星の目が鋭く光った。
バットが空間を切り裂く。
――カァンッ!!
衝撃波が鼓膜を叩き、
打球は三塁側スタンドを真っ二つに割るようなライナーとなって消える。
『ファウル!!』
「マジか……流石、流星さん」
シャケが驚愕する中、
スズカは首を振った。
「……ありえません」
その声は、戦慄を含んでいた。
「ミラージュナックルは光を屈折させて、影すら完全に制御しています。
影が揺れる、揺れないなどの次元ではないのです。
もし、本当にそのような弱点があるならば、
宇宙のバッター達が打てないはずがありません!」
「え、でも流星さんは確かに影が揺れないって……」
「大空流星には見えてしまったのでしょう。
彼がこれまでの数万という打席で積み上げてきた“生きた球”への執念が
脳内に揺れる影として投影された。
物理法則を経験と執念で凌駕した……まさしく、地球最強の錯覚です」
最後にスズカは笑顔で付け加える。
「……大空流星。
地球が……貴方が選んだだけありますね」
◆ ◆ ◆
ゼロはマウンドで立ち尽くしていた。
(影だと?一寸の狂いもなかったはずだ。
……事実ではないものを指標にして
私のミラージュナックルを打ち抜いたというのか!?
地球人……大空流星……)
ゼロの体中から、興奮、熱が噴き出しそうになる。
かつて、彼が宇宙最強ピッチャーと呼ばれる前
宇宙の野球ではバッターが常に有利だった。
地球の野球と違い、
10点や20点が入るのは当たり前。
それは……
宇宙放映基準により、
種族によっては視認すらできない200km/h越えの球が禁止されていたからだ。
その中で、ゼロは変化球を極限まで鍛え上げ、
宇宙最強の投手となった。
やがて、その技術はほかの投手にも波及し、
宇宙野球にも“1点の重さ”が生まれた。
だが、ゼロは常に思っていた。
――全力で投げてみたい、と。
ゼロの胸の奥で、
はっきりとした“熱”が今、生まれた。
ゼロは、三本の腕をゆっくりと解き
目の前に佇む、地球最強打者に問う。
「大空流星。
次の球……
200km/hを超えてもいいか?」
球場が凍りついた。
シャケ、スズカも、宇宙人、世界中の人々も凍り付く。
その中、大空流星だけが満足そうに頷いた。
「……いいよ。全力で来て」
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